禁じられた遊びネタバレ解説 原作とタイトル・結末が違う理由

『禁じられた遊び』は不朽の名作のひとつとして数えられている映画です。
これだけ知名度が高い作品ながら、映画版と原作小説ではタイトルと結末が変更されていることはあまり知られていません。

一体どんな変更が加えられたのでしょうか。
実は、その違いこそがこの映画を名作たらしめている鍵だったのです。

タイトルが変更されていた

この映画は、フランス人作家フランソワ・ボイエの小説『Les Jeux inconnus』を原作としています。

『Jeux』は「ゲーム、遊び」という意味のフランス語、『inconnus』「不明の、無名の、知られていない」などの意味を持ちます。Lesは英語の“The”みたいな感じの接頭語ですね。

つまり小説版のタイトルは『名も無き遊び』あるいは『知られざる遊び』という意味になります。
どちらにせよ物語の核となる“お墓づくり遊び”を形容するにはぴったりの意味ですね。もしかしたらこの二つの意味をかけたダブルミーニングなのかもしれません。

ところが映画版ではタイトルが『Jeux interdits』に変更されています。
『interdits』「禁じられた」の意味です。つまり『Jeux interdits』を直訳すれば、日本語版のタイトルと全く同じ『禁じられた遊び』になるわけです。

ちなみに英語版の映画でも、タイトルは『Forbidden games』になっています。やっぱり『禁じられた遊び』の意味ですね。

でもこれ、よくよく考えると不自然な変更ではないでしょうか。
“お墓づくり遊び”はたしかに『名も無き遊び』だったし、『知られざる遊び』でしたし、タイトルに不自然さはありません。

逆に『禁じられた遊び』はどうでしょう。たしかに慣れ親しんだ響きなので違和感はありませんが、よくよく考えると物語の中で誰かにあの遊びが『禁じられた』描写は一度もありませんでした。
それなのになぜこのような変更を行ったのでしょうか。

その考察は後ほど解説したいと思います。

物語の結末も異なっていた

また、原作小説と映画版は物語の結末も異なっています。

小説ではミシェルは事故で死んでしまいます。
教会の高い所にある十字架をとろうとして、足を滑らせてしまったのです。

その後ポーレットは独りでミシェルを弔った後、戦災によって家や財産、家族を失った人々と死体で溢れていた冒頭の大通りを
目指して歩き出すという描写で終わります。

映画版とは大きく異なる点は、ミシェルの事故死ですね。
十字架を弄んだ報いのような宗教的な価値観を感じさせる一方で、映画版とは違う救いの無さも感じます。

ポーレットが歩いていくシーンも、映画版とは場面が異なります。
しかしこちらは、ポーレットの前途に待つ過酷な運命を感じさせたり、彼女が初めて死生観に触れたと思わせたり、異なる場面にも関わらず映画版とニュアンスが近いように思えます。

なぜタイトルと結末を変えたのか?

映画化にあたって、なぜタイトルと結末を変更したのでしょう。
何の目的もなく、物語の心臓とも言える結末を変えるはずもありませんから、そこには監督の何らかの意図があるはずです。

おそらく監督は、次の3つの点を強調する意図があったと睨んでいます。

1.大人に翻弄される子ども

映画版で変更された結末では、次のような描写が追加されました。

  • ポーレットを孤児院に引き渡す
  • 「十字架の場所を教えるから、連れて行かないで」という約束を反故にされる

どちらも子どもたちが、意志や人格を尊重されるることなく、大人の都合だけで好き勝手に翻弄される様子が強調されています。当時は今と比べて、子どもの意志を重んじない風潮だったとはいえ、それにしたって非道い話です。

もちろん、ミシェルの家族の経済状況から考えると、孤児院への引き渡しは仕方のない事だというのはわかります。
あるいは、ミシェルの父親に“孤児院に行けば幸せな環境が整えられている”と勘違いしていたとか?一応、新聞を読める程度の教養はあるわけですが、孤児院の内情までは話が聞こえてこなかった…ってことならありえそうですが。
それにしたって、もう少し申し訳なさそうにしてほしいものです。

約束を反故にしたシーンは論外です。あれはかわいそう…。
ミシェルが十字架を川に投げ捨てて座り込む様子には、ポーレットを失った悲しみだけでなく、大人達への激しい怒りが感じられました。

子どもは、大人に逆らえない弱い存在です。
誰にだって、子供の頃に大人の理不尽さに悔しい思いをした記憶があるんじゃないでしょうか。

小説で二人を引き離したのは事故死、「自分の不手際によるミス」あるいは「天罰」が原因でした。
それが映画版では明確に「周囲の大人の都合」とされたわけです。
いわば映画版には、“理不尽さにさらされる子ども達の憐れみ”という万国共通の感情が込められているのです。

タイトルが『禁じられた遊び』に変更した理由のひとつには、“禁じられた”=“自分より上の存在からダメだと言われた”というニュアンスを込めたのがあるかもしれません。

2.二人の絆を強調

ポーレットとミシェルの二人の関係を、シンプルに愛だの恋だのというつもりはありません。
しかし、二人の間にあるのはただの友情で男女の要素は全くない…とも言えないのが、この映画の面白いところです。

もちろん、単なるボーイ・ミーツ・ガールにしては幼すぎるし無自覚すぎます。
それでも、タイトルの「禁じられた」という響きに影響されたわけではありませんが(禁断の関係、とか言いますよね)、映画の要所要所にどうにもエロチックな見方をしたくなるシーンが散りばめられています。
拗ねてキスを要求するミッシェルや、二人で寝そべって見つめ合うシーンとかですね。

本当に、フランス映画ってこの辺がすごく上手なんですよ。映画において“官能的な味わい”をとても重んじているというか。
物語の中に、ほいっと蠱惑的なシーンを忍ばせるんですが、それがまた品が良くて、作品の大きな魅力になっているんですよね…。

さて、映画版で変更された結末では、二人が引き離されることを明確に拒絶する描写が追加されました。
必死で抵抗したミシェルはもちろん、ポーレットも「ミシェル、(十字架の場所を)言って」と同意しました。
(ちなみにこのシーンでは母親が「結婚でもする気かい」と核心を突いた発言をしますが、華麗にスルーされていたりします)

また、最後のシーンでは“ミシェルを思い出し、そして母親を思い出す”という非常に印象的な描写がありました。
ミシェルの存在は母親の不在を覆い隠すぐらいに大きかったんです。
ポーレットにとっていかにミシェルが重要な存在であったか、その証左ですね。

3.「戦争孤児」という側面を強調した

この映画の最大のテーマであり、今なお名作として語り継がれる最大の理由がこれです。

小説ではまるで子ども達が神様を冒涜した“加害者”であったかのような結末でした。
しかし映画版では逆です。子ども達は最初から最後まで“被害者”でした。

ポーレットは戦争に家族を奪われ、愛犬の遺体を投げ捨てられ、大人達の手で戦争孤児として孤児院に捨てられました。
そして母親を呼ぶポーレットが雑踏の中に消えていくラストシーンをどう思いますか。
さすがにあの直後に迷子になって死ぬ、とまでは言いません。しかしあのシーンは彼女の前途に待ち受ける悲惨さを示唆するようです。
当時の情勢と孤児という事実を踏まえた上で、彼女はこれから幸せに生きていけるのでしょうか。

禁じられた遊びをしているようで、実はポーレットはただただ“被害者”でした。
そして、“加害者”は誰でしょう。それは戦争であり、戦争を起こした大人達なんです。

あるいは、『禁じられた遊び』というタイトルこそが、大人達が戦争を起こす事への皮肉なんじゃないでしょうか。
いつも禁じられていながら、何度も起こる戦争。
ある時は“ゲーム”として形容され、勝てばいいとばかりに起こす戦争。

戦争を論じる時、声高に反戦の声を上げる人ばかりを注目するべきではないのでしょう。
きっと戦争の本当の“被害者”は、声を上げる力も無く、ただただ静かに犠牲になっていく子ども達なんですから。

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