ネタバレ考察:ジョーカーとタクシードライバー

映画『ジョーカー』は往年の名作『タクシードライバー』から大きく影響を受けていると言われています。実際にこの二つの映画にはどのような関係があるのか、じっくり考察してみました。

あらすじの比較

まずはざっくりとあらすじを比較してみましょう。

ジョーカー

主人公アーサーは「急に笑い出す」神経症を患っており、自分を邪険にする社会を憎んでいた。

職場をクビになったこと、地下鉄内で暴行してきた相手を拳銃で殺害したこと、虐待の過去が明らかとなったこと、憧れのコメディアンに馬鹿にされたことをきっかけに暴発し、自らコメディアンを銃殺する事件を引き起こす。

しかし暴徒と化した民衆は彼を英雄視した。

タクシードライバー

主人公トラヴィスは不眠症を患っていた。“汚れた”社会に嫌悪感を抱いていた。

女性にふられたこと、強盗現場に立ち会わせて犯人を拳銃で殺害したことをきっかけに、“俺が社会を浄化してやる”と暴発し、自ら売春ヤクザを銃殺する事件を引き起こす。

しかしメディアや民衆は彼を英雄視した。

こうやってみてみると、どちらも社会に不満、ふたつの銃殺事件、英雄視 というステップを辿っており、物語の構造はかなり似ていますね。

 

さらにタクシードライバーの映画で非常に印象的だった指鉄砲で頭を打ち抜くジェスチャーが『ジョーカー』でも多用されており、「この映画は“タクシードライバー”に影響を受けたんだよ」というメッセージが感じられます。

他にも、拳銃という小道具が映画の中で重要な役割を担っていたり、上半身裸の男が部屋の中で気取って拳銃を構えるシーン、襲撃に際して奇抜な恰好をすること(モヒカンとピエロ)なども類似していますね。

 

しかし、この二つの映画は描き方が似ているようで、その方向性はかなり異なっているのです。

突き刺さる共感 憐憫と恐怖

タクシードライバーへの共感

まず意識したいのは、映画タクシードライバーの根幹には「主人公への共感」がある点です。

 

『タクシードライバー』はなかなか難解な映画で、僕も10代で初めて観賞したときは「は…?なにこの映画意味分かんない。主人公に共感??」という感じでした。

 

しかしこの年になってもう一度この映画を観ると少し理解できたというか、こんな構造だと気づかされます。

主人公トラヴィスはコミュニケーションが苦手で親しい人間もいない

好意をもった相手も自分を冷たくする

俺は孤独だ

満たされない

社会が憎い

そう、主人公は孤独だったのです。

 

主人公の女心のわからなさ、一方的なコミュニケーションはおそらく彼がアスペルガー症候群かその類の障害を抱えているためでしょう。

しかし、主人公がなぜコミュニケーションが苦手なのかは、映画の中で描かれていません。主人公も周囲も「彼は生まれ持った障害である」という認識は持っていないでしょう。

つまり主人公トラヴィスは、なぜ自分が出来ないかわからず、ただただ生きにくさを抱えていたのです。

(「やはり彼女も…」という独白から、過去に何度も邪険にされてきたことが推測されます。)

 

不眠症を患っているのが映画を理解しづらくしていますが、「主人公の本当の病はコミュニケーション障害と孤独だ」と気づくと、映画がぐっと腑に落ちます。
(詳しい解説は以下へ)

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そしてこの生きにくさの感覚こそが、多くの共感を呼んだのです。

 

決して多数派ではないものの、世の中には「なぜか自分はうまく人付き合いができない。生きにくい。孤独だ。」という苦しみを抱えている人が少なくありません。

孤独の苦しみを理解できる人にとって『タクシードライバー』は突き刺さるような共感を呼ぶ映画なのです。

 

ジョーカーへの憐憫と恐怖

タクシードライバーが『コミュニケーション下手で孤独』という一転突破なのと比較して、『ジョーカー』は、悲劇的な要素が増えています。

・ジョーカーは『突然笑い出す』奇妙な障害を持っている

・街中で少年たちに暴行される

・理不尽にクビになる

・電車の中でも難癖をつけられリンチにされる

・幼少期に虐待を受けている

・憧れのコメディアンに公共の電波で馬鹿にされる

これだけ悲劇のオンパレードだと、さすがに可哀想としか言えませんね。

 

しかしこれは逆に『共感』という要素を薄めてしまっています。

これだけの要素を並べると、さすがに「俺もそうだよ…!」という共感は難しいですよね。

 

カンヌ映画祭でタクシードライバーが上映されたとき、観客の半分はブーイングをしました。しかし一部の観客は熱狂的な喝采を叫んだそうです。

『ジョーカー』の主人公にそれほどの共感を感じた人間が、どれだけいるでしょうか?

 

逆に言えばこの映画は主人公への「共感」じゃないモノに重きを置いているということです。

この映画が何を訴えたかったか?それは差別される弱者への憐憫であり、人間の残酷な面への恐怖、そして危機感ではないでしょうか。

そう、『危機感』なのです…!

 

ジョーカーが描く危機感

タクシードライバーは1970年代・ベトナム戦争後のアメリカで作られ、

  • 社会の腐敗への怒り
  • 『正義』への懐疑
  • 社会に漂う無力感
  • ベトナム帰還兵問題

といった当時の空気を反映しています。

(詳しくはタクシードライバーの解説記事を参考してください)

 

一方で、ジョーカーが描き出しているのは2010年代後半のアメリカの空気です

では、現在のアメリカに漂っている空気とはいったい何なのでしょうか?

それが『分断』『危機感』なんです。

 

映画では新市長に立候補するトーマス・ウェインの発言に「低所得者vs富裕層」という構図が生まれ、後の火種となっていきましたね。

主人公に代表される虐げられた人間たちが、いつか世界に憎悪を抱き、暴発する危険を描いています。

 

一方現在のアメリカも、国民が様々な意味で『分断』されています。

“共和党と民主党”

“白人と有色人種”

“国民と移民”

“富裕層と低所得者層”

なにしろ、国のトップであるトランプ大統領が対立を煽るような過激発言を繰り返しています。

そして恐ろしいことにそれが多くの国民から支持されているのです。

映画『ジョーカー』で描かれた『社会が分断されている』危機感は、今のアメリカが抱えている問題そのものなんです。

 

もちろん、アメリカ人が「映画のように街を燃やし、破壊し、暴徒と化す」とまではなかなか思えませんよね。

しかし、「ピエロの仮面を被って暴動に走る市民」という描写は、匿名性を得た一市民が暴力的な意見に賛同するという現代の風潮に似ていないでしょうか?(そう、SNSです!)

 

ゴッサムシティという設定のためか、映画の中にはインターネットやSNSという要素はありませんでした。

「仮面」を得て過激になるという描写は、その代わりに用意された仕掛けではないでしょうか。

 

似て非なる主人公への賞賛

二つの映画には、『孤独は人を蝕む』という共通したメッセージが込められており、暴発した結果の凶行が街の人に賞賛されるという皮肉な結果も同じです。

しかし、その賞賛のされ方は全く別方向なんです。

 

タクシードライバーでは、新聞が「正義の味方だ!」と主人公を賞賛していました。

これは「正義って何だろう」という当時の厭世的な風潮を反映したものですが、それでも、結果として主人公の行動は「正義」だったと誰もが認めているのです。

 

一方でジョーカーでは、彼が行ったのが「残虐な悪行だ」と誰もが認識しています。

それなのに何百人もの市民から「俺たちの味方だ」と支持を集めているのです。

 

1960年代を描き出した「タクシードライバー」と、2010年代を描き出した「ジョーカー」。似たような構造の映画ながら、それぞれが描き出した時代の空気は、全く別なのです。

 

悲惨な境遇と、社会から承認されない孤独がそれぞれ凶悪な事件を産みました。

しかし2010年代の恐ろしさは、ジョーカーが産まれたことではありません。
その悪意を賞賛してしまう市民なんです。

 

匿名であるのを良いことに、大統領の過激発言に「いいね!」を押してしまう。非道徳的な意見に賛同してしまう。

虐げられていると感じる人たちが、対立する相手への悪意と攻撃性に身を委ねてしまう…。

 

いったい社会はどこへ行き着くのでしょうか?

これこそが、この映画が描く今のアメリカに漂う空気、『危機感』なのです。

 

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