日米の若者観の違い/『あの頃ペニーレインと』が日本で売れなかった訳

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これって、アメリカ版の「リリィシュシュのすべて」かもしれないな、と思いました。
表紙とタイトルから完全に恋愛映画と勘違いしていましたが、蓋を開けてみたら、ティーンエイジャーを描く映画の傑作じゃないですか!!でも、なぜだか日本では対して人気になっていない…その原因を考えてみました。

※ネタバレ感想ご注意ください。

まず最初に、タイトルが悪い。

邦題は『あの頃、ペニーレインと』ですが、原題だと“Almost famous”
どっちも簡単な英単語ですが、直訳しちゃうと「ほとんど有名」になっちゃって何が言いたいのか全くわかりません。えいごって難しい。

実際には英語で「ブレイク寸前」といった意味合いの使われ方をしているようです。
(ちょっと映画のタイトルっぽくするなら『明日にはブレイク』なんてどうでしょう。)

これ、『あの頃、ペニーレインと』と『明日にはブレイク』では、タイトルの意味合いがかなり変わってきますよね?

邦題だと、ペニーレインとの関係性、恋愛感情に重きを置いています。
事実、僕と嫁もタイトルから「ははぁ、これは恋愛映画だな」「私、今日は恋愛映画が観たい!」と勘違いして、観てみたんです。

思いがけず面白い映画が見れたので結果オーライではありますが、このタイトルでは「恋愛映画が観たい人」は観てくれても、そうでない人は敬遠してしまうのではないでしょうか?
少なくとも、嫁が観たいと言わなけりゃ、僕だって観なかったぞ!

そして恋愛映画を期待した人の中には「(恋愛映画としては)イマイチだったな…」という感想を持って映画館を後にした人も多かったはず…。
完全にターゲットがずれちゃってますね!

もちろん、ペニーレインとの恋愛要素もそれはそれで重要な位置を占めていましたが、この映画が描きたかったのはそれだけではなかったはず!

初めての旅、

年上の大人たちと築いた友情、

ペニーレインとの恋愛、

記者として一人前に評価されること、

束縛の強かった母親からの自立。

これら全部ひっくるめて、この映画の魅力なんです。何者でもなかった子供だった主人公ウィリアムが、“一人の大人”になっていく、輝かしくて甘酸っぱい軌跡こそ、この映画の醍醐味なんです!

だからこの映画のタイトルは、『あの頃、ペニーレインと』ではなく『明日にはブレイク』(Alomst famous)の方がぴったりくるんじゃないでしょうか。

…一応、バンドとしてのブレイクと主人公が一人の大人になる(まさにブレイク寸前)って意味をかけてみたり、「明日には」の部分にバンドやペニーレインの中途半端さと明日への希望をこめてみました。自画自賛。

日本とアメリカの若者観の違い

そしてもうひとつ、この映画が日本でそこまで受けなかった要因に、日本とアメリカの若者観の違いがあります。

あなたなら、この映画の主人公を表現するなら、あるいはこの物語のテーマを一言で表現するなら、どんな単語を使いますか?

・少年の成長物語

・もう子供じゃない、まだ大人じゃない

・思春期の衝動

・かけがえのない青春

・15歳の思い出

・“一人の大人”になっていく、輝かしくて甘酸っぱい軌跡(←さっき使った表現)

…ざっと、こんな表現になってくると思います。僕の語彙力ではすぐに思いつくのはこれくらいです(・ω・`)

でも英語には。これらのニュアンスを一語で表す単語があるんです。

それは、“ティーンエイジャー(teenager)”です。

ティーンエイジャーとは語尾に「-teen」がつく13~19歳の若者を指します。そのまま解釈したら単なる年齢区分でしかないのですが(日本ではほとんど年齢区分として使われていますね)、実際には思春期・子供から大人に移り変わる微妙な時期というニュアンスで使われます。

また、アメリカではほとんどの州で18歳から「成人」と見なされます
つまり、ティーンエイジャーを経たら、すぐ次が成人・大人なんです。

ティーンエイジャーという単語には「何者でもなかった子供が、いろんな事にぶつかりながら、一人の大人になっていく時期」という意味が込められているんですね。

一方、日本ではどうでしょう。ティーンエイジャーと同様の単語はあるのでしょうか。
思春期? 未成年? 青年? 中高生?

まず「未成年」は論外です。
0ー19歳をざっくり括っているだけで、刑法上の用語でしかありません。

「青年」というのもしっくりきません。
たしかに17~19歳は青年と呼べるかもしれませんが、20代でも「青年」ですし、13~15歳は「青年」と呼ぶには若すぎる。
それに、「青年」には、“素行不良ではない”というニュアンスが込められている気がします。
“子供”っぽくないけど、“大人”ではない、品行方正な若者。それが「青年」です。

一方「思春期」はどうでしょう。
異性への関心、衝動。親への反発。アイデンティティーの模索。思春期独特の特徴は、ティーンエイジャーの特徴とほとんど一致するかと思います。

しかし、思春期は10代の“はしか”としか思われていない節があります。
「思春期=反抗期」という解釈だったり「荒れたり色気づく時期あるよね~」と片付けられてしまうのです。

なにより日本では、思春期を抜けても成人として扱われるわけじゃありません。一般的に思春期は13~17歳。成人は20歳。
「子供ってそういう時期あるよね。まぁしばらくしたら落ち着いた子に戻るんだけど」としか思われていないのです。
あなたは思春期を抜けた子を大人と見なしていますか?

やはり「思春期」もティーンエイジャーの概念とは似て非なるものなのです。

このように、日本には「ティーンエイジャー」に該当する概念そのものがありません。これは、単語がないというだけでなく、日本の若者に対する考え方を示唆しています。
多くの日本人は「成人=20歳」を区切りとして、子供と大人がきっぱりと分けているんです。
でも、これっておかしなことですよね。

みなさんも経験ないでしょうか?
10代の少年たちがどれだけエネルギーをぶつけようと、ただの「子供の反発」としてしか考えない社会。20歳までは子供としか扱わおうとしない大人たち。

子供はどうやって大人になるのでしょうか?
どうも日本の社会では、「成人の日を迎えたら勝手に大人になる」とでも思っている節があります。
(あるいは、成人の日から徐々に大人の階段を昇り出す、と。遅いよ!!)

ティーンエイジャーは、すでに大人になりかけているのです。

日本には、それを認める風潮に欠けています(断言)
だからこんな素晴らしい「ティーンエイジャーの映画」を観ても、ただの「青春記」「美しい思い出」としか考えられないんです。

初めての旅、大人たちとの友情、恋愛、仕事、自立、脱童貞
この映画一本の中で、彼がどれだけ大人になったか!

ティーンエイジャーの概念の理解、そして、ティーンエイジャーへの温かいまなざしがないと、この映画の素晴らしさはわからないんです。

映画『リリィシュシュのすべて』の思い出。

日本でもティーンエイジャーを描いた素晴らしい作品があります。

高校生の頃、同級生の熱い薦めをうけて、岩井俊二監督の『リリィシュシュのすべて』を映画館に観にいきました。
たしかキャッチコピーは、“17歳の、リアル”でした。

インターネット、恋愛、援助交際、いじめ、自殺、憧れのアーティストの初ライブ…。
彼らの混沌とした高校生活は、僕ののほほんとした平穏な毎日とはかけ離れたものでした。

ところが、この映画は当時高校生だった僕のハートを鷲掴みにしました。自分とは全く異なる境遇にも関わらず、彼らの抱えていた「ティーンエイジャーの葛藤」が余りにも理解できてしまったからです。

いろいろと見解はあるでしょうが、彼らの悲劇は「ティーンエイジャーをこじらせてしまった」ところにもあるかもしれません。
ティーンエイジャーは大人になろうとするとても大きなエネルギーを持っています。持て余してもいます。
それに蓋をせず、上手に導き、見守ってあげるのが、周りの大人の務めではないでしょうか。

その点、映画『あの頃ペニー・レインと』では、ウィリアム少年の周りの大人たちの態度が素晴らしかったです!
ロック評論家のレスターはウィリアムにしっかり向かい合ってアドバイスを与えていました。ロックバンド・スティルレインのメンバーたちもウィリアムを一人のライターとして、自分たちと同等に扱っていました。なんだかんだ辛口だったローリングストーン誌の編集部だって、15歳の彼を子供扱いせず、大人同様のレベルを求めていました。

あるいは、こういった環境に恵まれていたから、ウィリアムは「ティーンエイジャーをこじらせずに」済んだのかもしれません。

日米の若者感の違いといいつつ、想像の中で日本を卑下し、アメリカを美化しているかもしれません。
でも、日本のティーンエイジャーが、ウィリアムのような幸運をつかめるでしょうか…。大人の中に混じり、一人前に扱ってもらい、友情を築き上げるなんてとても思えない。現実味がないんです。

それこそが、日本でこの映画がヒットしなかった最大の原因ではないでしょうか。

気がつけば、自分も導く側。責任は重いですね。。

おわり

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