この映画、評価がすごく別れる一本です。
名作と絶賛する人もいれば、「感情移入できない。何がいいの?」と首を傾げる人もいます。
実は個人の好み以上に、その人の心の中にある前提条件があるかどうかで、この映画の評価は大きく変わってくるのです。
この違いはどこにあるのか解説したいと思います。
“キャッチボール”への意識の違い
まずこの映画の魅力を理解するには、「多くの男性にとって、キャッチボールとは特別な行為である」という前提を知る必要があります。
キャッチボールとは、ただの野球の練習や、シンプルなレクリエーションだけではありません。
父と息子にとっての会話そのものなのです(どーん)
…なんだか急に根性論みたいなことを言い出しましたが(笑)
でもあなたも、男性が「いつか息子とキャッチボールをするのが夢だった」というエピソードを耳にしたことはありませんか?
野球人気の低下もあって、最近ではずいぶん少なくなってはいますが、「いつか息子とキャッチボール」以前は父親エピソードの定番でした。
一方で、「いつか娘とキャッチボールをするのが夢だったの」という女性のエピソードは、けっこう珍しいかと思います。
この違いはどこにあるのでしょうか?
もちろん男性の方が運動が好きだとか、野球を経験している割合が多いのもあります。
しかしここで重要なのは、男はわりと会話が苦手だということです。
お母さんの「いつか娘と○○するのが夢だった」と言えば、なにがあるでしょうか?
お茶をしながら雑談、一緒にショッピング、二人で旅行。
そう、どれも会話を伴うものなんです。
多くの母と娘は、会話によってコミュニケーションをとり、親交を深めることが出来ます。
一方で、悲しいかな男はそれが出来ません。口下手なんです。
お父さんも口下手だし、息子もわりと口下手。
そうなると、二人でお茶とか、ショッピングとか、旅行とか、四六時中ペチャクチャ雑談できる父親&息子は少数派になってきます。
できればお酒の力を借りたいところです(笑)
ちなみに「いつか息子と酒を飲みたい」がキャッチボール並に定番なのも、アルコールいれれば会話ができるからという側面があったりします。
それでは父と息子はどうやって交流を深めるのか?
わりとよくあるのが、釣り、ツーリング、プラモづくりなど。
二人で黙々と作業する中で無言のコミュニケーションをとる傾向にあります。
(でもまぁ、その時間がけっこう居心地よかったりします)
そして、その最たるものが、キャッチボールなのです。
二人で向き合い、ボールを投げあう。
たったそれだけでなんだか楽しいし、小さい頃の僕も子供心に嬉しかったのです。
父親になってからもそうです。
たまに息子に誘われてキャッチボールをするのですが、ほとんど無言で、たまに「ナイスボール。」とか声をかけるだけなのですが、息子はとても満足そうでした。
あの時間はただの運動ではなく、確実に親子の交流の時間でした。
ただし、女性にはこの感覚は理解しづらいのかもしれません。
「交流したかったら話しかけたらいいじゃない」と言われちゃいそうです。
いやまぁ、全く持ってその通りなのですが(苦笑)
なかなか滑らかに会話が盛り上がらず、ついついキャッチボールに頼ってしまうんですよね。
キャッチボールは成長の実感の場
そしてキャッチボールについてもう一点重要なことがあります。
キャッチボールとはただのコミュニケーションだけでなく、息子の成長を感じる場でもあるのです。
ただボールを投げあっているだけじゃん、と思うかもしれませんが、キャッチボールって実はものすごーく奥が深い練習です。
どれくらい遠くから投げられるか?
どれくらい早くて力強い球を投げられるか?
相手のグローブのど真ん中に投げ続けることが出来るか?
捕球の身のこなしはどうか?
難しい球でもキャッチできるか?
変化球は投げられるか?
…ここまで追求する人は少ないですが(笑)
とにかく、ただ「投げる」「捕る」というシンプルな動作の繰り返しとは言え、
そこには究めるべき果てしなく長い道が存在するのです。
傍目から見れば、ただいつものようにボールを投げあっているだけです。
しかし長い年月、息子とキャッチボールをしてきた父親にとっては違います。
わずかな球速の差、体の動き方。
前回と比べて我が子がどれだけ成長したのか、一目瞭然。
息子の成長がダイレクトに伝わってくる感動の時間だったりするのです。
僕も、たまに息子とキャッチボールをすると驚かされます。
(いつの間にかこんな遠くにボールを投げられるようになったんだ…)
(知らない間にずいぶん力強くなってるんだな…)
無表情にボールを投げ返しているように見えるかもしれませんが、僕の心の中はウキウキ幸せで溢れているのです。
同時に、息子にとっては父親に練習の成果を披露するチャンスであり、成長を感じてもらい、承認してもらう場でもあります。
(おれ、投げるのうまくなっただろ?)
(練習がんばったもんな)
(どうやら父さんも、強くなったのをわかってくれたみたいだぞ…!)
言葉にして口に出さないかもしれませんが、息子はきっと、そんな喜びを感じているんじゃないでしょうか。
この視点で考えると、映画の冒頭と終盤が大きな意味を持ってきます。
映画の冒頭は、父親に関するモノローグで始まります。
主人公は父親と仲違いをして家出をし、そのまま父親はお嫁さんや孫をみることなく亡くなってしまったことが語られました。
そして映画のラストシーンは、亡き父親と主人公のキャッチボールですが、その側には、奥さんと娘が立っていました。
主人公は、きっと、万感の思いでボールを投げていたはずです。
(みてくれよ、俺、うまくやってるだろ?奥さんも娘もできたんだ)
(がんばってきたんだ)
(どうやら父さんも、俺が成長したのを、わかってくれたみたいだ…!)
子供の頃は当たり前だった、父親に成長した自分を披露する場。
キャッチボールはその代名詞なんです。
この映画はこの一点に集約されます。
「今は亡き父親に自分の成長を伝えたい。」
多くの口下手な男たちにとって、これはとても共感できるフレーズです。
そして口下手な男たちにとって、一番父親と語り合える方法は、キャッチボールなんです。
ちなみにこの映画は日本公開時に『トウモロコシ畑のキャッチボール』という邦題をつけられる予定でした。
キャッチボールという言葉が持つ意味に重点を置いた邦題と言えますね。
野球という“圧倒的に特別”なスポーツ
それにしても、父と息子のコミュニケーションの中でも、なぜキャッチボールが特別な位置を占めているのでしょうか?
それには、「他の競技と比べて野球が圧倒的に特別なスポーツだ」という日本独特の事情が関係します。
最近でこそバスケやサッカーといったスポーツも人気ですが、かつての日本では完全な野球一強状態でした。
スポーツと言えば野球、男の子と言えば野球でした。
当時の野球中継のテレビ視聴率をみてみましょう。
『フィールドオブドリームス』が公開された1989年当時、プロ野球チーム・読売ジャイアンツの公式戦のテレビ放送は、年間を通して、平均22.7%の視聴率がありました。
国民的な人気ドラマと言われた「あまちゃん」の視聴率が20.6%だったことを考えると、驚異的な数字です。
最高記録だと、野球ファンの間で俗に『10.8決戦』と呼ばれる1994年の中日ドラゴンズー読売ジャイアンツの優勝決定戦で、関東地区で48.8%、名古屋地区で54.0%を記録しています。
また、1985年に阪神タイガースが21年ぶりのリーグ優勝を決めた瞬間には、関西地区で瞬間最高視聴率が74.6%を記録しており、ちょっとわけがわからないレベルです(笑)
これらはあくまで一番盛り上がった瞬間ですが、いかに野球が日本に根付いているかがわかってもらえたかと思います。
もっとも、それ以降Jリーグの台頭、インターネットの普及によるテレビ離れもあって、プロ野球の人気は低下していくのですが…。
2020年にはプロ野球球団・読売ジャイアンツの試合における年間視聴率は6.3%にまで落ち込みました。
それでも、この映画の公開前後においては、間違いなく野球こそが「国民的人気スポーツ」だったのです。
なぜ野球が人気になったのかについては、諸説あります。
「打者対投手、1対1の戦いが日本人の気質に合っている」「お茶の間観戦においては、ピッチャーが投げるまでの“間”が重要」等の意見もあります。
しかし僕の感覚では、重要なのはそこではありません。
野球は、とにかく目にとまるのです。
少なくとも僕の子供の頃は、テレビでいつでもみれるスポーツと言えば野球か相撲くらいでした。
もちろん、サッカーやバレーボールの世界大会や、ゴルフのテレビ中継も目にした記憶はありますが、
毎日のように目にしていたのは野球だけでした。
「いつ、どの時間帯にやっているか」を把握できていたのは、野球だけでした。
メディアの野球優遇はすごいです。
年間140試合を欠かすことなくテレビ中継してくれるスポーツは野球だけでしたし、
新聞でも大々的に取り上げられます。
さらには、高校生野球部の全国大会まで、全試合をテレビ生中継ですよ!
他の部活ではありえない注目度です。
少年時代の僕は、「お、この野球というスポーツは他のスポーツより楽しそうだぞ。自分の感性に合っているぞ」なんてことは思わなかったし、自ら野球を選んだわけではありません。
テレビをつければそこに写っているし、新聞でも一面に取り上げられているし、クラスでも話題になっているし、父親も観ているし…
なんとなくまわりをみながら野球を選び、グローブを買ってもらい、父とキャッチボールをし、
いつしか野球を愛するようになり、「いつか自分の息子ともキャッチボール」と憧れを抱いたのです。
この映画は「野球への愛着、キャッチボールへの思い入れ」があるほど胸にくる映画です。
日本でこの映画がこれほど愛されるのは、野球を愛する人が多いからなんですね。
そのせいもあってか、この映画が受賞した5つの映画賞のうち、4つが日本の映画賞だったりします。
特に日本で評価されている映画なのです。
男女の差
ここまではフィールド・オブ・ドリームスの評価が別れる理由に、野球への愛着の差や、キャッチボールの神聖視をあげましたが、
ここでちょっと視点を変えてみます。
心理学者の植木理恵女史が言うには、
男性は俯瞰的に、女性は主観的に映画を観る傾向があるそうです。
女性は役者目線で、自分の生活と関連づけて観る傾向があり、
男性は作り手目線で、俯瞰的に観るそうです。
あくまでネットで拾ってきた情報なので、データに基づく科学的な考察かどうかはわかりません。
ただ、「女性のほうが共感する力が高い」というのは、巷でよく言われていますよね。
映画においても登場人物に感情移入しやすいのは十分考えられますし、
特にこの映画では、唯一の女性キャラである奥さんに感情移入しちゃうことが多くなるでしょう。
そう考えると、女性がこの映画を受け入れづらいのも理解できます。
だって奥さんの立場からすれば、
旦那がいきなり「なんだかよくわかんないけど、神の声が聞こえたから球場つくるよ!生活費やばいけど知らない!」なんて言い出すわけですよ
そりゃ「は!?バカなの!!?」ってなりますよね…。
しかも男性が「今は亡き父親とキャッチボールできた!」とキャッキャしていても、
女性は野球との関わりが比較的少ないケースが多く、
キャッチボールの神聖さに共感できないかもしれませんしね…
また、こちらは心理学の実験で、
ストレスがかかったときにリスクのある行動をとるかどうかでは男女差があることがわかっています。
男性の方が、よりリスクのある行動をとりたがり、
女性はリスクの少ない慎重な判断を好むそうです。
つまり、「現実の生活を犠牲にしてでも夢を追う」なんてフレーズに対する反応として、男女で大きく差がでるのです。
男性は一抹のロマンと高揚感を感じやすいし、
女性はありえない危険な行為として不快感を感じやすいのです。
そういえば、博打にはまる人間や風来坊には男性が多い印象がありますね…。
もちろんすべての男女がきっぱりこの傾向が当てはまるわけじゃありません。
僕もどちらかというと女性よりの慎重派ですし。
しかし、世の中には主人公の根拠のない挑戦にロマンを感じる男性は多く、不安にしか思えない女性が多いということです。
まとめ
フィールド・オブ・ドリームスがなぜ賛否が別れるのか?
以下にまとめてみました。
1 「親子でキャッチボール」への憧れを理解しているか?
2 野球というスポーツをどれだけ好きか?
3 どの登場人物へ共感・感情移入しているか?
4 リスクのある手段をとりたがるか?
この四つに該当するかどうかで、この映画が刺さるかどうかがずいぶん変わってきます。
みなさんはいかがでしたか?
パートナーと一緒に鑑賞して、感想を言い合ってみるのも一興かと思います。