アカデミー賞で作品賞を取るほどの作品ですが、観た後に感じたのは「清々しい感動」でなく、「チクリとした悲しみ」でした。
僕はそれこそが、この作品の狙っていたところだと思います。
でもこの邦題では、その狙いは伝わらないんです…!
あらすじ
1841年、奴隷制廃止以前のニューヨーク、家族と一緒に幸せに暮らしていた黒人音楽家ソロモン(キウェテル・イジョフォー)は、ある日突然拉致され、奴隷として南部の綿花農園に売られてしまう。狂信的な選民主義者エップス(マイケル・ファスベンダー)ら白人たちの非道な仕打ちに虐げられながらも、彼は自身の尊厳を守り続ける。やがて12年の歳月が流れ、ソロモンは奴隷制度撤廃を唱えるカナダ人労働者バス(ブラッド・ピット)と出会い……。
yahoo映画より
予告編
67点
まずはネタバレなしの紹介です。
このタイトルとあらすじで、だいたい物語は想像つくかと思います。自由黒人の身分だった主人公が、奴隷として捕らえられ、12年の捕らわれの日々の後、自由を取り戻す…。
ま、だいたいあってます。
ただ、大切なのは彼の脱出物語だけがこの物語の良さではないってことです。
この映画の魅力は、あの時代の“体感”なんですよ!
「奴隷制度」という日本人にとって、もしかしたら現代のアメリカ人にとっても実感しにくい制度をリアルに描写したところです。
昔から、何となく不思議だったんですよね。
なんで黒人は奴隷の地位に甘んじていたんだろうとか、白人たちは黒人を奴隷にすることに違和感を感じなかったんだろうかとか。
そして、個人的に疑問だったのは、いかに家畜同然に扱っていても同じ人間同士なんだし、白人の男性は黒人女性を魅力的に感じたりしなかったのかな…という点です。
黒人にもかわいい女の子いるだろーに、奴隷として扱えるのかなって。(女好きな発想でゴメンナサイ…)
この映画で、そんな疑問に答えがみつかった気がします。
映画ではいくつかの家族の、黒人奴隷に対する接し方が描かれていました。黒人に対して比較的優しい家族もいれば、残酷な扱いをしている家族もいました。
なにより、時代の空気というか、あの時代の白人がなにを「当たり前」「しかたがない」と信じていたかを察することができる貴重な映画だったと思います。
登場人物の一人、パッツィーという黒人の女の子が実在の人物かはわかりませんし、脚色もされていると思います。それでも、あの時代、あんな事件は十分に起こりえた事なんだという“空気”は理解できました。
「あの時代ではそれが当たり前だった」って、怖い心理ですよね。
戦時中とか考えると日本も他人事ではないんだけれど…。
映画の中で「自由黒人」っていう聞きなれない単語がでてきます。
なんていうか、「名誉白人」並の人をバカにした言葉ですよね!
そんな言葉を、皆が当たり前のように使っているんですよね。悪い人も、いい人も。
狂った世界で、みんなが至極真面目に暮らしている、そんな時代の空気を、体感してほしいと思います。
映像は、教科書の文章なんかよりもはるかに説得力を持ちます。
詳しい文献を読むという手もありますが、本を読むのが好きな子ばかりとは限りません。
残酷な描写を含むことからR指定もされていますが、歴史を学ぶ一つの教材として、ぜひ若い人たちに観てほしい映画の一つです。
(まあ、うちの3歳児と一緒に観ちゃったのは、ちょっと早すぎたなーと思ったけどね!こんな展開だってわかんなかったんだよ!)
*****
「それでも夜は明ける」は、音楽の、ブルースのルーツを体感できる映画でもありました。
いったん話が横にそれますが、テニス漫画「ベイビーステップ」43巻に「サンバ」についての説明をするシーンがあります。
「元々はアフリカから連れてこられた奴隷労働者達によって19世紀の終わりごろから始まったって説が有力らしいの。…てことは奴隷として「苦しい」立場だった人達はどうしてサンバを踊ったと思う?」
「「苦しみ」から解放されるため…!?」
漫画では「音楽・リズムを掴めば苦しい闘いの中でも力を発揮できる…」と続いていきます。
なるほどなー。自転車旅行をしていた経験からも、うなずける話です。頭の中で歌を流すと、ペダルがスムーズに回るというのは確かにあります。
つい最近これを読んだばかりなので、この映画で随所で口ずさまれているブルース(あるいは、その原型)を聞いてはっとしました。
wikipediaにはブルースについて「19世紀後半頃に米国深南部で黒人霊歌、フィールドハラー(労働歌)などから発展したものといわれている。」なんて書いてありました。
たしかにその通りなのですが、これを読んだだけではなぜ彼らが歌を歌っていたのか、どんな境遇に置かれていたかまでかは想像できないですよね?
まして、どんな状況で、どんな表情で歌っていたのかまではわかりません。
彼らの心情には絶対に届かないんです。
「ルーツを知る」って、そーゆーことだと思います。
劇中で歌われていた「Roll Jordan Roll」。
あれから、何となく口ずさんじゃいます
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この映画では、周囲の風景までピントのあった、奥行きのあるショットが多用されていました。
主要な登場人物だけでなく、農家の庭先の様子、点在する奴隷小屋や、生活する黒人奴隷達を画面の片隅に捕らえているんです。
そのため、知らず知らずに観客はあの時代にタイムスリップしたかのような、体験したかのような感覚を覚えるんです。
「あ、こんな食事なんだ」
「こんな部屋で寝泊まりしてるんだ」
「休みの日はこんな感じなんだなー」
「こいつら…幸せなのかなぁ…」
ぜひ、彼らが苦しみ、諦め、その中でも日常を彩るべく歌を歌ってのだというあの時代の“空気”を体感してほしいと思います。
以下、ネタバレを含む感想となります。
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邦題が問題
記事にタイトルにもあげた邦題の問題について語りたいと思います。
「それでも夜は明ける」というタイトルからは、希望を捨てなければ、きっと夢は叶うというニュアンスが感じられます。
この映画を主人公ソロモンの奇跡の脱出物語と考えれば、悪くないタイトルかもしれません。「ショーシャンクの空に」みたいなものかね。実際脱出できたんだしね。
でも、まずこの脱出劇が腑に落ちないんです。(特にうちの嫁は大変ご立腹でした。)
ソロモンの脱出方法は「自由黒人の証明をしてもらうこと」でした。
えー…(・ω・`)
「人間としての尊厳を認めさせる」のではなくて、「俺は奴隷黒人じゃなくて自由黒人なんだぜ」という訴えを認めさせただけなんです。
これって結局、ソロモン自身が「奴隷黒人」への差別は認めているようなものじゃないでしょうか。
いや、わかってます!ソロモンは悪くないって!彼もつらくて仕方なかったんだって!
だから彼は訴訟もして、地下活動もして奴隷黒人の逃亡を助けてたんだって、ラストに語られていましたし。
でもさ、こんな結末で「それでも夜は明ける」はないじゃん!
全然夜明けてないじゃん…!
パッツィーだって、他の奴隷だって、捕らわれのままだし、悪い白人に天罰もくだっていないんです。
パッツィーと黒人たちのその後
パッツィーのその後を想像すると、悲しくて仕方ありません。
ソロモン(プラット)に逃げられた怒りを、八つ当たりでぶつけられたかもしれない。
エップスからの性的暴行の末、妊娠させられていたかもしれない。
(というか、途中で出てきた幼児は彼女の子なのでしょうか??年齢考えるとおかしい気もするけど…)
実は映画を観てる途中、「もしも日本が戦争に負けたりとかして、うちの娘が奴隷になってしまったら…」なんてつい想像して、娘とパッツィーをダブらせてしまったんだけど、もう、本気で後悔しました。
あのね、これから映画を観る方は、パッツィーと自分の娘をダブらせるのだけは、絶対にやめた方がいいです。これはまじで。
悲しくて苦しくて、胸が痛くて…。うっかり想像なんてするんじゃなかった…。
彼女が幸せになれたのか気になって気になって、パッツィーのその後について、調べてみましたが、見つけることは出来ませんでした。そりゃそうだよなー…。
一応検証してみると、ソロモンが奴隷になっていたのが1841年から1853年の12年間ということと、ルイジアナ州が南北戦争に敗北し奴隷解放宣言を受け入れたのが1862年ということを考えると、推測ですが、彼女の地獄はあと10年近く続いていたということになります…。(自ら命を絶っていなければ、ですが…)
やばい。泣ける。
奴隷解放後だって、黒人にただちに幸せが訪れたわけではなかったそうです。土地も財産も教育も持たずに放り出された黒人達には極貧という第二の地獄が待っていたそうです。
農業をやろうにも、白人農家から土地を借りなければいけません。その対価はどうやって払うんでしょう?そもそも、南北戦争に負けたからといって、白人達が昨日までの態度をころっと変えてくれるとは思えません…。守ってくれる警察だって、白人なのです。
あぁぁぁ、パッツィーは幸せになれなかったのかな…。゚(゚´Д`゚)゚。
ついでにいうと、その後ルイジアナ州では、なんと1960年代まで実質的に黒人の参政権はなかったそうです。
1960年代ですよ!?あれから100年以上の月日がたっても、黒人達は人並の扱いをしてもらえなかったんですね…。
もうね!そんな状況を踏まえて「それでも夜は明ける」なんて希望に満ちたタイトルよく言えたなと!
全然明けてないんだよ!
原題は「12 Years a Slave」ですよ。「奴隷としての12年間」ですよ。別に夜が明けたとか言ってません。ただ奴隷制度の実態を描いたことを表明しているだけなんです!
主人公サイモンも、なんとか無事に助かったものの、エンドロールで「死因、場所、状況は全て不明」と不自然な説明がされており、黒人解放運動家として暗殺された可能性を示唆しています。
彼もまた、幸せになったとは言い切れないんです。
この邦題こそ、物語の趣旨を誤解させ、観客を間違った方向に誘導しちゃった元凶だと思います。
ふつうに『奴隷としての12年間』でいいじゃん!売れないだろうけどね
その他の感想
パッツィー役のルピタ・ニョンゴさんの無垢な存在感が素晴らしいですね。思わず「さん」付けで呼んでしまったくらいです。僕が娘をダブらせて観ちゃったことを抜きにしても、迫真の演技でした。僕の中では文句なしに助演女優賞です。
だからこそ、彼女の悲劇が胸に来るんですが。
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アカデミー賞作品賞(一番重要な賞)を受賞しました。
芸術性、ストーリー性よりアメリカの国民感覚や世相を反映されがちなアカデミー賞らしい受賞ですね。
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首吊りシーンが相当に尺が長くて、観てるこっちが息苦しくなりました(´・ω・`)
あのシーンはやばい。周りの見て見ぬ振りの空気もやばい。トラウマ。
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あと、冒頭のシーンで、奴隷小屋の中で女性がサイモンに胸を揉ませるシーンが出てきましたね。直後に泣き出しちゃう奴。
あれ最初奥さんかと思ってたので、違うと知ったときに激しく衝撃を覚えました。
彼女がどんな心境であんな行為に及んでしまい、そして泣き出してしまったのか…
こういう形でも、人間の尊厳を傷つけていたんですね…
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終盤でブラッドピットを出したことについては、僕はちょっと好きじゃないです。知名度高すぎて、「あ、ブラピ?ブラピだ!(・ω・)」って急に現実に引き戻されちゃいました…。
もともとパラマウントが
「こんな暗い映画、商売になんねーよ…」
と放り出したのを、ブラピの制作会社「プランBエンターテイメント」が
「いや、この物語こそ映画にして後世に残すべきだ…ッ!」
と制作を手がけてくれたそうなんです。ブラピ、現実でもいい奴やんけ…!
でもまあ、そこはそれ。
彼が出た方が興業的には有利でも、なんだかあまりに正義の味方すぎて、興ざめでした(・ω・)
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「黒人は人間じゃないから殺しても罪にならないんだぜ!」という方便を使った罪の意識からの逃避の仕方は、肉食文化とキリスト教の結びつきが関係あると睨んでいます。
「人間(白人)だけが万物の霊長であり、それ以外は下等な生き物である」という意識が魂の奥底にあるんでしょうかね。
参考:映画『ハッピーフィート』への批判 ◆キリスト教と肉食と動物愛護
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子供(四歳、三歳)と一緒に観る映画ではなかったですが、彼らがもっと大きくなってから、ちゃんと観てほしいと思いました。
そして「夜は明けたと思うか?」と聞いてみたいです。