とてもウッディ・アレンらしい映画でした。
ウッディ・アレンの映画には概ね共通した魅力があって、こんな感じです。
- 女優の魅力を引き出す
- お洒落な雰囲気
- 変わり者への賛歌
- ピュアな恋心
それぞれについて、解説・考察していきたいと思います。
次にウェイ・リン・スーの元ネタ奇術師のエピソード、
そして最後に、問題の映画の結末について語ります(笑)
ウッディ・アレンの映画の特徴
1.女優の魅力を引き出す
ウッディ・アレンは女性関係のトラブルが多い映画監督としても有名です。主演女優と恋人関係になったり、養子にした女の子と恋人関係になって奥さんと別れたり。(←とんでもない奴…)
しかしそれゆえに、一人の女優が秘めている女性的魅力を引き出すことには誰よりも長けているのです。
有名なところでは『アニーホール』の主演女優ダイアン・キートンとはプライベートでも恋人となり、アカデミー賞主演女優賞にも輝かせていました
『ブロードウェイと銃弾』ではダイアン・ウィーストを、『それでも恋するバルセロナ』ではペネロペ・クルスを、それぞれアカデミー賞助演女優賞に輝かせています。
『ブルージャスミン』で起用したケイト・ブランシェットは、アカデミー賞を初めとした世界中の映画賞で主演女優賞を総ナメ。(←ざっと見た感じ35個くらいとってます)
今作では、とにかくがエマ・ストーンがカワイイという点につきます。
彼女は完璧な美人というタイプではないですが、口をへの字に曲げた時の表情と、チャーミングな笑顔が魅力です。(主人公もそんなことを言ってましたね。)
今回の女優は明確に「顔の造形やスタイルより、表情」で選んだのでしょう。
さらに、女優の魅力を引き出すため、映し方も工夫がされています
ほんのりセピア色で、彩度の薄いフィルムを浸かってノスタルジックな雰囲気。
全体的に光を当て、さらにボカシの効いたふんわりとしたレンズで女優の柔らかさを強調しています。
2.お洒落な雰囲気
女性のファッション、部屋の内装、レトロな車…諸々のアイテムで当時を再現しています。
ただ時代を再現するだけでは時代劇です。
ところが、それをオシャレな雰囲気でうまくまとめることで「レトロな魅力」が出てくるんです。
正直、僕は「古臭さ」と「レトロな魅力」の違いをうまく言語化することができなくて、「なんとなくオシャレ」とか「センスが良い」としか言えないのですが。
でも、ウッディ・アレンはそれが非常に巧みです。何となくオシャレでセンスが良いのです(語彙力)
3.変わり者への賛歌
ウッディ・アレンの映画には変人・奇人・変わり者が非常に多く登場します。脇役が変人というのは他の監督でもよくありますが、ウッディ・アレンは主人公やヒロインがことごとく変人という監督なんです(笑)
この映画でも例に漏れず、主人公のスタンリーは皮肉屋の自信過剰男です。普通、映画だったらもっとまともな性格にしますよね。
実はウッディ・アレン監督自身が、なかなかの変人・奇人なのです。
自分の養女と関係を持ってしまったエピソードは先ほど紹介しましたよね。
他にも大学のレポートをコメディ風に書いたり、アカデミー賞の授賞式をすっぽかしてパブでクラリネットを吹いていた伝説などがあります。
特にアカデミー賞のエピソードを考えると、どうも、彼は「自分が変人であることを誇らしく思っている人間」に思えてきます。
実際、彼の作品の変人・奇人な主人公は、邪険に扱われることがありません。もちろんハッピーエンドをになることもあれば、切ない結末を迎えることもあります。しかしどの作品でも、彼は変人・奇人・変わり者に対して常に優しい視線を向けていることに気づかされます。
主人公もなかなかヒドい性格ですが、叔母さんを大切にしていたり、霊能力を信じた瞬間にちゃんと悔い改めたり、どこか憎めない男でしたね(笑)
4.ピュアな恋心
ウッディ・アレンの登場人物は、あるいは自信過剰の皮肉屋(本作や『アニーホール』)だったり、あるいは没落を認められない成金妻だったり(『ブルージャスミン』)、色情狂だったり(『地球は女で回ってる』)様々な変人が登場しますが、誰もが恋心にだけはピュアに向き合って、戸惑い悩んでいます。
あるいは変人だからこそ、そのピュアさが際だつのかも知れません。
自分とは一切相容れない価値観の人間が、まったく理解できない思考回路の人間が、自分と同じように恋に悩んで右往左往している…。それってなんだか、面白くないですか?
ウェイ・リン・スーのモデルとなった奇術師
ちょっと面白い逸話を紹介します。
スタンリーが舞台上で演じた東洋風奇術師ウェイ・リン・スーですが、なんと実在のモデルがいます。
長年にわたってアメリカとヨーロッパで人気だった記述師ウィリアム・エルズワース・ロビンソン、そして彼が長年演じていた中国人奇術師チャン・リン・スーです。
面白いことに、現実の彼も「霊能力者」の存在を詐欺師と批判しており、死者に連絡するトリックを明らかにする本まで出版しています。彼とこの本が、この映画のスタンリーの原型となったのですね。
彼は中国人奇術師のキャラクターを守ることにとても慎重で、インタビューも中国語通訳を通し、本人も「中国人」として生活したほどだそうです。手品師仲間は正体を知っていましたが、一般人は彼を中国人と信じ込んでいました。
ところが1918年3月24日、銃弾をキャッチする手品に失敗し、命を落としてしまいます。 “My God, I’ve been shot!” が彼の最期の言葉であり、彼が舞台で話した最初の英語でした。
問題の結末
あの映画のラスト、どうでしたか?(笑)
嫌いじゃないですが、正直僕も「えっ!?」って思いました。
もちろんハッピーエンドと言えばそうなんですが、どうもヒロインの気持ちが分からないというか、ソフィーがあんな嫌なオジサンのもとに走る説得力に欠けるというか。
まぁ僕自身も女心は苦手とするところなので、一緒に観た奥さんに聞いてみました。するとやっぱり、納得していない様子。
むしろ奥さんは、「主人公の婚約者がかわいそうや…」とそちらに感情移入してしまったようです。
ところが、それを聞いた瞬間「ん?」と思い、僕はこのエンディングがふっと腑に落ちたのです。
どういう事か言いますと、彼女は小悪魔的なヒロインより、良識的な主人公の婚約者に感情移入してしまいましたが、僕からみた彼女はむしろヒロインよりの性格なんです。
もちろん、エマ・ストーンのハリウッド級の美貌があると自慢したいわけでもありませんし、映画の中のヒロインのような蠱惑的なキャラクターをしているわけでもありませんし、僕より年上です。
でも、なーんか似てるのです。ムキになって言い合っちゃう感情型のところとか、食欲優先な所とか、時折ヘンなところで物を知らないところとか。
なにより、意外と価値観が近かったり、一緒に会話をしている時間がただただ楽しいところが、似ているのです。
ちなみに僕は妙に主人公に似ています。現実主義なところとか、皮肉屋なところとか、話が長いところとか、女心を理屈で説得しようとするところとか。
だから、こう思うのです。
主人公とヒロインは、この先たくさんケンカします。
主人公はヒロインをバカにして怒らせるだろうし、ヒロインはつまんないことで意地を張ってしまいます。
感情的になったヒロインを理屈と理論で説得しようとして更に怒らせることもあるかもしれません。だいたい三ヶ月に1回の頻度で。
二人は何度も何度も衝突するでしょう。
でもまぁ、きっと二人はうまくいくだろうし、お互いにそれを予感しているはずです。
さすがにお互いの婚約者を捨てるという決断は、真似できるかちょっとわかりません。
僕らは長くつきあってた実績もあったし、僕はあそこまで偏屈じゃないはずです。
ただ、この決断はもう、理屈じゃなくて感覚です。
「あの人は完璧じゃない。でも、一緒になればきっと後悔しない」という予感には、ちょっと共感できたりするのです。