『この世界の片隅に』映画と原作の魅力、表紙の秘密を語るよ!

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konosekaino
映画『この世界の片隅に』を観てきました。本当に、名作でした。
原作読み込むくらいのファンなのに、ストーリーも結末も全部知ってるのに、泣いてしまいました…。仕事半休してよかった…。

途中までネタバレなしで語ってます。
まだ観てない人もぜひ読んでください。
後半は、原作でのリンさんのエピソード、見落としそうな小さな伏線、表紙の秘密についてまとめてます。
映画を観た人もぜひ読んでください。(ぐいぐい)

あらすじ

1944年広島。18歳のすずは、顔も見たことのない若者と結婚し、生まれ育った江波から20キロメートル離れた呉へとやって来る。それまで得意な絵を描いてばかりだった彼女は、一転して一家を支える主婦に。創意工夫を凝らしながら食糧難を乗り越え、毎日の食卓を作り出す。やがて戦争は激しくなり、日本海軍の要となっている呉はアメリカ軍によるすさまじい空襲にさらされ、数多くの軍艦が燃え上がり、町並みも破壊されていく。そんな状況でも懸命に生きていくすずだったが、ついに1945年8月を迎える。

yahoo映画より

予告編

95点

学生の頃、読書好きが高じて本屋さんになろうとしたくらい、本が大好きな友人がいまして。その子におすすめの本一冊だけ教えてって言ったときに「たぶん君は好きだと思う」って教えてくれたのが『この世界の片隅に』でした。
そいつの思った通り、僕はあっという間に『この世界の片隅に』に夢中になってしまい、全三巻を買い揃えました。今でもたまに読み返すお気に入りです。

でも、映画化の噂は聞いてたけど、正直そこまで観たい!って思わなかったんですよね。こうのさんの柔らかで優しいタッチを映画で表現できるの?原作の良さを損ねたりしないかなぁって。
いや、完全な杞憂でした!すっごくよかった!むしろあの全三巻の魅力をよく二時間でまとめあげたなと!!(ただ、原作ではもっと大きな割合を占めていたリンさんのエピソードはかなりがっつり削られていました…。これについては後述します。)

僕が観にいったのは平日の昼間で、そのせいもあってか年輩の方がほとんどでした。その中には70代、あるいはもっと上だと思われる方もチラホラいました。デートっぽい若いカップル二組や、スーツ姿の僕なんかは浮いてみえるくらいでした。

映画がはじまると、主人公すずの微笑ましいエピソードの数々にウフフ、ハハハと年輩の方らしい優しい小さな笑い声があちこちから聞こえてきたり。普段は自宅派の僕も、ああ、映画館ってこういう良さもあるんだなあと暖かい気持ちになりました。
ところが映画が後半になると、一転しんと静まり返りました。誰一人物音すら立てませんでした。

エンドロールが終わるまで誰も立ち上がらず、場内が明るくなってやっと、ようやく辺りを伺うような空気が広がっていったように感じました。みんな放心していたのかもしれません。みんな誰かに感想を話したかったのかもしれません。
隣に住んでいた気難しそうなおじちゃんの目が、赤く潤んでいました。

繰り返しになりますが、僕は結末まで全て知っていたんです。それでもこの映画を観ていて感動してしまったんですよね。
キャラクターがアニメーションとして動くこと、人間に生の声を吹き込まれることを「命を吹き込む」なんて表現をしたりしますが、この映画ほどそれを実感したことはありません。
すずはたしかに、僕の目の前で生きていたと感じました。

少々本題から逸れますが・・・
人は文章や漫画からその人の動きや声を想像し、描かれていないところまで頭の中で疑似的に構成しちゃいます。でも、知らず知らずのうちに自分の手心が加えられてしまうんですよね。好きなキャラクターはより好みの容姿に、好みの声に。だからアニメ化や実写化に際して「イメージと違う」なんて事が起こっちゃうんですよね。

僕はその想像の余地を愛していて、だから好きな作品のアニメ化、実写化には基本的に否定的なんです。
絶対にがっかりするに違いないからって。この作品でもそうでした。なにもアニメ化しなくても、素晴らしい漫画なんだから。こうの史代さんのよさを消してまで映画で観たくない…って。…映画化嫌いの映画好きでしょうか?めんどくさい人間ですね(笑)

だから、この映画に出会えて本当によかったと思うんです。
活き活きと動くすずにこんなに心を奪われるなんて!原作を読んだときは涙までは流さなかったのに、まさか泣いてしまうなんて!
想像力という翼を与えるとき、それは知らず知らずリアリティを失わせていたのかもしれません…。

想像力の素晴らしさは相変わらず信じています。でも、「映像化にはそれを上回る良さがあるんだよ」と、初めて信じられた気がしました。

前置き長くてすみません(^^;そろそろ映画の魅力を語ります!!
この映画のなにが感動したかって、結局リアリティだと思うんです。

大切な人を失う悲しさ、愛し合う幸せ、命を繋げる尊さ…そういったものは、本来素晴らしいに決まってるし、感動するはずなんです。
でも多くの映画は、どれだけ愛を叫んでも、人が命を落としても、観客は「いまいち」なんて酷評をしたりする。なんでだろう?結局それって、リアリティ、本物っぽさが足りないからなんです。

リアリティの対義語があるのか知らないけど、「ウソっぽさ」とか「安っぽさ」とかが近いのかな?
銃弾の嵐の中なぜか死なないアクションスター、なぜか美女に惚れられる、主人公の機転が困難を解決する、納得できない展開…。そういうシーンが重なる毎に、僕らの脳味噌は、無意識に『ウソ』というシールをペタペタ貼っていくんです。意識してなくても、僕らのちっこい脳味噌はウソを見抜こうといつも仕事してるんです。だから嫁は怖い。

だから映画はリアリティを高めるためにあの手この手を使うんです。
「実話を元にした…」という売り文句もそうだし、役者さんの“役作り”だってそうです。高画質なCGを使ったり、何億円もかけて精細なセットを造るのも、本物との違和感をなくすためです。
「あえて台本を用意しない」映画もあれば、「あえてホームビデオで撮影する」映画もあります。
どれもこれも、少しでも観客の脳味噌を騙すための工夫なんです。

『この世界の片隅に』はその意味では大成功だったと言えます。
その秘訣は、とにかく丁寧に描くことでした。
すずさんを、周りの風景を、あの時代そのものを。

本当に細心の注意を払って、『ウソ』のシールを貼らないようにしていたと思います。描き漏らさないように、過剰にならないように、あの時代の市井の人々とその美しさをただただ素直に描いていました。まるで、すずのスケッチみたいに。
ああ、すずはこういう世界に生きていたんだね。この人たちは、こういう人なんだね…物語に『ウソ』のシールを貼らせず、スルンと飲み込めるように。(腑に落ちる、とはよく言ったものです)

風呂敷に包んだ重箱はこうやって担ぐんだな。モンペってこうやって作るんだな。まるで当時にタイムスリップしたような驚きを覚えました。
時代考証や、当時の情景といったものは本来そうやって使うものなんですね。「こんなに調べました!」「昔はこんなんだったんですよ!」と発表する場ではなく、信じてもらうべき世界を丁寧に造り上げるために使うもの。
この映画はとっても丁寧に「すずさんはこうやって暮らしていたんですよ」って話しかけてくれて、僕の疑い深い脳味噌もつい、「うん、そうなんですね」って返事をしてしまったのです。
もう、この時点で僕の負け(?)は決まっていたようなものです。

だから僕は泣いてしまった。
人が死ぬ映画はいくつもあります。笑って過ごす映画はいくつもあります。
でもそのどれよりも、この映画は本物でした。
つくりものではなく本物の「すず」を信じてしまったから、彼女の抱えきれない悲しみや、溢れる幸せを想って、泣いてしまったんです。

ひさしぶりに、他人に「観て!」と鼻息荒く勧めたい映画に出会いました。本当におすすめです。まだ観ていない人は、絶対に観てください!

ここから先は、映画の中の好きなシーン、残念ながら映画に収まらなかった原作の魅力などを紹介していきたいと思います。
ネタバレが苦手な方は映画を観てからもう一度読みにきてください!




******以下ネタバレ******

のんさんのはまりっぷり

のん(能年れな)さんよかったですね、とってもハマってました。
僕は「あまちゃん」も観てなかったし、彼女が出ている作品はテレビも映画も一度も観ていないんです。ただ、偶然観た「しゃべくり007」というバラエティに彼女が出てたのを見かけたことがあります。天然で、ぼんやりしていて、正直トークとかあんまり上手じゃなくて、「この子が本当にあの今有名な女優さんだろうか…?」と思っていました。
ほわほわしているすずに、あのほわほわした口調がうまくハマってくれました。それに、演技力かなり高いんですね。喜怒哀楽の表現がすっごい上手でした。特にふとした困った感じの“哀”と、随所にみせる“楽”はよかった。楠公のくだりなど、声だけでドヤ顔が浮かんできました(笑)

映画と漫画の違い

漫画版では説明が最低限で、気を抜くと気づかないような奥行きがあります。逆に映画版は、原作を読み込んだ人間からすると説明過剰に思える時もありました。
これは映画と漫画(月刊誌)というジャンルの違いのせいですね。漫画だったら「ん?このシーンって…?」と思ったら読み返したり、じっくり考えたり出来ますが、映画では問答無用にストーリーが進んでいきますから。

たとえばあの不発弾のシーンは、原作ではたったこれだけです。

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ほんの一瞬!このスピード感!この不吉な最後のコマ!!

説明らしきものは、次のページ、真っ暗な中「こりゃ時限爆弾じゃの」「おーい誰か 手を貸してくれー」という台詞だけ。(ちなみに、次のページと言いつつ実際にはここで回をまたいでいるので、リアルタイムの読者はここで一ヶ月待たされたわけですね…。)
映画版のドキドキが高まっていく感じもよかったけど、漫画版の急転直下は衝撃だったなぁ…。こんな展開になるなんて予想もしてなかったもん…。

他にも、漫画版だと周作の気遣いがわかりにくかったり。

映画版だと「周作、この柱はあんたが?」というわかりやすい台詞があるけど、原作版は読者もすずと一緒に「?」と首をひねる構成になっている。(その分見つけた瞬間が嬉しいわけですが)

あと細かいところだと、周作がすずを嫁にもらいに初めてやってきたシーン。
周作父のセリフが原作版だと「この子がこっちの学校に通うとる頃に決めたんじゃ思いますが」ですが、映画版だと「この子がこっちの学校に通うとる頃に見初めたようで…」と変更されており、どこかで偶然出会ったことが強調されています。
正直、原作では初見では気づかなかった人もいたかと思います。映画版なら、子供シーンも同じ声優を使っていますし、見逃す人も少なくなったのでは?

「観る度に発見がある」という玄人好みの映画もいいですが、多くの人にすべてを楽しんでもらうには、これくらいの丁寧さは好印象ですね。

映画版のいいところ

「ここは映画版の方がよかった!」と思う点を挙げていきます。

時代考証のレベルがあがった

こうの史代さん一人が主だって描いていた漫画と違い、映画は多くの人が関わり、時代考証もやり直したことでしょう。僕がオッと思ったのは玉音放送のシーン。
原作では茶の間のラジオを五人の女性が囲んでいますが、映画ではラジオを茶の間に置き、五人は縁側に並んで正座していました。現代の僕らからみると過剰に思える天皇陛下への敬愛が現れていたいいカットでした。

カラーになって表現力が増した

なにを当たり前のことをと言わないでね。。
序盤の「波のウサギ」の絵を描くシーンなんかは、カラーになることで絵の魅力がより伝わってきました。また原作に比べて絵が段々仕上がっていく様子を眺めることができて、特に丁寧にウサギを描きこんでいく時間は趣があってよかったです。
その直後、広い集めた薪の上にそっと置かれた一輪のツバキも、とても鮮やかでよかったですね。原作よりずっと印象に残りました。

そのせいで、原作では全然気づかなかったけれど、おばあちゃんが用意してくれた嫁入りの着物もツバキ柄だと気づきました。
偶然、なのかなあ…。
僕の想像ですけど、すずちゃんがこのエピソードをおばあちゃんに話したことがあったとしたら…?そしておばあちゃんが二人が結ばれることを想像して、ツバキの柄を選んだとしたら!

…なんてまあ、妄想しすぎですね(^^;)

あったとしてもせいぜい、「あの時のエピソード以来、すずがツバキを好きになった」とか。あるいは「以前からすずはツバキを好きで、水原がそれを知っていた」とかですかねー。

あと、後半の口紅を塗るシーン!ここよかったですね!品のある赤い唇は、カラーで観れてよかったと思いました。
(この口紅についても口述します)

飛行機襲撃シーンの迫力

あまり派手なシーンはないこの映画だけど、ここは珍しくアクションしてましたね(笑)まあ、ここの迫力が上がったからといって物語の魅力が大きく変わるわけではないですが、ここを盛り上げておいたからこそ、

「はよ伏せい!爆弾の破片が飛んでくるぞ!!」

「おお、わしらの二千馬力がよう飛んどる…。」

「………」 <え?死んじゃった…?!

「うわあああああああん、びっくりしたよおおお」

この流れは最高でした。会場でも受けてました。
僕も正直、「まさか別展開…?」と少し思ってしまった。
お父さん、回想オーラだし過ぎです!(笑)

原作の方が好き!というシーン

言いたいことはわかる!りんさんの話は待つんだ!あとでちゃんとするから!

お姉さんの描写。

映画の時間の都合上、お姉さんの描写が結構削られてしまいましたね…。原作ではもっとお姉さんの描写を掘り下げています。とっても味のあるキャラなんです。

丸ごと一話お姉さん!の相談室の回だとか。

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特にこの「少国民 七歳」の質問が…。涙

他にも、娘に教科書を買ってあげようと探し回るエピソードも丸ごと削られています。

それにしても、キツいお姉さんでしたねえ(笑)すずさんが泣いたり愚痴を言ったりするシーンがないからそこまでヒドくないように感じるけど、いやいや、言ってることはたいがいヒドいですよ…。
ただ、原作ではすずにもっと温かく接しようと顔をひきつらせながら優しい声をかけたりと、お姉さんなりに努力している描写もあります。息子関連のエピソードもかわいそうで、どうにも憎めません。

それになにより!映画版では右手を失ったすずが実家に戻ろうとするシーンでセリフがわずかに削られているのです。

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この「ただ言うとく」以降のセリフ、お姉さんの頼もしさ、心の奥の優しさが伝わってきますが、映画版ではカットされてしまいました。うーん、このシーン好きだっただけに、ここは残してほしかったなー(悩)

小ネタ

楠公飯食べたときのリアクション
いや、映画でもしっかり笑いが起きていたので、全然問題ないんですけど。
原作のこのコマが好きなのです・・・(笑)

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あと楠公さんの「まぢうまし」が地味に好き。

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リンさんの話

原作ファンの皆様お待たせしました。お待ちかねリンさんのエピソードです。
映画でもリンさんは登場するし、四角くちぎられたノートなどエピソードの片鱗は出てくるのですが…、原作ファンからしたら丸ごとごっそり削られてる感覚ですよね。
実際、原作はざっくりこんな構成になっているんです。

上巻:幼少期と嫁入り
中巻:リンさんとのエピソード
下巻:はるみさんの事件と終戦

リンさんが物語にしめる割合はこんなに大きかったんですよね。
でも、これをそのまま採用すると3時間強の映画になってしまうから、さぞ断腸の思いで諦めたんでしょう。僕も「リンさんのエピソード入れるからどこ削る?」って言われたら、選べないもんな…。

遊郭通りでの出会い

映画でも再現されていましたね。道に迷ったすずをリンが道案内し、絵を描いてあげるシーンです。遊郭の女性たちからふわふわ飛んでくる花がとても上手に再現されてましたね(笑)
「あいすくりん」の絵が描けなかったすずが、また描いて持ってくるとリンに言いいます。しかしリンは「こんなとこ さいさいくるもんじゃない」と俯いて返します。

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その後、映画ではその言葉に従い来なかったようですが、原作では再びリンさんを訪ねた未来が展開さていれます。一種のパラレルワールドと言えるかもしれません。

二度目の訪問

産婦人科の帰り道、すずはリンの元に約束の絵を届けに行きます。リンは大喜び。絵の隣に描いてある字が読めないので、すずに説明してもらいます。(当時は義務教育であったものの、家庭の事情で学校へいけない子も多かったそうです。)

字が読めないのでは、名札を書くのも大変だというすずにリンが「そりゃ大丈夫 ええお客さんが書いてくれはった これ写しゃええん」と大切に首から下げた巾着から名札をみせます。

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お返しにすずも地面に名前を書いて自己紹介をします

「ほー、じょー…」
そしてリンさんはじっと考え込んで

「すず!さんじゃね?!」
と返します。
僕は今の今まで、「スズ」がなかなか読めなくて考え込んでいたのだと思ってました。(もちろんその可能性も残ってますが…。)

続いて、すずは、産婦人科にいってきたが、妊娠ではなく栄養不足による生理不順だったとこぼします。「周作さんも楽しみにしてたのに…」と落ち込むすずにリンが聞き返します。

「………周作さん?」

ここでもリンの意味深な間があります。
それによくよく考えると、聞き返すのもおかしいような。話の流れで旦那とわかるだろうし、それに聞き返すなら「旦那さん?」じゃないでしょうか?

その後リンは子供が出来なかったことに落ち込んでいたすずを元気づけ、微笑みかけてこう言います。

「何かが足らんくらいで、そうそうこの世界から居場所はなくなりゃせんよ」

…名言ですね。
この物語のタイトルに込められた意味は、彼女のセリフが代弁してくれてたんですね。

そして元気になったすずを見送りながら、彼女はあの巾着を取り出し、握りしめます…

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いや~、初見の時はちっとも気づかなかったけど、意味深なシーンが盛りだくさんでしたね!それなのに、事情を知らないと何でもない仕草に見えてしまうなんて、憎い演出です!巾着を握りしめるシーンも、意識しなければそこまで不自然な描写ではありませんし。…すごい!
そういえばこうの史代さんの漫画は「心の声」をほとんどつかわない気がします。表情や仕草で表現してこそ、という哲学なのでしょうか^^

屋根裏の茶碗、おばさんの失言

周作のおばが物資疎開で荷物を運んできたときのエピソードです。
屋根裏にいったすずは、リンドウの花の絵がついた茶碗を見つけます。
それについて、「嫁にきてくれた女性にあげようと買ってあった」と述べる周作。

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またおばさんがせっせと働くすずをみてしみじみ言います。

「あうあわんと好き嫌いは別やから」

「一時の気の迷いでへんな人に決めんでよかった」

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爆弾発言に凍り付く一同。

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まるで一般論にも聞こえますし、周囲の人も「好き嫌いは別やから」なんて失礼発言にどん引きしているようにも見えます。

すべてに気づくすず

嫁にきてくれた女性にあげようと買ってあった“リンドウ”の茶碗。
親切な人が書いてくれたというノートの切れ端。
ふとすずの頭を不吉な想像が走ります。

dsc_1882

たしか…あのノートは…一番最後のページが…

確かめに走るすず。その結果は…

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立ち尽くすすず。

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ついに判明した衝撃の事実。読者も立ちすくんだ瞬間でした。1ページ丸ごと使って描かれている、とても印象に残る一コマです。
さてここまでわかると、今までの伏線から、いろんな事情が見えてきます。

  • 周作はリンはただ恋仲なだけでなく、結婚を真剣に考えていた。(→リンドウの茶碗を買っていた)
  • その思いは家族の知るところとなるが、リンが遊郭の女であることから断念させられた。おそらく一族総出の説得となった(→おばさんも知るところとなる)
  • リンもその全てを聞いていたか、気づいていた(→大事そうに持つ巾着。「北條」、「周作」という名前に意味深な反応)
  • その後、リン以外の相手との結婚を周作は拒否し、どうしてもと言われ昔偶然出会ったすずの名をあげた…?もしかしたら無理難題のつもりだったのか…??(→母親が最近足を痛めたことから、結婚を急ぐ必要があった。)
  • つまりリンと結婚できないなら、という理由ですずが挙げられた…?!

「そりゃ四つもはなれとるし、色々あってもおかしゅうない…」
すずは呟くが、相当なショックだったことでしょう。

幼い日に出会ったことがある相手を捜していた…という情熱的なエピソードをすずがどれほど大事にしていたかはわかりません。でも他の相手がいた、それも結婚を真剣に考えていた相手がいたというのはきついでしょうね…。
それも、「お互い好きなのに周りが引き裂いた」と言う未練が残りそうな結末!うわー一番いやなパターン!

「知らんでもええことは、なんで知るまでそうとわからんのじゃろ…」

すずの呟きが切ないです。

…今フッと思ったのですが、僕が知らないだけでうちの嫁にもそう言う相手がいたりしたのでしょうか?(ーー;
うっかり冗談半分に聞いて「ぎくっ」とされたりしたらショックなので、聞くことはないでしょうが…(笑)

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ショックのせいか、うまくできない2人。
こうの史代さんは意外とこういうシーンをさらっと描いてくるので、どきっとすることがあります(笑)

再び遊郭街へ

すずは、リンにりんどうの茶碗を渡そうと再びリンの元へ出かけますが、お客さんの元へ行っているらしく会うことが出来ません。
りんの同僚が声をかけてくれたので、彼女に茶碗を託し、彼女は立ち去ります。

彼女は水原の「お前べっぴんになったで」と言うセリフを回想します。

「水原さん、あんたは笑うてくれたが うちは未だに苦いよ」

「周作さん うちはなにひとつリンさんにかなわん気がするよ……」

いやあ、このシーンすずの性格の良さが滲み出ていますねぇ…。怒るとか嫉妬とかじゃないんですね。男性作家がこんな描写をしたら、「都合のいい女」なんて批判をされるんじゃないでしょうか(笑)
男性からしたらとても健気でかわいらしく感じるのですが、この誰も責めることが出来ない性格故、よけいにすずの苦しさが際だってしまいます。

花見での遭遇

花見に公園に来た時、すずは偶然リンに会います。二人は桜の樹の上によじのぼります。
リンは彼女に茶碗の礼を言い、すずは答えます。

「夫が昔買うたお茶碗なんあれ… なんかリンさんに似合う気がしたけえ」

すずに背を向け俯くリン。

既にリンはすずの夫がかつて自分と恋仲だった周作だと気づいていたはずです。その妻が、自分に向けて買ったであろう茶碗をわざわざ届けてくれた…。きっと自分と周作とのかつての話も全て飲み込んだ上で…。

しかし振り向いたリンは、なにも気づいていないような朗らかな笑顔でした。
そして彼女はすずが茶碗を託した同僚が亡くなったことを告げ、その形見である口紅をすずに渡します。(映画にも出た口紅はこれです…!!)

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そしてこう言います。

「ねえすずさん 人が死んだら記憶も消えて無うなる。無かったことと同じになる。それはそれで贅沢なことかもしれへんよ」

リンは遠回しに、秘密にしておこうといいます。この場合秘密にしたいのは「すずが周作とリンの関係に気づいたこと」ですよね…。おそらく、言わない方が二人のためだ、わざわざ蒸し返すこともないという意図なのでしょうか。

桜の樹を降り立ち去るりん。桜の枝でよく見えませんが、周作らしき人とばったり会い、別れていく様子が見えます。

周作は言います

「おかげでわしも知り合いに会うた。笑うとって安心した」

ああ、やっぱりリンはすずの旦那がかつての自分の恋仲だと理解していたのでしょう。もし不意打ちだったら、そんな余裕のある対応は出来なかったんじゃないかなぁ。…いや、女性はその辺シビアだったりするから案外すっかり過去の思い出になってるのかな。

そしてそれを見たすずの一言

「うちも、周作さんが笑うとって安心しました」

周作はりんのことを過去の思い出と片づけられた。すずも桜の樹の上それを悟り、もやもやした気持ちが楽になって安心したんでしょう。「笑うとって安心しました」っていいセリフですよね、何気ない会話のやりとりの中に深い意味が込められた、こうの史代さんらしい、いいシーンでした。

これがひとつの決着になったのか、りんの描写はなくなります。
*これらのエピソードは原作中巻に載っています。

それからのエピソード

下巻にはりんが直接登場するシーンがありません。もっぱら激しくなった戦争に翻弄される市井の人たち、空襲、晴美ちゃんの事故など、映画と変わらず物語は流れていきます。

しかし、空襲の被害がひどくなる中、すずが思い詰めた表情で周作にこんなことを告げるシーンがあります。

「双葉荘の白木リンさんが無事か見てきてくれんやろか…。お友達なんです…。」

もちろん言葉通りの意味に解釈するわけにはいきません。このセリフは周作に大して「りんさんとの関係を知っている」と遠回しに告げるようなものです。

なぜこんなことを言っちゃったのだろう。秘密にしておくんじゃなかったの??
正直僕はこのときのすずの気持ちを正確に理解することができていません。
晴美ちゃんと右腕を失ったショックで、自暴自棄になったのでしょうか?自分の存在価値がわからなくなり、美しい日常というものを信じられなくなり、周作にりんのことを黙っておく価値を見いだせなくなったのでしょうか。
自分の目の前で愛しい人を亡くす苦しみははかりしれません。それも、自分が手を繋いでいながら…。

それでも、すずはお姉さんからの優しい言葉もあり、その家に留まり、周作との暮らしを続ける道を選びます。

りんさんのその後については、原作でも明言されていません。亡くなったのを示唆するかのような描写もありますが、僕には確信がありません。どこかで飄々と生きていたらいいなあとも思います。

そして、この作品が伝えたかったこと

りんと周作の過去を知ってしまったすずは、切なそうに呟きます

「知らんでもええことは、なんで知るまでそうとわからんのじゃろ…」

また玉音放送の日、すずは涙を流します。いつか勝つために我慢していたのではなかったのか?国を信じて犠牲を堪えてきたのではなかったのか?今まで信じていたものは、嘘の幻想だった…

「うちはなんも知らんまんま死にたかったよ…」

もしかしたら「この世界の片隅に」は、すずが「知りたくなかったこと」に出会っていく過程だったかもしれません。

夫の過去、大切な人を亡くす悲しみ、信じていたものが嘘だった喪失感。
知りたくなかった現実に何度も直面しながらも、それでも彼女は歩き続けました。たまにはぶらぶらと寄り道をして、時に立ちすくんで。

この世界の片隅に、山の麓の一軒家で、「いつも通り」の日々の営みを築くこと、笑って過ごすこと。
それこそがすずの、いえあの街に住むみんなの“戦い”だったのでしょう。

戦時中という非日常だからこそより鮮やかに浮かび上がったのは、当たり前だと思っていた「幸せな日常」でした。
僕らがついつい忘れがちになる大事なことを思い出させてくれました。

表紙の秘密

最後に、この作品を紹介してくれた子がこっそり教えてくれた秘密を紹介します。
原作漫画の下巻の表紙には、小さな仕掛けが隠されているんです。

髪を短く切ったすずが屋根の上で嬉しそうに寝転がっています。
本の帯をはずして、カバーを広げてみてください。

dsc_1854

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わかりますか?
この絵、すずに“右手”が描かれているんです。

髪を短く切っているけれど、右手は無事。
この絵、すずに訪れたもう一つの未来だと思うと、なんだか嬉しくなります。

最後まで読んでいただいてありがとうございました!

ぜひ手にとって確かめてみて下さい


こうの史代さんの漫画では『長い道』が最高傑作だと思う
もうひとつの「結婚」を描いた物語です

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