現代日本人の感覚だと、正直どうして彼女がここまでの人気を得たのか理解しづらいかもしれません。
しかし、実際に映画を鑑賞したり、当時の時代背景を考えてみると、いかに彼女が特出した存在であったかがわかってきます。
順番に見ていきましょう。
実際は結構かわいい
まず大前提として、一般的にイメージしているマリリン・モンローはこんなのだと思います。
コッテリしてて、
けばけばしくて、
“アメリカ”感に溢れていますね(笑)
しかし実際に映画に出てくるマリリン・モンローは、そういったイメージとは違います。普通に可愛らしい見た目の女の子なんです。
まぁ、たしかに日本人の女の子と比べたら濃いめの顔立ちではありますが、そこまでドギツい顔ではないですよね。
コッテリメイクでうっとりと目を瞑ったシーンばかりがピックアップされるので勘違いされがちですが、実は彼女は、現代日本でも十分通用する美少女(!)なんです。
実際、スクリーンの中の彼女はとてもかわいらしいです。肉感的な体を持ちながらも、童顔・小柄で人なつっこく、くるくると表情豊かで、どこか子供っぽい雰囲気を感じます。
合コンに来てたら真っ先にロックオンされるような、ゆるふわな女の子なんです。
男心をくすぐるキャラクター
また、当時の人気には「マリリン・モンローが好き」というより「マリリン・モンローの演じるキャラクターが魅力的」という面が多分にあります。
「演じるキャラクターなんて、作品ごとに違ってくるんじゃない?」と思うかもしれませんが、当時は役者ごとに決まった型の役を与え続ける「タイプキャスティング」が主流でした。
マリリンは、出演するほとんどの映画で、判で押したように似たようなキャラクターを演じ続けたのです。
ある二枚目俳優はいつも男らしくて陰のある主役を、
ある迫力ある顔の役者はいつも悪役を演じるのです。
日本の撮影所全盛期の「銀幕のスタア」をイメージするとわかりやすいかもしれませんね。
そしてマリリン・モンローが演じ続けたのはどんなキャラクターか?
それは一貫して「どこか天然で隙が多く、なぜか主人公に心引かれていく人懐っこい女性」です。ゆるふわなのです。
さらに、彼女の演じるキャラクターは、とにかく男性にとって「都合がいい」女性でした。
たとえば『お熱いのがお好き』では、大富豪のフリをした主人公に簡単に騙されて一夜を共にします。
その上、なぜか嘘がバレても主人公に首ったけです。
『七年目の浮気』ではタイトル通り、妻子持ちの男相手にも“全然OK”な空気を出す、一人暮らしの女の子です。
妻子が留守にしているときに部屋に遊びに来て二人でお酒を飲み、気がつくとなんだかいい雰囲気に…という子です。ちょろい。
まったくもって彼女は終始「男にとって都合のいい女」なのです。
それにしても、当時はこんな都合のいい女が男性にもてはやされたかもしれませんが、現代にこんなヒロインを描いたら批判は免れないでしょう。
女性から見たら侮辱的な扱いとすら言えるかもしれません。
しかし、実は現代でも同じような女性像が乱立するジャンルがあるんです。
どこか天然で隙が多く、
なぜか主人公に心引かれていく人懐っこい女性…
そう、アダルトビデオの世界です。
男性諸君はご存じの通り、アダルトビデオは男性にとって非常に都合のいい展開が繰り広げられています。
これらのコンテンツに登場する女性たちはみんな
①隙が多く、
②なぜか主人公に夢中になり、
③体を許すことへのハードルが異常に低いんです。
…なんだか、似てませんか?
もちろん、マリリン・モンローとアダルトビデオをイコールで繋いでしまうのはあまりに乱暴でしょう。
彼女は性的な刺激だけに頼らず、卓越した演技力を武器に男性を魅了していたわけですから。
しかし、マリリンを形容する“みんなの恋人”というフレーズを考えると、両者は驚くほど似ています。
ちなみに当時は後述の規制により、アダルトビデオもポルノ映画も(一般的には)存在しません。
あの時代、マリリンこそが、男性諸君の相手を務める“みんなの恋人”だったのです。
刺激的な映像
さらに言えば、彼女を「みんなの恋人」たらしめたのはキャラクターだけではありません。
その露出度も、過激さも、当時の時代を考えると前代未聞…とまではいかなくても、かなり刺激的だったのです。
あの時代のおしゃれな女性の服装は、こんな感じ。
あるいは、こんな感じです。
ところが、ステージにあがる歌手役とは言え、マリリンの服装はこう(↓)ですよ。
そして背中はこう。
別の衣装。
ぴっちりとした衣装と白黒映像の妙で、一瞬どこまでが布でどこまでが素肌か誤解してしまうくらいです。(むしろそれを狙っているのでしょうが)
ちなみに1枚目の画像は、「不感症の大富豪(のふりをする主人公)を興奮させるため、あの手この手で挑む」という大層けしからんシーンだったりします(笑)
今ですらドキドキさせるシチュエーションですが、実はこれ、当時の映画界では非常にセンセーショナルな事件だったのです。
1940~1950年代にかけて、ハリウッドには性描写や暴力を禁ずる「ヘイズ・コード」という非常に厳しい倫理規定が存在していました。
ヘイズコード(一部)
・3秒以上のキスを禁止
・ヌードの禁止
・好色なアピールの禁止
・男女が同じベッドにはいることを禁止
…現代から考えるとびっくりの内容ですね。
(当然、ポルノ映画も制作できませんでした)
ところが、1959年にマリリンが主演を務めた『お熱いのがお好き』では、この規定を逆手に取りました。
・3秒以上のキスを禁止 →3秒未満のキスを連続して行う
・ヌードの禁止 →安心してください、ヌードに見える服です
・好色なアピールの禁止 →不感症の“治療”であってアピールではない
・男女が同じベッドにはいることを禁止 →男性が女装してたので、マリリンは男と気づかず同じベッドに入る
なんという屁理屈、もとい策士!(笑)
しかし結果的に、刺激的な内容が人気を呼び、「お熱いのがお好き」は爆発的なヒットを記録しました。
そしてこれをきっかけにヘイズコードは次第に力を失い、形骸化していきます。
20年以上もアメリカ映画界を縛り続けたヘイズコードは、マリリン・モンローによって終わらされたといっても過言ではないのです。
「マリリン」のイメージを守る
そしてもう一つ、マリリン・モンローは映画の外でも「みんなの恋人」という自分にあてがわれたイメージを保ち続けていた点です。
現代の女優さんのように「役柄」と「自分自身」を分けて考えるのでなく、インタビューでも私生活でも、映画の役さながらに振る舞いました。
「寝るときは何を身につけるのですか?」という質問に対しての、「シャネルの5番よ♪」という返しは有名ですね。
朝鮮戦争時には、派遣された米軍の青年たちを慰問するため、現地を訪れました。
もちろん事務所のイメージ戦略という側面もあったでしょう。
ともあれ、彼女はどこまでも「みんなの恋人」であることを徹底し、成功しました。
どこか「恋人禁止」を謳う日本のアイドル界を彷彿とさせます。
もっとも、マリリンは恋人どころか結婚すら(何度も)してたわけですが、演じてきた役柄のおかげか、大きなダメージにはならなかったようです。
(映画の役柄どおりの性格なら、たとえ夫がいても“チャンスがありそう”ですもんね)
その後、「第二のマリリン」と呼ばれる存在は何人も現れましたが、誰も彼女に並ぶことは出来ませんでした。
マリリンが、アメリカを代表するセックスシンボルとして一世を風靡したのは、彼女の実力だけが理由ではなかったのでしょう。
もちろん卓越した演技力と、幼さと肉感が同居する美貌と、人懐っこいゆるふわな雰囲気を兼ね備えていたのはたしかに天性のものでしたが、時代も彼女に味方しました。
作品外でも「みんなの恋人」を演じ続けられたのは、マスメディアが脆弱で作品外でもイメージを守れる時代だったからだし、
いつも同じような役柄を演じ続けることができたのは、そうであることを期待される時代だったからでした。
なにより、刺激の少ない時代だったからこそ、彼女の作品の数々が革新的で刺激的な名作としてもてはやされたのです。
最後に…
最後に、少し悩みましたが、彼女が36歳の若さで夭逝してしまったことも、理由の一つとして付け加えておきたいです。
ジェームス・ディーンのように、尾崎豊のように。
若くして儚く散った切なさが、彼女たちを老いることのない伝説に留めているのかもしれません。
でも、そうであったとしても、彼女にはもっと長生きしてほしかったなぁと思ってしまうのですが。
それにしても、映画をいくつか観ただけで、70年後の僕にすら「魅力的だったよ。もっと長生きしてほしかったな…」と思わせてしまう愛嬌…。
やはりこれこそが彼女の最大の魅力なんでしょうね。