たそがれ清兵衛ネタバレ感想/時代劇の衰退とスターウォーズ的魅力

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tasogare
時代劇は死んだ、と思っていました。

僕は時代劇好きですよ?なにしろ小学4年生まで神社でチャンバラに明け暮れていたような人間ですし(僕の世代にしては珍しい)、一応中学の時には剣道部に籍を置いていました。もっとも、お世辞にも頑張っていたとは言えない剣道遊び部でしたが(^^;
そんなわけで、刀を振り回して戦う時代劇には今でも胸が躍るところがあるのです。

ただ、正直言ってテレビの時代劇は観る気がしません。
どうせいつもと同じような退屈なストーリー、緊張感のない殺陣。観る前から内容がわかっちゃうような代物ばかりです。

あらすじ

井口清兵衛は幕末の庄内、海坂藩の平侍。妻を病気で亡くし、二人の娘と老母の3人を養っている。生活は苦しく、下城の太鼓が鳴ると付き合いは断ってすぐ帰宅し、家事と内職に励む毎日。そんな清兵衛を同僚たちは“たそがれ清兵衛”と陰で呼んでいた。ある日、清兵衛は幼馴染みの朋江と再会する。朋江は嫁いでいたが、夫の度重なる酒乱で最近離縁していた。清兵衛は朋江に想いを寄せていたが、朋江との縁談を勧められても貧しさを理由に断ってしまった。だが清兵衛は、ある時藩命が自分に下されたことによって、ひとつの決断を下す。

yahoo映画より

予告編

…なんて偉そうなことを言っておいて、実は長いことテレビで時代劇なんて観てないんですけどねー。ほとんどイメージで語ってます。
でも、そんなに間違っていないんじゃないかな。

たそがれ清兵衛を語る前に、なぜこんなに時代劇が衰退してしまったのかを軽く説明したいと思います。それは「お約束時代劇」に迎合しすぎたせいです。

みなさんは、時代劇にこんなイメージ持っていませんか?

小悪党により町の人々が困る → 正義の味方が話を聞き同情 → 悪党が刀を抜いて片づけようとする → 圧倒的実力で返り討ち → 一件落着!(≧▽≦)

これ、非常によくある時代劇の流れだと思います。
というか、ほとんどのテレビ時代劇がこの流れに添ってしまっているんじゃないでしょうか。
あまりに変化のない展開です。マンネリです。

でも、実はこの手の「お約束時代劇」ってめちゃめちゃ視聴率稼げたんです。
その代表格であり、代名詞とも言えるのがご存じ「水戸黄門」です。

「水戸黄門」はナショナル劇場(のちにパナソニックドラマシアター)で放映され、長期に渡り絶大な人気を誇った日本を代表する時代劇です。

その人気の秘訣は、とにかく「安心して観れること」につきました。
悪党が現れても、必ず御老公一行が成敗してくれる。悪が栄えて正義が破れることなど絶対にない。視聴者の期待を絶対に裏切らない。

実は「水戸黄門」は、スポンサーのナショナル(パナソニック)からその点に関してかなり厳しい注文を付けられていました。国民的企業、安定した日本という企業イメージを反映するような、安定した内容の構成。驚きより、安心の番組づくりを目指していたのでしょう。なんと水戸黄門の登場や由美かおるの入浴といったシーンのタイミングまで分刻みで注文をつけていたというから驚きです。

水戸黄門の圧倒的成功に、他の番組も追随しました。
クセのあるものや、予想外の展開をみせる番組より「水戸黄門のような」番組が求められました。
これらの作品は時代劇ファンのボリュームゾーンである年輩層に絶大な支持を受け、いつも高い視聴率を記録していました。

年輩層を中心とした視聴者は、時代劇にハラハラした緊張や、難解さを求めてはいませんでした。少々トゲのある言い方をすれば、彼らは時代劇に「悩みや苦しみ」「新鮮な感動」ではなく、懐かしい「思い出の中の時代劇」をのみ求めていたのです。

水戸黄門が一時代を築く一方、しかし時代劇は新たなファンを開拓することに失敗していました。
時代劇は「マンネリ」「ワンパターン」「おじいちゃんと子供が観るもの」という烙印を押され、若者や中年層から見放されていったのです。

(そういえば僕が面白かったなあと時代劇を観ていたのも、小学校低学年の時の「3匹が斬る」が最後でしたね。あれは面白かったなー。)

気がつけば、時代劇はすっかりファンを失っていました。
「思い出の中の時代劇」を求める層は次第に少なくなり、新しい時代劇に期待する人間はほとんどいなくなっていたのです。

かくしてテレビから時代劇は姿を消しました。
今やほとんどが再放送か年末のスペシャル番組です。

詳しくは「なぜ時代劇は滅びるのか」をご参考ください。(受け売りな部分が多いですw)

たそがれ清兵衛の成功は圧倒的敵役にある

時代劇がつまらなくなった理由の一つは「安心感」と引き替えに失った「緊張感」にあります。

代表的なのは殺陣のつまらなさです。
圧倒的に強い主人公が、顔色ひとつ変えずに悪人をバッタバッタと切り捨てていく…。
それはそれで爽快なのかもしれませんが、毎度のこととなると「もしかしたら負けちゃうかも…っ!」と手に汗握ることなどあり得ません。

技術的には「名人芸」のような殺陣でしょうし、それを楽しみたいという通の方もいるでしょうが、一般の視聴者にはその面白さは届きません。

じゃあどうすればいいのかというと簡単で、「ああ、主人公がやられてしまう…!」と心から心配できるようなピンチをつくってやればいい。敵を主人公より強くすればいいのです。
負けフラグがたってるような汚く儲ける小悪党ではいけません、敵役にこそ主人公すら圧倒するような存在感が必要なのです。

この点において、「たそがれ清兵衛」は非常に優れていました。
物語上の敵役は、藩随一の一刀流の使い手「余吾善右衛門」でしょう。

田中泯(たなか みん)が演じるこの余吾善右衛門がとにかく素晴らしい!怖い!
まさに主人公を飲み込むような圧倒的な存在感でした。

ゆったりとした喋り方と、重く響く声。特に死んだ娘の遺骨をかじるシーンなんか、思わず息をのむような迫力と、底知れない不気味さを感じさせる名シーンでした。

ドス黒い顔色とのろりとした動きで、一見戦う気力も無さそうにみせておきながら、清兵衛の「実は刀を売ってしまって、これは竹光なのです」という失言に鋭い眼光で豹変!立ちあがり服をはだけると、顔色ばかりが悪く、痩せた体が露わになりました。まるで幽鬼のようでした。
彼はただ達人なだけでなく、人間離れした妖気すら醸し出していたのです。

考えてみれば、清兵衛にとっては気が進まぬ戦いでした。「自分が死んでも家族の面倒はみてほしい」との約束も取り付け、朋江への求婚もかなわず、この戦いにかける意気込みはどれほどのものだったでしょう。死んでもしかたない、という思いがなかったでしょうか。

それに対して、余吾善右衛門にとってこの戦いは怨念そのものです。自分が尽くした藩に裏切られ、命を狙われるという理不尽さ、無念さ。愛する妻と娘を失った人生に対する嘆き。
彼の剣にはそれだけの重さがあったのです。
怖いはずです…。

彼の絶命の瞬間は、本当に恐ろしかったです。

「なにもみえん…なにも…」

「地獄だ…」

「…たそがれぇ………」

娘の遺骨を床に倒し、奇妙な体勢のまま手を伸ばし、彼はついに倒れました。
リアリティを追求したこの映画の中で、唯一この瞬間だけ、“不自然”ともいえる異様な死に様でした。

彼を演じた田中泯は本来はダンサー・舞踏家だそうですね。あの落ち着いた佇まいと奇妙な体勢に少し合点がいきました。
それにしても、これが映画初出演ですよ!!すごいなあ。

他にも「メゾン・ド・ヒミコ」のヒミコ(主人公の父)役や、「八日目の蝉」の写真館の主などにも出演していると知り、「あああ!!あの人か!!」と納得してしまいました。

himiko
存在感あるキャラクターが印象的だった「メゾン ド ヒミコ」

syasinkan
少ない出番ながら強く記憶に残った「八日目の蝉」での写真館の主。

”あの時代”を体感する面白さ

さて、たそがれ清兵衛のもうひとつの魅力はあの時代の空気を見事に再現できたことでしょう。

先ほど紹介した『時代劇はなぜ滅びるのか』では時代考証に拘りすぎる風潮をよしとはせず、むしろ批判していました。時代考証に過度に引きずられて自由な作品づくりができていないと感じたのでしょう。

たしかにそういった側面もあるかもしれませんが、この「たそがれ清兵衛」では徹底した時代考証とリアリティが非常にいい効果を発揮していました。
ちょっとした小道具、家の中の使い古された感覚…まるであの時代をそのまま観ているかのような気分になれるのです。

僕が感心したのは食事のシーンです。
すっごくおいしそうな素朴なタクアン、なんか不味そうなしゃびしゃびの粥(笑)
本や教科書を読むよりも、こうやって実物(?)を観た方が「ああ、あの時代はあんな風にこんなものを食べていたんだね」とスッと理解できます。

僕は海外旅行が好きで、異なる文化を直接観ると嬉しくなってしまいます。さすがに時間旅行は未経験ですが、こうして異なる「時代」まで観にいけちゃうのが、映画のいいところだと思います(*^^*)

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この映画も「時代の空気」なんかも巧く表現できてた名作です

画面を横に広く使う、山田洋次監督らしさも世界観の構築に重要でしたね。
たしか山田洋次監督は「男女が愛を語り合っている画面の隅で、犬が戯れているのが映画の良さ」なんて語っていたと思います。

この映画でも、一つの画面に4人、5人が同時に映し出されるシーンが多用されてます。たとえば主人公が語っている時に町の人々の生活が小さく映し出されたり、果たし合いの最中に近くで洗濯をしていた女性が逃げ出したり

こういった「世界を広く、奥深く作ろう」という信念と作り込みが、このたそがれ清兵衛の世界観をしっかりと支えているのです。

なお、嫁がこの世界づくりに一つだけミスを指摘していました。

嫁「時代考証とかすごかったけど、ひとつだけ違和感があった!」

僕「え?どこどこ?」

嫁「庭の立木が不自然

僕「は?」

嫁「あんな整った枝ぶりの木はね、ちゃんと手をかけてきちんとした剪定をしないと、ああはならないの! あの木は植木屋さんで買ってきて植えたばっかりって丸わかりなの!」←最近庭いじりにはまってる ←先週も一本庭木買ってた

僕「………。」

知らねーよ。

時代劇には可能性があるんだ

主人公すら圧倒する敵役の魅力、広く深い世界観、剣を使った激しい立ち会い…
これらの優れた要素は実はあの超有名な映画とそっくりです。

そう、「スターウォーズ」です!

余吾善右衛門の主人公を圧倒的な存在感は、ダースベイダーを彷彿とさせるものもあります。
(偶然でしょうが、味方のために剣を振るっていたがダークサイドに落ちてしまった、愛する妻を亡くしたなど共通点も多い)

スターウォーズの魅力の一つはマニアをひきつける、あの奥行きある世界観です。
時代劇が、ひとつの異世界をつくりあげ、観客を魅了するのと一緒です。

そして緊迫感あふれた殺陣にいたっては、スターウォーズよりずっと高いレベルにあります。

もちろん宇宙船を使った戦闘こそありませんが、時代劇というジャンルはスターウォーズを遙かに凌駕するコンテンツだと思っています。
だって、かっこいいんだもの。

いやむしろ、ジョージ・ルーカスは「時代劇みたいな映画」がつくりたくてスターウォーズをつくったのではないかとすら思っています。
アメリカでそのまま時代劇を作るのはもちろん無理がありますから(「ラストサムライ」は頑張った方ですが、いろいろとおかしかった)、世界を一から作らざるをえなかったのです。

逆に言えば、日本の映画界は非常に恵まれた環境にあるんです。
その時代の所作に精通した役者、時代の再現に詳しい職人を無数に抱えています。そして、一人一人が感覚として「時代劇の世界」を理解している。
これははっきり言って、日本の映画界が誇る「武器」なのです。

実は自宅でこの「たそがれ清兵衛」を観ようとしてものの、なかなか嫁が乗り気にならず、数ヶ月にわたって後回しにされていました(笑)
チャンバラ少年だった僕と違い、彼女は時代劇に魅力を感じなかったのですね。

だから、嫁にこの映画を観てもらえたのは収穫でした。
「時代劇も面白いんだね!」と思ってもらえたし、これからは時代劇を選んでも微妙な表情されないぞー!

※ いつも時代劇観たいっていうとこんな顔してた→(・_・)

時代劇は決して「おじいちゃんと子供のもの」ではありません。
映画好きを唸らせる、優れたコンテンツなのです。
がんばれ!時代劇!

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