『希望の灯り』ネタバレ考察・感想/物語に隠された監督の意図とは

映像美もさることながら、なにより“優しくて暖かい”物語でした。

それぞれ辛さを抱えている人々の、職場の中での交流、ささやかな幸せを支えに生きていく姿を観ていると、暖かな気持ちになれました。

ドイツ語本来のタイトルは“In den Gangen”。
直訳すると「通路にて」という意味になります。

これはこれで趣のあるタイトルだとは思いますが、たしかに日本だといまいちインパクトがないかもしれません。

『希望の灯り』という邦題は映画の核心を突いていて、なかなか思い切った名訳だと思います。

(余談ですが、なぜかベルギーでは『通路での愛』というヒドいタイトルにされたそうですw)

観終わった後は、不思議な暖かさと穏やかさで包まれたものの、なかなか考えさせられた映画でした。

実はこの映画は背景を掘り下げてみると、いかにも“ドイツ人らしい”、問題意識を持ったまじめな作品だったのです。

「家」と「職場」

社会人になるとどうしても、映画の登場人物達と同様に、毎日が家と仕事の往復になりがちです。基本的にはその二つしか世界がないわけです。

もちろん友人や趣味の繋がりという、第三のコミュニティに属している人もいますが、大多数の人は「家と職場」が人生の大半を占めています。

まぁ、僕自身は職場にも家族にも恵まれ、それで十分満足しているのですが、もちろんそうでない人もいます。

映画の登場人物は二つの世界のうち「家」で問題を抱えている人たちでした。

「孤独な前科者」、「夫がDV」、「奥さんに逃げられ一人暮らし」

ブルーノの自宅に訪れたシーンでは、食卓の周りの転がる無数の空き瓶に、ぎゅっと切ない気持ちになりました。彼はどんな気持ちであの瓶を空けていったのでしょう…。

ショッピングセンターの奥にある生け簀の前で、ブルーノは「こいつらは売れるまでずっとこの中だ」と言いました。

「売れる」とはすなわち食用になって死ぬことを意味します。

どこにも行けない真四角の箱の中からずっと出られず、そこから旅立つときは死ぬときだけ…

まるで自分たちの人生を例えているようでした。

彼らは自分の未来を考えてつらい気持ちになりながらも、「職場」の仲間の暖かさに癒されることで、なんとか生きていけたのかもしれません。

では「職場」が暖く癒しの場所であるわけでもなく、私生活でも生きにくさを抱えてしまった場合どうなるか。

これって、非常にツラい状況になりますよね。
どちらも苦しいと、どんどんフラストレーションが溜まっていくのです。

 

趣味や友達の繋がりという第三の世界があればまだマシですが、誰もがそんな“逃げ場”になる世界を持っているわけではありません。

むしろ、社会人になって家庭を持ってからというもの、趣味や友達に会う時間は激減しちゃったしなぁ…。

 

そんなとき、ついついスマホでSNSの投稿を眺め、いいねを押したり、まとめサイトやニュースで政治家の不祥事や中国・韓国の横暴に腹を立ててみたりしがちですよね・・・そんな経験はないでしょうか?

それを踏まえた上で、監督の意図と東ドイツの事情に踏み込んでみたいと思います。

 

東ドイツの労働者の事情

トーマス・ステューバー監督は、この作品が“労働者層の物語だ”と明言しています

ただし、この映画の舞台がライプチヒという旧東ドイツの街であることを考えたとき、『労働者層』という言葉には少し注意が必要です。

彼らはほんの30年前まで「社会主義国の労働者階級」だったのです。

彼らはわずかな年月の間に、社会主義国の労働者階級から資本主義国の労働者層へと、変化を強いらてきました

(ちょっと脱線しますが、ブルーノの苦悩を理解するのに必要なのでおつき合いください)

 

ドイツが東西に分裂していた当時、ライプチヒは工業で発展した東ドイツ第2の都市でした。

しかし繁栄や自由への憧れから、民主化(資本主義化)を求める大規模なデモが多発します。

結局、政権は民主化の圧力に屈し、政権幹部は辞任、ベルリンの壁が崩壊したのです。

月曜デモ
 
ライプチヒで毎週月曜に行われた“月曜デモ”は最初は600人程度の規模だったが、次第に人数が膨らみ、最終的には20万もの人々を動員した大規模デモに発展し、東ドイツ民主化運動の原動力となった。

 

しかし、せっかく民主化を達成したものの、その後の生活はバラ色とは言えませんでした。

東ドイツにも資本主義社会の企業が進出しましたが、旧東ドイツの人々がその幹部になれるわけではありません。

むしろ成れ親しんだ企業や商品が駆逐され、東ドイツの人々は低位の労働者層として雇われるしかなく、生活の一変を余儀なくされたのです。

マリオンと旦那が白く小綺麗な家に住み、ずっと以前からここで働いているブルーノが郊外の古びたボロ屋に住んでいるのが対象的でしたね。

また、主人公達が廃棄された商品を食べていたのにも、本質的に貧しいという理由もあるのです。

収入だけでなく、尊厳の問題もあります。

そもそも共産主義国家では基本的に「資本家」がおらず、労働者階級が支配階級という考え方でした。

資本主義と比べて効率は良くなかったかもしれませんが、自分達が社会の主人公で、自分達のために自分達が働くという意識を持てていたのかもしれません。

それがいつの間にか自分は「雇われの低所得労働者」に身を落とし、苦しんでいる・・・

「こんな世界を求めてデモをしたわけではない」というフラストレーションがたまっているのは想像に難くありません。

 ブルーノがトラックドライバーの時代を懐かしんでいた理由が、少し理解できたでしょうか。

 

現在、東ドイツの労働者層は、「置き去りにされた」とフラストレーションを感じ、過激な方向に走り始めています。

ライプチヒでは、ポピュリズム政党が台頭し、外国人移民の排斥を訴える激しい排外デモが頻発していることで有名になっています。

ポピュリズム政党
 
大衆に迎合して人気をあおる政治姿勢。極端に単純化した争点を掲げ、「敵」への不満や怒りを煽る特徴がある。

 

これって、先ほど述べた「スマホを観ながら政権批判や外国人批判に同調する」と似たような空気を感じます。

もちろん、ネットで記事を読むだけの人と、デモを行って他者を攻撃する人たちでは大きな差があるのですが。

しかしどちらにせよ、彼らは満たされていないからこそ、不満を口にするのです。

 

監督は何を言いたかったか

さて、ようやく監督の言いたかったことに辿り着きました。

 

皆さんは「東ドイツで激しい排外デモを繰り返す労働者層」「ポピュリズム政党に投票する人」をどんな目で見てましたか?

狭量で自己中心的な人?
弱者に攻撃的な、時代遅れ?
優しさの足りない人?

 

監督はインタビューでこう述べます。

「今作の登場人物はみんな、今の近代的な社会にはもう居場所がない、と感じている。
(中略)
 例えばブルーノのようないい人たちの多くがもしかしたら、選挙でとんでもない政党に投票しているかもしれない。
 ただ、だからって彼らはよくない人たちなのか?いや、いい人たちだ。だからこそ難しい」

 

そう、監督が描きたかったのは、激しい排外デモで悪名高くなってしまった東ドイツの労働者層の、本当の姿だったんです。

主人公やブルーノたちは、苦しみながらも身を寄せあい、ささやかな幸せをわかちあう、優しい人たちでした。

東ドイツの労働者層は、本来そんな人たちなのです

 

監督はライプチヒで生まれ育ち、自らも一緒に働いた経験を持っています。

近年の「排外デモで悪名高い東ドイツの労働者層」というイメージにずっと違和感を持っていたのでしょう。

たぶんこの映画で、彼らのような人たちの別の側面を理解することになる。それが今作の考え方だ。

監督のインタビューより

 

彼らは決して狭量な悪人などではありません。

これからそんなニュースを耳にしたとき、あのスーパーマーケットの同僚たちを思い出すことが出来れば、また違った見方が出来るのではないでしょうか

 

排外主義やポピュリズムの台頭は日本でも他人事ではありません。

いえ、そこまで政治的な堅苦しい話でなくても、「私生活」にも「職場」にも暖かみを感じられない人、孤独に苦しんでいる人は確実に増えています。

 

今、「帰ったらひとりぼっち」という人はとても多いです。

昔と比べてDVこそ減ったと思うのですが、「結婚して家庭をつくる」という常識は崩れつつあります。

晩婚化、未婚率の上昇、離婚の増加など、家族を作らない人が確実に増えているのです。

 

「職場」でもまた、人は孤立しつつあります。

仕事も終身雇用が当たり前だった時代は終わり、“換えのきく労働力”として派遣やパートの活用が増えています。

「職場は家族」という意識はどんどん減っています。

 

この映画は、そんな“家でも職場でも孤独”な人が増えている現代に、とても刺さると思うのです。

 

彼らはどこへ救いを求めたらいいのでしょう。

この映画のようには、上手くいかないものでしょうか。

いや、あのショッピングモールは幻想的でしたが、全くの幻想ではないはずです。

 

自分でも、職場で出来ることはあるはず。

この映画では「職場だけでも暖かくあれば、それが一人一人の救いになる」という“希望の灯り”が示されました。

それを信じて、周りの同僚に優しくありたいと思うのです。

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