『ベロニカとの記憶』ネタバレ考察・解説/原作や和訳の違いで意味が変わった?

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観る前の印象とはちょっと違いましたが、面白い映画でした!
よくある『老境においてノスタルジックに振り返る系』かと思っていましたが、サスペンス的な要素もあり、心にずずーんと来る重さもあり、良い映画を観たなあという気持ちにさせてくれました。

ただ、物語の核心部分については、あえて全ての真実を明らかにしない手法をとっていました。
まあ、それこそがこの映画の大きな魅力でもあり、「おそらくこうだろうな」という想像もつくのですが。

でもやっぱり本当のところが気になっちゃうのも確かです。
細かい謎を、一つ一つ検証していきたいと思います。

なぜセーラは日記を贈ろうとしたか

ベロニカの母・セーラ(※)は自身の死に際して、主人公のトニーにエイドリアンの日記(と、少々の お金)を遺品として託しました。(※僕が観た映画では「セーラ」でしたが、サラと表記する場合もあるようです)

なぜ彼女が日記を遺したのか、なぜベロニカはそれを渡そうとしないのかが物語の前半の謎でした。しかし背景が明らかになった後も、セーラ自身の思いは明らかにされていません。

映画のセリフ(というか手紙)には「自分でも理由は分かりません」と出てきました。
いろんな気持ちが交錯して、自分自身でも整理が出来ていなかったのでしょう。

でも、いったいどんな気持ちが交錯していたのでしょう。

1.トニーを恨んでいた説

セーラがエイドリアンと関係をもっており、好意を抱いていたとしましょう。
若き日のトニーの手紙がエイドリアンを苦しめ、死に追い詰めてしまったと知り、恨んでしまった説です。

もちろん、関係を持ってしまった自分自身への反省もあり、彼だけを恨んでいたとは思えません。しかしだからこそ、長年誰にも吐き出せず、胸の奥で燻り続けていても不思議ではありません。
日記を読め!あの手紙がいかにエイドリアンを苦しめたのか知れ!という気持ちです。

ただし、この説は不自然な点があります。
「トニーが手紙を送りエイドリアンが自殺した」という経過を考えれば、わざわざ日記を送らなくても、普通の人は即座に罪悪感にかられているはずなんです。むしろ、綺麗サッパリ記憶から抹消しているトニーのほうが例外的であり、セーラはトニーが手紙の件忘れていることは知らないはずなんです。
すでに罪悪感にかられていようが、あえて言いたかった可能性はあるかもしれませんが。

2.エイドリアンは恨んでいなかったと知って欲しい説

エイドリアンの日記に何が書いてあったかは、最後まで分かりませんでした。
しかし、もしもその日記に「僕が自殺するのは彼女の母に手を出したことを耐えられないからだ。トニーはどうか罪悪感にかられないで欲しい」という記述があったらどうでしょう。

きっと罪悪感に苛まれているだろうトニーにこれをみせれば、気持ちが楽になるはずです。(実際のトニーは記憶を改ざんして無かったことにしていましたが)
いよいよ天国に旅立つセーラが、彼の苦しみを取り除いてあげたかったのかもしれません。

そんな都合の良いこと書いてあれば、ですが…。

3.彼の苦悩に向かい合うべきよ説

イカレた母親ではありますが、一方で80年以上を生きた人生の先達者でもあります。
エイドリアンの日記に「手紙に苦しんだ」という記述があろうと、彼が何を考えていたか、ちゃんと知るべき、向かい合うべき、人生を終える時に大切な事だから…と思っていた説です。

4.今まで見せられなかった説

これは非常に可能性が高いと思っています。
トニーも、観客も、エイドリアンとセーラが関係を持っていたことを知りませんでした。
ベロニカもトニーに知らせるつもりはなかった様子ですし、介護士の人が言わなければ一生気づかなかったでしょう。
本当は、墓の下まで持って行くべき秘密だったのです。

二人が関係を持ったのは、セーラの恥でもありますし、エイドリアンの恥でもあります。ベロニカの恥にだってなります。
それにもしも事実が広まれば、エイドリアンの死の原因が自分だと世間に公言するようなものです。

しかし、「今まで見せられなかった理由」にはなっても、「あえて今見せる理由」にはなりません。

5.誰かに知って欲しい説

まもなく自分がこの世を去ると悟ったセーラが、誰かに知って欲しかったという説です。

自分とエイドリアンが関係を持ったことを知って欲しい。
エイドリアンがなにを考え生きていたか知って欲しい。
自分たちが生きていたことを誰かに覚えていて欲しい。

このまま誰にも言えず、存在したとすら知られず、この世から消滅してしまっていいのか?
なんとも言えない不安に駆られるのも、ありえそうな気がします。

結局どの説なのか?

実は原作の小説では、セーラは一緒に送ったお金のことを手紙の中で“blood money”と書いています。
ひどく物騒な表現ですが、なんとなく意味が分かるとおり、

1死罪犯の引き渡し賞金.
2殺人償金 《殺害に対する慰謝料》.
3(殺し屋への)殺人謝礼金.

といった意味があります。
複数の意味がありますが、もしも3の殺人謝礼金って意味だと思うと、めちゃめちゃブラックな皮肉ですね…。完全に恨んでるやん…。
原作準拠で考えると、「トニーを恨んでいた説」を採用したくなります。

しかし僕は、この単語が映画版では削除されている点に注目したいです。
手紙の中の一言に過ぎず、小説通りの表現をしてもまったく問題がないはずです。
あえて削除したからには、“ただの恨みだけが原因”と考えて欲しくない意図があるのではないでしょうか。

僕個人は「誰かに知って欲しい説」が一番しっくり来ています。この映画の原題が『The Sense of an Ending』ということから考えても、老境における心情はこの映画のテーマになりうるのではないでしょうか。

なぜベロニカは日記を焼いたのか

本当に焼いたのかはさておき、なぜトニーに渡そうとしないのでしょう。

1.自分で持っていたい説

随分昔とはいえ、愛し合った男の遺品です。手放したくない気持ちもあるかもしれません。
実はこっそり持っていたりして。

2.二人の関係を知られたくない説

前述の通り、トニーは本来セーラとエイドリアンの関係を知るはずがありません。
セーラの恥、エイドリアンの恥、そしてベロニカ自身の恥です。
彼女としては墓の下まで持って行きたい秘密。日記を焼き捨てるに十分な理由です。

私にも母の行動は理解不能よ

ベロニカ

娘の彼氏を寝取るわ、それを他人に告げようとするわ…。
そりゃ理解不能ですわ…。

3.怒っている説

すごくシンプルに、「お前に日記を受け取る権利はない」と怒っているからという説です。
やはりあの“おぞましい手紙”がショックだったし、エイドリアンを追い詰めたひとつの要因として許せなかったのではないでしょうか。
あの手紙をわざわざ渡しに持ってきた点も見逃せません。

結局どの説なのか?

僕個人は「二人の関係を知られたくない説」が有力と考えています。
怒っている、という可能性もありえますが、二人で待ち合わせて言葉を交わしていたり、単純に「怒っている・恨んでいる」とはちょっと違うと思えるのです。

最初は「読んでも傷つくだけだからあえて隠したんじゃないか」と優しさが理由と思ったのですが、ベロニカは遺品を受け取った段階では、トニーが手紙の一件の記憶を封印してることに気づいていないはずで、ちょっと辻褄があいません。

「少なくとも私にはその内容を知る権利がある」
「法的にはイエス、道徳的にはノー」

カフェでのトニーとベロニカの会話

この会話を聞くと、「道徳的にお前にそんな権利はない=怒っている」ともとれますし、「道徳的に知って良いことではない=二人の関係を知られたくない」ともとれます。

あの手紙は自殺の原因か

妻から「あの手紙が自殺の原因かな?人の彼女を取ったんだから、恨まれたり、あんな手紙が来るってことも予想できたんじゃない?」と指摘がありました。彼女を裏切ったら同じ事しかねんなるほど一理あります。

ただ、エイドリアンとしては当初トニーが書いてたような優しい手紙か、そうでなくても「嫌われちゃうかもな」くらいの想像だったんじゃないでしょうか。まさか、あそこまで悪意バリバリの手紙が来るとは。

さらに、手紙にはベロニカとの肉体関係まで記載されています。
しかも「別れた後」ということは、自分の交際時期と被っている可能性すら…。

そんなわけで、あの手紙だけが自殺の原因とは言えませんが、精神的に不安定になってもおかしくない、かなりのショックだったんじゃないでしょうか。

なぜベロニカは別れた後に体を許したのか

結局させてあげなかった罪悪感、同情、ちょっとした気の迷い。
僕の知人も似たようなケースで、別れてから初めて“させてくれた”ことがあるそうです。女の子ってよくわからん。

またつきあってた当時は未経験で怖かったけど、エイドリアンと交際して初体験を経験して、「思ってたほど怖いものじゃないんだ」と心理的にハードルが下がった可能性もあります。

あと、別れて望みを絶たれて、ガツガツしなくなったからとか?
やっぱり女の子ってよくわからん。

なぜ離婚したのか/トニーに対する考察

なぜトニーと元妻が離婚したのか。これもやはり劇中では明言されていませんが、いくつかのヒントはあります。

curmudgeon

ひとつは娘が父親トニーに向かって言った「カーマジェン(偏屈)」というあだ名です。ちなみに分娩台で1回、映画のラストで1回、合計2回言ってます。

英和辞書で“curmudgeon”を調べると、次のような意味が出てきます。

頑固で、愛想が悪く怒りっぽい、つむじ曲がりの老人

トニーについて映画を観ている限り、そこまで「愛想が悪い」「怒りっぽい」とは感じません。
しかし、「頑固」という点では大いに問題があると思えます。

「頑固」な人とは、言わば何があっても考えを曲げない人です。
“意志が強い”という意味で良い作用をすることもあれば、頑なに自分の失敗を認めないという負の側面もあります。

エイドリアンに出した手紙の記憶を改ざんしていたのも、「二人を引き合わせたのは自分だ」と思っていなかったのも、彼の「自分の責任だと認めたくない」という無意識が原因ではないでしょうか。

そこまであからさまな記憶の改ざんがなくても、こういうタイプと一緒に生活するのは結構なストレスです。

「絶対に意見を曲げてくれない」
「絶対に自分の判断が間違っていたと認めない」
「自分の責任だと反省しない」

日常生活のあちこちで、溜息をつきながら奥さんが譲歩する姿が想像できます。(そして、トニー自身は譲歩してもらっているとすら気づいていない!)

また、頑固な性格とは“変化を嫌う性格”と言えます。あえて強い言葉を使えば“変化に臆病な”と言っていいでしょう。

どうもこの手のタイプは、今まで使っていたものを捨て、新しいものに手を出すことを苦手とします。たしかに「もっといいものがある」と認めることは、「今までの自分の判断は間違っていた」と認めることと似ていますからね。
彼らは自分の今までが判断を間違っていたと認めたくないばかりに、頑なに挑戦せず、自分の環境を変化させることも嫌がるのです。

この映画は2017年公開ですが、トニーは今でも古いタイプの携帯電話を使い続けているし、SNSを知りません。音楽はCDプレーヤーで聴きますし、よーくみてみると、目覚まし時計すら学生の頃から同じものを愛用しています!

最初は、彼のシンプルでレトロな生活スタイルは洗練されたがゆえの上質なものと思っていました。
しかし映画が進むにつれ、「彼は生活の中に新しいものを取り入れるのを頑なに拒んでいただけなんじゃないか」と思えてきました。

彼の職業も象徴的です。
カメラや写真がストーリーにそこまで深く絡まないのに、なぜ彼の職業を「フィルムカメラ“だけ”の店」にしたのでしょうか。
時代遅れだろうとお金にならなかろうと、“変化するのを拒む”ことを強調したかったんじゃないでしょうか。

僕の勘ですが、トニーは海外旅行とか行ってくれないタイプだと思います。特に途上国は絶対嫌がりそう。

capacity for survival

私は失うのも得ることもせず、
傷つくのを避け、それを自己防衛と呼んだ

これは映画のラストで、トニーからベロニカへの手紙の中の一節です。
傷つくのを避け、という表現には先ほどの頑固さと通じるものがありますね。
他の部分も特に違和感はないのですが、実は英語ではこんな風に表現しているのです。

I, who neither won nor lost, who avoided being hurt, and called it a capacity for survival.

注目して欲しいのは“capacity for survival”です。
日本語では“自己防衛”と訳していますが、これ、すっごく微妙にニュアンスが違うと思うのです。

すごくわずかな差なのですが…。
日本語での“自己防衛”と表現すると、「仕方ないんだ」というどこか言い訳っぽいニュアンスがあるように思えます。
一方、英語で“capacity for survival”だとどうでしょう。直訳すると“生き抜くための能力”です。どちらかと言えば、自分の能力を誇らしげにしているように聞こえませんか?

  1. 私は失うのも得ることもせず、傷つくのを避け、それを“自己防衛”と呼んだ
  2. 私は失うのも得ることもせず、傷つくのを避け、それを“生き抜くための能力”と呼んだ

どうでしょうか。前者のほうが謙虚で、後者は若干偉そうに感じないでしょうか。
頑固で、意見を変えず、変化を恐れ、挑戦もしない。そんな自分を“自己防衛”と呼ぶのなら、「ああ、自分が臆病なことを分かっているんだな」って感じがします。
しかし、胸をはって“生き抜くための能力”と言われると、「コイツ、つまんないやつだな」と思ってしまいます。

トニーが常々そう言っていたかはわかりませんが、そんな空気を滲み出しているとしたら、奥さんだってこれからも一緒にいたいとは思わないでしょう。

もしかしたらトニーは離婚を切り出された時も、淡々とそれを受け入れ「流れには逆らわない。一人だって気が楽。俺は“生き抜くための能力”に長けた人間だからね」と嘯いていたのかもしれませんね。そりゃ、ふられるわ…。

最後に

この映画の原題は『The Sense of an Ending』です。
Endingとは、もちろん人生の終わりのことでしょう。

老境のトニーが自分の生涯を振り返ってどう思ったか。
病室で元妻に謝罪する時、非常にシンプルにまとめられていました。

君に謝りたい
退屈で面倒な男だった
君とスージーは私の人生の宝だ

今まで人生の中で、自分のせいで失ってしまった事への“後悔”と、自分がちゃんと得ることが出来た“幸福”。それらを端的に、そしてこれ以上なく的確に表現しています。こういうところはさすがイギリス最大の文学賞をとった小説を原作とするだけあります。

そして彼はこう続けます。

これでも私なりに自分を変えたいと…

この映画の最高な瞬間は、ここなんだと思うんです。

すごくないですか?もう、彼の人生は終わりに向かっているんですよ。それでも今更「自分を変えたい」だなんて、すごい勇気じゃないでしょうか。
しかもあのトニーが!自分の責任を直視できず、変化を怖がり続けていた彼が、「自分を変えたい」って言ったんですよ!!

彼自身の証言がなければ本当の理由は分からない
真実は謎のまま
どんな知的考察もそれは変えられない

素敵な物語でした。

映画の中にあったエイドリアンのセリフのとおり、この記事でどれだけ考察したところで、歴史の真実もこの映画の真実も、“それを知るのは不可能です”。
それでもなぜか、同じように知ることができないはずなのに、この物語の“未来”は、断言できると思えちゃうんです。

ーーーこの先トニーは幸せになったか?

ーーーたぶんね!

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