映画ドリームガールズにはモデルとなったグループが存在します。1960年代に爆発的な人気を誇った「ザ・スプリームズ」、そして音楽史に残る偉大な黒人女性歌手ダイアナ・ロスです。
ザ・スプリームズは映画「ドリームガールズ」と同様、当時白人が圧倒的に優位だったアメリカ音楽界において驚異的な快進撃を記録しました。
シングルが5作連続全米一位を記録するなど、合計12作もNo.1ヒットをだしています。
当時アメリカでは「ビートルズに対抗できる唯一のグループ」とまで評されていました。当時の人気がいかに大きいかわかりますね…!
そして、そのグループからソロデビューを果たしたダイアナ・ロスは「至上最も成功した黒人女性シンガー」と言われています。
歌がうまい歌手は数あれど、黒人女性歌手の道を切り開き、長年にわたって頂点に存在し続けた彼女の偉大さの前には、ビヨンセもホイットニー・ヒューストンも一段落ちてみえるほどです。
代表曲
こんなとこでしょうか。
ザ・スプリームスの変遷
映画ドリームガールズでは「3人でスタート→1人脱退して1人加入」というシンプルなメンバー変更だけでしたが、実際のスプリームスはもっとちょいちょい変わってます。
その中でも重要なメンバーが次の3人(+1人)です。
- ダイアナ・ロス …ディーナ(ビヨンセ)のモデル
- メアリー・ウィルソン …ローレル(アニカ・ノニ・ローズ)のモデル
- フローレンス・バラード …エフィ(ジェニファー・ハドソン)のモデル
一般的にスプリームスというと、彼女たち3人を指します
スプリームスのメンバーの変遷を辿ると、このようになります
①マイナー期
当初は4人構成。上の3人に加えもう一人メンバーがいました。途中で一度別の人に入れ替わりますが、ヒットを飛ばす前には脱退していました。
(あまり重要でないので、映画ではこの辺の下りは省かれています)
②黄金期
ダイアナ・ロス、メアリー・ウィルソン、フローレンス・バラードの3人体制で大ヒットを量産します。
③バラード脱退
フローレンス・バラードが脱退し、シンディ・バードソングが代わりに加入します。
同時にグループ名を「ダイアナ・ロス&スプリームス」に変更。
映画のモデルになったのはこの辺りまでですね。
④ダイアナ・ロス脱退
ダイアナ・ロスが脱退…というかソロ活動を始めます。
残されたスプリームスはヒットチャートから遠ざかりますが、オリジナルメンバーのメアリーを中心にメンバーを細かく入れ替えながら3~4年ほど活動を続けました。
フローレンス脱退の真相
ザ・スプリームスにおけるフローレンス・バラードの脱退は映画同様の確執があったのでしょうか?
リードボーカルの座を奪われた?
そもそもザ・スプリームスはフローランス・バラードが中心となり、親友のメアリー・ウィルソンに声をかけて結成されました。その後学校の同級生であったダイアナ・ロスも誘われたのです。
デビュー当時、グループのリーダー格はフローレンス・バラードでしたが、リードボーカルは固定されておらず、3人が順番に歌っていました。
メアリー・ウィルソンは柔らかいバラードを好んで歌い、フローランス・バラードはパワフルでソウルフルな歌を、そしてダイアナ・ロスは主流になりつつあった軽くてポップな音楽を好みました。
しかし、ヒットを飛ばし始めたあたりから、社長の指示によりリードボーカルはダイアナに固定されていきます。
「リードボーカルが奪われた」というのは、ちょっとニュアンスが違いますね。
ただ、当初はフローレンス・バラードがグループのリーダー的存在だったのに、いつの間にかダイアナだけが優遇されるようになったのは事実。フローレンスもストレスを感じていたそうです。
ダイアナの性格について
映画のディーナは謙虚な女性でしたが、実際のダイアナ・ロスは非常に我が強い性格だったそうです。
ま、当時の社会の中で黒人女性でありながら天下を取ったほどの人です。もちろん相当な気の強さがあったのは間違いありません。
「ダイアナ・ロスについて一つだけ言っておきたい事がある。これは彼女の弁護のつもりで言っているんだけどね。まだ貧乏で、団地に住んでいる頃から、彼女は今とまったく変わらないくらい態度がデカかったよ。だから、彼女の態度がデカいのは有名になったせいじゃないよ」
ただでさえ彼女ばかりが優遇されている上に、俺様な態度をとられたら、それは腹も立つでしょう。
ただ、これらの説への反論もあります。
なにしろ当時はこういったゴシップを取り上げるメディアも少なく、少ない関係者の証言(参考文献『モータウン・ミュージック』)のみに頼っている部分があるため、誤解や類推である可能性も十分にあるとのこと。真実はどっちなんでしょうね。
ゴーディ社長との恋愛事情
映画では、社長であるカーティスはエフィとも関係を持ち、最終的にはディーナと結婚しましたが…。
なんと現実でもダイアナ・ロスとゴーディ社長は当時愛人関係にあったそうです。
(ただしフローレンス・バラードに手を出したという記述は見つけられませんでした)
たとえダイアナ・ロスが実力で優遇されていたにしても、「社長の愛人」という事情が加われば、余計な反感を買うのは容易に想像できますね。
その後ダイアナ・ロスはゴーディ社長の子供を身ごもりますが、その子の出産直後に別の男性と結婚(!)します。
この辺は映画とかなり違っていますね…。
アルコール依存症について
フローレンス・バラードはグループ内でのストレスから鬱病になり、アルコール依存症に陥ります。
次第に、練習やレコーディングを欠席したり、体重が増えすぎてステージ衣装が入らなくなったりしました。
社長は臨時メンバーで対応したり、彼女を他の人間と入れ替えることも検討しますが、結局そこまでにはいたらず。
決定的な脱退のきっかけは、フラミンゴ・ホテルでの舞台で起こりました。
フローレンス・バラードが楽屋にいったとき、彼女の入れ替え要員用の衣装が準備されてるのをみつけてしまったのです。これに彼女は激怒。
お酒で酔っぱらったまま本番にあがった上に、ドレスからわざとだらしない腹をつきだすという行為に及んだのです。
この件はとうとうゴーディ社長の逆鱗に触れ、彼女は解雇されることとなりました。
会社は「疲労のため」として彼女の脱退を発表します。
こうやってみてみると、微妙な違いはあれど、彼女自身の行動がこういう結果を招いてしてしまったという点では映画と同様です。
しかし、この事件は、彼女が24歳の誕生日を迎えた、翌日の出来事だったそうです。
芸能界のサイクルの早さを考えると一概には言えませんが、彼女の若さを考えると、もう一度チャンスがあってもよかったのではと考えてしまいます。
ダイアナ・ロスと映画
少し脱線しますが、映画の中でもディーナの映画出演の話が出ていたように、ダイアナ・ロスにも同様のエピソードがありました。
調べたらちょっとおもしろかったのでまとめてみました。
音楽界で大成功を収めたゴーディ社長は本気でハリウッド進出を考えていたようで、
その第一弾として往年の女性ジャズシンガーを描いた映画「ビリーホリデイ物語(原題:Lady Sings the Blues)」をダイアナ・ロス主演で製作したのですが、これがかなりの好評を得ます。ダイアナ・ロスもアカデミー賞にノミネートされたほどです。
続いて「黒人だけで演じるオズの魔法使い」として当時人気を博していたブロードウェイミュージカル『ウィズ』を映画化することになるんですが…
ここでダイアナ・ロスが「自分をドロシーにしろ」と愛人のゴーディ社長に猛プッシュ。
いやいや、オズの魔法使いのドロシーって6歳ですよ。
ダイアナ・ロス、当時33歳ですよ。
なにを考えているんだ…。
結局社長はダイアナ主演をごり押し、それを知った映画監督ジョン・バダム(「サタデーナイトフィーバー」で有名)が監督を降板してしまうほどの騒ぎになりました。
ドロシーはさすがに6歳の少女とするのはアレなので23歳の新人教師として描くことになります。
映画ドリームガールズでディーナが『クレオパトラ』に出演することを「あれは少女の役よ」と拒否していたのとは対照的ですね。(僕は内心「クレオパトラって言うほど少女か?」と思っていたのですが、この事件を下敷きにしていたからあんなセリフになったんですね)
結局、この映画「ウィズ」は興業的にも大赤字、批評化からも酷評と歴史に残る大コケを記録してしまいます。
「ブロードウェイ・ミュージカルがハリウッドにいく間になにがあったのか」
「高価な駄作」
「子供には怖すぎて、大人にはくだらなすぎる」
「135分苦痛が続く」
「10年間で最も失敗した作品の一つ」当時の批評(wikipediaより抜粋)
ダイアナもすっかり意気消沈したのか、その後は映画から遠ざかります。
またあまりの失敗ぶりに、当時ブームとなっていた「出演者が全員黒人の映画」自体がハリウッドから遠のいていくほどの影響があったそうです。
ところで、散々な評価だったこの「ウィズ」ですが、なんと後年になり再評価されつつあります。
実はドロシーと並んでカカシ役を主演したのが、若き日のマイケル・ジャクソン!まだ『スリラー』で強烈なヒットを飛ばす以前の彼ですね。
この映画は彼の唯一の主演映画でもあり、類まれなダンスの才能を観られる作品ということで、カルト的な人気を誇っているのです。
マイケルがデビューした頃、幼い彼の世話を任されていたのがダイアナです。彼にとってダイアナは実の姉のような、初恋の人のような存在だったそうです。
それぞれのその後
フローレンス・バラード
彼女はソロとして活動するために、レーベルを移籍しました。しかし「元スプリームスの肩書きを使わない」という契約を交わしていたせいもあり、2枚のレコードをだしたものの全くヒットしませんでした。(映画のように元会社が圧力をかけていたのでしょうか?調べてみたけどわかりませんでした。)
脱退時にまとまった大金を渡されていたものの悪徳弁護士に騙しとられてしまい、生活保護を受けて公団住宅で暮らす羽目に。
彼女はアルコール依存症、鬱病、貧困に苦しみながら、32歳の若さでこの世を去ります。急性心不全でした。
もしも映画で自分達がこんな描き方をされていると知ったら、彼女はどう思うのでしょう。
まるで美しい友情物語であるかのように綺麗にまとめられたことに、怒り狂うでしょうか?
…僕は、静かに涙を流すのじゃないかな、と思います。
この映画は、彼女の人生であり得た、もう一つの結末です。何かが少しでも違っていたら、彼女もこんな人生を遅れたのかもしれません。
もしかしたら晩年の彼女は、この映画のような人生を夢に見ていたのではないでしょうか?
“Dream girls”というタイトルが、僕にはなんだか切なく感じます。
ダイアナ・ロス
ダイアナ・ロスは、スプリームスを卒業した後にソロでの活動でも音楽界の頂点を極め、ブラックミュージックを牽引。
2016年にはその偉大な功績をたたえ、アメリカ最高の勲章である『大統領自由勲章』を授与。
私生活でも5人の子供に恵まれました。
成功を極めた彼女ですが、この映画の前身となるブロードウェイミュージカルは、決して観にいかなかったそうです。
メアリー・ウィルソン
もうひとりのオリジナルメンバーであるメアリー・ウィルソンは、二人がいなくなった後も数年間「ザ・スプリームス」で活動を続けました。
元々はフローレンス・バラードともダイアナ・ロスとも仲が良く、グループのバランス役をこなしていた彼女でしたが、ミュージカル『Dream Girls』に対しては「これは私たちの真実の物語」と絶賛。これをきっかけに、良好だったダイアナとの関係が悪化してしまいました。
この映画が公開された際、彼女もインタビューを受けました。その中で、こんな言葉がでてきたそうです。
私たちは、死ぬまで切り離せない姉妹のような関係。でも姉妹は長い間話をしなくなることもある。私は彼女のことを愛しているし彼女も私のことを同じように愛してくれていると思う。
だけど、人生は映画のようにはいかない。