白人の救世主問題を考える/グリーンブックがなぜ批判されたか

「白人の救世主」(英語でwhite savior)とは、「虐げられている有色人種を白人が助ける」という描写を皮肉った用語です。

映画での描写だけでなく、白人富裕層がアフリカの貧しい子供たちを助ける様子を批判する際にも使われます。

 

「虐げられている人や貧しい人を助けるのなら、いい事なんじゃない?」とも思うかもしれませんが、これがなかなか難しい問題なのです。

「白人の救世主」のどこが問題なのか、詳しくみてみましょう。

 

①過剰でステレオタイプな被害者描写

映画の中で黒人は「貧しく、教育機会にも恵まれず、苦しんでいる」という描写をされることが度々あります。

実際に恵まれない方がいるのも事実でしょう。

 

しかし当然ながら、黒人にも裕福で洗練された人はたくさんいます。

それなのに映画では判で押したように、「黒人は貧乏で低教育!」「典型的な黒人!」「守るべき対象(そして助けるのは白人)!」と描いていたら、それは確かに不快ですよね。

 

映画以外でも、「アフリカでこの写真(↓)みたいに人助けがしたい☆」という白人富裕層に苛立つ人もいます。

The White-Savior Industrial Complex - The Atlantic

 

決して悪い行いではないんでしょうが、「は?アフリカが未だにこんな状態だと思ってんの?」と反感を招くのです。

もちろんこういう地域も残ってますが、いったいアフリカ大陸の何%ほどでしょうか。

ほとんどのアフリカでは都市が発展し、市民が普通に日常生活を送っています。
もちろん貧困や衛生、教育における課題は残っていますが、アフリカ諸国が求めている援助と、この写真(↑)のイメージはだいぶズレています。

 

「アフリカを助けたい」という気持ちは、本当のアフリカの姿を知った上でのことでしょうか?

まず「こんな活動をしたい!」という思いが先に立ち、わざわざそんな地域を探し出しているんじゃないか、自分が救世主扱いされたいだけじゃないか…という批判も出ています。

 

※他にも、そもそも一時的な援助活動はむしろ自立を妨げる、という批判もあったりします。

②白人が助けた詐欺

2016年に公開された『ドリーム』は「1960年代、NASAで初めて黒人スタッフとなった女性が、人種差別に苦しみながらも奮闘し、初の有人宇宙ロケットを成功させる」という伝記映画です。

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その中で「黒人は職場のトイレが使用できず、800メートル離れた黒人用トイレまでいかなければならない」という問題が発覚し、白人上司が「白人用」の看板をハンマーでぶち壊して差別を撤廃する描写が出てきます。

 

素晴らしい行為だと思います。

しかし問題は、実際にはそんな上司はいなかったという点です。

 

当時のNASAは差別撤廃の方向で動いており、専用トイレも撤廃され、ニュアンスとしては違わないのかもしれません。

しかし、それを「一人の勇気ある白人の功績」に勝手に置き換えてしまうのはどうでしょう。

この描写は大きな批判にさらされることになりました。

 

 

伝記映画ではよくありますよね、「一人の勇気ある白人が、有色人種たちを助けた」って。

そういう描写には度々「実際には助けてくれなかった」「彼も参加していたが、中心人物ではない」などの批判が巻き起こります。

もちろん映画には若干の脚色や誇張は付き物です。事実そのものを伝える役割だけでなく、観客を楽しませることも大切です。

しかし、実際に自分が助けたわけでもないのに白人がドヤ顔で自慢していたら、当事者の有色人種はどんな気持ちになるでしょうか?

 

③「白人が黒人を助けてあげた」という勘違い

もしかしたら映画を観終わると、こんな気持ちになるかもしれません。

「黒人は苦しんでいたけれど、一人の白人の勇気によって助けられたんだね。よかった…。」

この気持ちには二つの大きな落とし穴があります。

 

ひとつは、歴史を振り返ったときに「黒人差別撤廃は、主に黒人の手によってなされてきた」という批判です。

 

もちろん、実際には白人の協力者もあったでしょうし、差別撤廃の「決定権」を握っていた市長・校長・職場のボスは大抵が白人だったでしょう。

しかし、差別に耐え、デモに参加し、長年に渡り戦い続けてきたのはほとんどが黒人でした。

黒人自身が「自分たちの力で成し遂げた」という誇りを抱いているとしたら、「黒人は苦しんでいたけれど、一人の白人の勇気によって助けられたんだね」なんて、勝手に手柄を横取りされたような気持ちになってしまうでしょう。

 

アカデミー賞で作品賞を受賞した映画『グリーンブック』は黒人ピアニスト・ドン=シャーリーと白人運転手の友情を描いた名作ですが、受賞が発表された瞬間、抗議の意味で退席しようとする人が現れたのです。

ドン=シャーリーは本当に偉大なピアニストで、差別に苦しみながらも大成し、黒人の地位向上のため、あえて根強く差別の残るアメリカ南部で演奏ツアーを敢行しました。

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しかし、映画でスポットライトが当てられたのは、“白人運転手が彼と個人的な友情を育んだこと”でした。
まるで白人の彼がドン=シャーリーを救ったかのように!

アカデミー賞を受賞し、ガッツポーズを取る『グリーンブック』の製作メンバー達。ほとんどが白人。

 

 

もう一つの落とし穴は、「未だに黒人は苦しんでいる」という点です。

先ほど「裕福で洗練された黒人もいる」と言っておきながら矛盾するようですが、現在進行形で差別や貧困に苦しんでいる黒人もまだ大勢残されているのです。

 

こちらもアカデミー賞作品賞を受賞した映画『ムーンライト』では、黒人の多くすむ貧困地域を舞台にしていました。

ロクな就労のチャンスもなく、ドラッグ稼業に手を出さざるを得ない貧困黒人の現実がリアルに描かれていました。

話題になったあの『ラ・ラ・ランド』を押し退けてまでアカデミー賞を受賞したのは、アメリカが抱える人種差別問題が影響していると言われています。

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日本人は「白人の救世主」に気づきにくい?

今まであなたは「白人の救世主」問題を気にしたことがあったでしょうか。
おそらく、多くの方は気づかなかったのではないでしょうか。

『グラン・トリノ』
『それでも夜は明ける』
『リンカーン』
『42 ~世界を変えた男~』
『ブラッドダイヤモンド』
『幸せの隠れ場所』
『ダンスウィズウルブズ』
『タイタンズを忘れない』
『アラバマ物語』

これらの映画はすべて「白人の救世主な映画だ」として批判されているのです。

 

常日頃から人種差別問題が存在しているアメリカと違って、日本に暮らしていると人種差別には鈍感になってしまいます。

「私は黒人差別などしていない!」「ネット右翼のような嫌韓・嫌中の意識もない!外国人相手にも友好的だ!」とお怒りになるかもしれませんが、そもそも日本人は差別される側だと気づいていない時点で、差別には鈍感なのです。

日本国内なら、有色人種の日本人であっても差別されることはありませんからね。

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イギリスの学校に通う日本人ハーフの少年のノンフィクション。
ナチュラルに人種差別される様子にびっくりします。

 

日本人は差別される側の感覚も理解できていないし、差別する側に立っているとも思っていません。

だからどうしても気づけないんです。

 

「白人の救世主」問題を理解してみよう

では、どうすれば理解できるのでしょう。
そのためには白人の救世主を初めとした人種差別問題を考えるときは、“いじめ”に置き換えてみると理解しやすいかもしれません。

有色人種:いじめ被害者
白人:いじめ加害者あるいは傍観者

※あくまで心情を理解するための乱暴な置き換えですよ!

 

たとえば、こんな話はどうでしょう

アニメオタクのA君は学校でいじめられて孤立していた。

でも僕は、毎日休み時間にキャッチボールに誘った。

僕の存在がクラスのみんなに影響を与え、次第にいじめは無くなった。

僕とA君は最高の友達なんだ!

 

これって、悪い話じゃないですよね。美談です。
でも、A君がこう思ってたらどうでしょうか?

 

アニメオタクのA君は学校でいじめられて孤立していた。
(いじめられてたけどオタクじゃない。勝手にキャラ付けするなよ)

でも僕は、毎日休み時間にキャッチボールに誘った。
(何度かは声かけられたけど、それだけだった。)

僕の存在がクラスのみんなに影響を与え、次第にいじめは無くなった。
(いじめが無くなったのは僕が両親と必死の思いで学校に直訴したから)

僕とA君は最高の友達なんだ!
(いや、特に助けてくれた記憶はないんだけどな…)

 

…こうなると、ずいぶんニュアンスが違ってきますね。

実際にはほとんど貢献していなかったのに、“僕”の話だけを聞くと、彼が素晴らしい人間のように思えてしまいます。

 

でも、もしも“僕”がこの話をドヤ顔で語って、みんなに褒められていたら?
映画化されて、事情を知らない全世界に公開されて、賞賛されたとしたら?

自分が実際の状況を知っていたら、“僕”にかなり怒りや呆れを覚えてしまいそうです。

 

この状況と、「白人の救世主」問題が同じような感覚だと思えば、理解しやすくなるのではないでしょうか。

  • 黒人をステレオタイプに描いていないか?
  • 白人は本当に何かをしてくれたのか?
  • この状況を変えたのは白人の努力なのか?

これを逸脱した映画は、大きく批判されることになるのです。

 

「白人の救世主」問題とどう付きあっていくべきか

とは言え、「白人の救世主」要素を含んだ映画を排除すべきとは思いません

 

事実を100%伝えていないかもしれないし、誤解を招く恐れもあります。

過度に白人を賛美することで、当事者が怒りを抱く可能性だってあります。

 

しかし同時に、これらの映画は人種差別問題に立ち向かう人々を賞賛した映画であり、世界が前に進むために、少なからぬ影響を与えていると思うからです。

 

一定の批判や議論はあってもいいし、手放しで全て賞賛することは危険だと思います。

でも、「人種差別と戦った人間の映画を作ろう」という芽を摘んでしまう事態は避けるべきです。

 

“たった一本の映画で、世界を変えられる”とまでは言いません。

でも私は、“たった一本の映画で、ちょっとだけなら世界を変えられる”とは思っています。

 

こういう映画は作り続けるべきです。当事者の気持ちに気をつけながら。

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