「風と共に去りぬ」がなぜ名作なのか、その理由をわかりやすく解説

この映画が名作なのは「豪華な俳優だから」でもないし、「当時としては珍しい大長編フルカラー映画だから」でもありません。

それだけでは今なお支持される映画にはなりません。

何せこの映画は2007年にアメリカ映画協会が選定した『アメリカ映画ベスト100』でも、アメリカ映画史上第6位の傑作に位置しているのですから。

 

では、この映画の魅力とは一体なんでしょうか。

 

まずは映画を振り返ってみよう

この映画のあらすじをすごくざっくり振り返ると

大好きなアシュリーにふられて、

チャールズと結婚して、

フランクと結婚し経済的に大成功して、

自分を熱烈に愛する伊達男レット・バトラーと結婚して、

アシュリーへの恋心に終止符を打ったけど、

レット・バトラーにも捨てられて、

でも立ち上がって「私にはまだ明日という日があるわ」って言う話

 

まぁ、正直に言って、男の自分としてはこれを感動のストーリーとは思えません

お相手が多すぎて、どの恋愛を応援していいやら戸惑ってしまいます。

 

さらに、スカーレットの人物像もクセが強いです。

意志が強いというか我が強くて、よく言えば自由奔放、悪く言えば自分勝手。そのくせ、なぜか男性にはモテモテなんですよねぇ。

正直、彼女の気質を熱烈に愛したレット・バトラーはけっこうマニアックなタイプだな、と思ってしまいます(笑)

普通は良妻賢母のメラニーを選びますよね。

 

はたして、こんなストーリーと主人公に共感するような人間がいるんでしょうか?

それが、いるんですよ…!

この映画は誰の心に届くのか?

名作な理由がわかりづらいこの映画を、熱烈に愛する人を一人知っています。

僕の母です。

 

実は僕自身も、恥ずかしながらこの映画の良さがまったくわかりませんでした。

初めて観た時は途中で寝落ちしてしまい、

2度目の鑑賞でやっと最後まで観れたものの、「言うほど名作か??」と首をひねっていました。

 

ある日、その話を母にしたところ、母は笑いながらこう語りました。

 

「風と共に去りぬ」、私大好きなのよ。

あんまり好きで、学生の頃4回も映画館に観に行ったの。

でも、全部違う男性と行ったけれど、4人とも映画の途中で寝ていたわ。

アンタも一緒ねぇ(笑)

 

うるせーな(笑)

 

それにしても、母は映画愛好家ではあるものの辛口で、「大好き」などという高評価は滅多に与えないタイプなんです。

未だかつて無い高評価ぶりに、僕は驚きました。

 

その理由を尋ねると、母はこの映画の魅力を、短くこう表現したのです。

 

当時この映画を観てね、「あぁ、こういう生き方をしても良いんだ!」って思ったのよ

なぜ母にこの映画が刺さったのか

母の半生を簡単に説明すると、女性の社会進出の戦いそのものと言えます。

 

彼女は男尊女卑が色濃く残る農村に生まれました。

「強権的な父(=僕のじいちゃん)と、それに従う母(=ばあちゃん)」

「長男だけ優遇」

「女はみんな台所に立ち、男は座敷で宴会」

「女は子供を産むのが仕事」

田舎あるあるを絵に描いたような家でした。

 

大学受験のときも、成績優秀であったにも関わらず「女には学歴は要らない」と両親に大学進学を拒否されます。

(三者懇談で「国立大学に現役合格するから進学を認めてくれ」と懇願する作戦でなんとか進学に漕ぎ着けます)

 

社会に出てからも何度も悔しい思いをしたようです。

そもそも女性がフルタイムで働くことすら当然の権利と思って貰えず、

ことあるごとに「女は○○だけやってりゃいいんだよ」という態度にぶつかり、そりゃあ家では怒り狂ってました(苦笑)

 

彼女はずっと、

「女は従順であれ」

「男が主で、女は従」

「良妻賢母であれ(メラニーのように!)」

と言う無言の圧力に苦しみ、戦ってきた人なんです。

 

…だんだん分かってきましたね。

そう、一見自分勝手に見えるスカーレットの奔放な生き方は、母にとって、苦しんできた女性にとっての憧れなんです。

 

男達に決めさせず、自分が決める。

男達に媚びず、自分が選ぶ。

男達に奉仕するためではなく、自分が主役になって人生を生きる。

 

これ、男女逆にして読んでみて下さい。

どれも至極当たり前のことですよね。

でも、当時の女性はそんな当然の権利すらなかったんです。

 

だからこそ、自由に生きるスカーレットの生き様はとても魅力的に映るのでしょう。

たとえそれがレットバトラーとの離別というエンディングだったとしても、

自分で決めるという過程こそが大切で、憧れなんです。

自分もそうできたらと夢を描くんです。

 

この写真は1952年、『風と共に去りぬ』日本初公開当時の、チケットを買おうとしている人たちの行列です(※母が観たのはもっと後のリバイバル公開時です)

この写真を観ていても、心なしか、女性が熱心に並んでいて、男性はつきあってるだけ…のような気がしてきませんか?なんとなくですが(笑)

果たして当時、この行列に並ぶ女性達の中で、いったい何人がスカーレットのように自分の意志だけで人生を決めることが出来たのでしょう?

 

そして、男性がことごとくこの映画の魅力に気づかない理由も察しがつきますね。

女性の“男達じゃなく自分が人生を決めれたらいいのに”という願望に気づきもしない男性陣が、いくらこの映画が大ヒットしている理由を探しても、みつかるはずがありません。

せいぜい「テクニカラーの超大作だから」「名優の競演だから」「南北戦争当時の歴史描写が云々」といった表面だけをなぞって、解説するのが関の山。

挙げ句に上映中に居眠りしてしまう…と。いやはや、お恥ずかしいかぎりです。

 

「アメリカ史上6位の傑作」の意味

なお、2007年にアメリカ映画協会が選定した『アメリカ映画ベスト100』でアメリカ映画史上第6位に位置しているのも、アメリカ人女性のメンタリティを考えると納得できます。

男達に決めさせず、自分が決める。

男達に媚びず、自分が選ぶ。

男達に奉仕するためではなく、自分が主役になって人生を生きる。

意志が強く、自由奔放、男性に媚びない。

これってまさに、僕らが思い描く“アメリカ人の奥さん”そのものではないでしょうか?

アメリカ人奥さん代表、ヒラリークリントンさん。

おそらくアメリカでは、日本よりももっと「スカーレット的生き方」が女性達に受け入れられ、支持されているのだと思います。国民性かな?

これは僕の想像ですが、『アメリカ映画ベスト100』で「風と共に去りぬ」が得た得票数のかなりの割合が女性票なんでしょうね(笑)

 

ちなみに、イギリスのBBCも2015年に『100本の偉大なアメリカ映画という全く同様のリストを作っています。

そこでは『風と共に去りぬ』は、なんと97位。…ランクインしてるとは言え、ずいぶん低いですよね。

いかにアメリカ人女性がこの映画を支持しているかがわかります。やっぱり国民性かなぁ。

さいごに

母はスカーレットになるべく、ずっと男尊女卑と戦い続けてきました。

 

ずっと母の愚痴を聞き、社会に憤る姿をみてきた影響なのか、

僕は奥さんと家事育児を分担してきたし、

ついには妻の代わりに一年間育休取得(専業主夫)までしました。

 

会社からは「新時代だな(苦笑)」と言われ、

後輩からは「これで僕らも育休とりやすいです(笑)」と言われました。

 

一本の映画が一人の母親の人生を変え、

巡り巡って僕の人生を変えて、

もしかしたら世の中にまで影響を与えたのかもしれないんです。

 

これこそ、この映画が歴史に残る名作たる由縁なんです。

 

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