天使のくれた時間 お気に入りシーン5選 子供にはもう会えないのか考察

familyman

なかなか名場面が多い映画でしたね!その中で特に気に入ったシーンをランキング形式でお届けしたいと思います。ネタバレ感想ありなのでご注意ください。

あらすじ

優雅な独身生活を謳歌していたビジネスマンが昔の恋人との“もうひとつの人生”を体験することで本当の幸せに目覚める姿を描いた大人のファンタジー。成功を夢見て恋人ケイトと別れロンドンへ旅立ったジャック。13年後のいま、ジャックは大手金融会社の社長として、優雅な独身生活を満喫していた。クリスマス・イブ、昔の恋人ケイトからの電話があったが、かけ直すことはしなかった。その夜、自宅で眠りについたジャックだが、目覚めると、ケイトと我が子2人に囲まれた家庭人ジャックになっていた……。

yahoo映画より

予告編

第五位 椅子で夜を明かす主人公

「億万長者が本当は孤独だ」ってよくあるプロットですよね。
本当に大切なものは富や豪華な生活なんかじゃない、人との関わりの中にこそあるんだというメッセージは、主人公が裕福であるほどわかりやすいですからね。

ただこの映画は、一度幸せな「もう一つの人生」を見せておいてから、それを全て取り上げてしまうというのがちょっとひどい。主人公かわいそう。とても悲しい展開でした。

必死になって「僕からとりあげないでくれ」と懇願する主人公。今宵限りと悟り、椅子に座って愛する妻の寝顔を眺め続ける主人公の姿は胸にくる物がありました。

第四位 超うきうきでプレゼントを待つ妻

mama

この奥さん、ホントかわいいですよね(笑)
見た目もたしかにきれいな人ではありますが、それ以上に愛嬌というか、感情表現のかわいらしさが非常にイイ!(*´Д`)
楽しみのあまり体をフリフリさせています(笑)

それを目の前にして、冷や汗を垂らして凍り付く主人公もいい味を出していますね。
わかる。わかるよその気持ち。。

内面のかわいらしさっていくつになっても素敵だと思うので、この主人公はきっとこの先もずっと幸せに暮らせることでしょう。

なお、男性諸君は「内面のかわいい女性を選ぼう!」と思ってもうまくいかないのであります。内面のかわいさは、外面を通して推測するしかないからです。
なんと、このかわいらしい女優さん、二回ほど離婚しております。現実はそんなもんです(´・ω・`)

第三位 チョコミルクを飲んで「まあまあね」

主人公にチョコミルクを作らせて、それを一口飲んだ娘のこの一言。英語音声では「Not so bad.」
すまして答えるアニーのおしゃまな態度と、お口の周りの牛乳髭のギャップ…可愛すぎる!!(*´Д`)

この作品に限らず、海外の映画ではよく「ませた子供」が登場します。
そういやテレビのホームコメディなんかでも、「やたら大人びた末っ子」が必ずと言っていいほど登場しますね(笑)

向こうの人たちは、子供のこういう側面が好きなのでしょうか。子供に「無知さと純粋さ」を求める日本とは、ちょっと傾向が違いますね。子供相手にも自立や自主性を重んじるお国柄と関係があるのかなー。

若干方向性は違うけど、『LEON』のマチルダ(ナタリー・ポートマン)なんかもとっても印象深いです。

第二位 「パパじゃないでしょ」

papa

単なる成りすましコメディと思わせておいて、いきなり緊張感あるシーンをぶつけてきました。何この鋭さ。そういえば「さっそく偽物だとバレちゃう」というパターンは意外となかった気もします。

でも、不思議と説得力があるのがいいですね。子供って、本質をついてきます。遠慮だとか、しがらみだとか、慣習だとか、大人がいかにそういったものに縛られているかを痛感します。

ここの「パパじゃないでしょ」は、物語終盤の嬉しそうな「本当のパパだ…」と呟くシーンの感動へと繋げる大事な布石でもあります。
やっと「パパ」になれた事への、この上ない実感ですよね。そして心底ほっとしたようなアニーの笑顔。平気そうにしておいて、本当はパパがいなくて不安だし寂しかったんだなぁつくづく可愛らしいなあもう!(*´Д`)

ふたつのシーン、どっちも好き!両方併せて第二位にランクインです(≧▽≦)

第一位 パンツ一丁で歌うニコラス・ケイジ

これです!!(どーん)

※こちら↓をBGMに流しながらどうぞ(笑)

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我ながら、何でこれを一位に持ってきてしまったんだろう。でも、どうしようもなく印象に残った、残ってしまったシーンなのです(笑)

もうね、「天使のくれた時間」といえばこのシーンってくらいのすごいインパクトでした。ニコラス・ケイジの爽やかな笑顔が忘れられん…。というかこの主人公、「きらめき」の奇跡が起こらなくても割と幸せそうな…(笑)

冷静に考えてみると、このシーンは「きらめき」の夢の中での騒がしく億劫な朝と、とても良い対比になっています。
二つの世界を比べるとき、“朝の様子”をテーマに選んだのは慧眼ですね。なにしろ、共働きの子育て家庭にとって、「朝」ほど忙しくて気が重いものはないのです…。

クソ眠い…でも子供が起きて騒ぎだす前に家事を片づけなければ…家族のご飯、保育園の準備、たまった家事。子供はなかなか起きてくれないし、服を着替えたくないとぐずり、朝御飯を食べないと嫌がり、保育園の登園時間と出勤時間が容赦なく迫ってくる…うーん、思い出すだけで気が重いですね(笑)

それに比べて、このシーンはなんと優雅でゆとりのある喜びに満ちた朝なのでしょう。これだよ、俺が求めていたのはこういう朝だよ…!

それでもやっぱり、彼は家族と過ごす朝を選んだんです。この上なく優雅な朝と引き替えにしてでも、彼はあの「忙しく億劫な朝」のほうがずっと幸せだったんですね。
車や、スーツや、高級マンションなんかより、よっぽど重みのある描写でした!

でも俺はたまには、優雅な朝がいいなぁ…(・ω・)

アニーは消えてしまったのか?

映画を観ていて、一つ気になったことがあります。
「きらめき」の中で主人公の愛娘だったアニーは一体どうなってしまったのでしょう?

もしもケイトと結婚できていたら…という「きらめき」が終わったあと、主人公は必死に現実のケイトに思いを伝えました。彼の努力が実り、映画は彼女との復縁を匂わす描写で終わりました。これもハッピーエンドの一つでしょう。
でも、当然ながら夢の中で5歳(くらい)だったアニーはそこに存在しません。彼女は主人公の夢として消えてしまったのでしょうか?
(赤ん坊の弟くんもいましたね。影薄いけど。

そもそも主人公の経験したあの日々は、中国の故事「邯鄲(かんたん)の夢」のようなものでした。
夢の中では何日も何ヶ月も経験していたはずなのに、目が覚めたらクリスマスイブの夜からクリスマスの朝になっただけ。不思議な時間の流れですが、これは一夜の夢にすぎないのです。

邯鄲の夢
出世を望んで邯鄲に来た青年盧生は、栄華が思いのままになるという枕を道士から借りて仮寝をし、栄枯盛衰の五〇年の人生を夢に見たが、覚めれば注文した粟(あわ)の粥がまだ炊き上がらぬ束の間の事であった。

だからといって、もうアニーに会えないなんて寂しすぎます…。彼女には、もう会うことができないのでしょうか?

ここからは根拠のある話ではなく想像です。
おそらく近い将来、主人公はアニーと再会すると思います。それも自分の娘として。
主人公は現実世界でもケイトと結婚し、そしてほどなく子供を授かるのではないでしょうか。そして産まれてきた娘に「アニー」と名前を付けるのでしょう。

考えてみれば、主人公は成長したアニーの姿しか見ていません。産まれたばかりの一番可愛い時期をみていないんです。それって、ちょっともったいないですよね(笑)

だからもう一度、最初から育て直すチャンスまで手に入れた…と考えれば悪くないです。
きっと夢の中でみたような、ちょっとおしゃまな可愛い女の子に育つのでしょう。

もうひとつ、監督が物語の中で子供を重要視していなかった、という可能性もあります。

日本人が子供好きなのか、アメリカ人が奥さん好きなのか?アメリカでは日本に比べて父→子の関係より夫→妻の関係を重視している傾向にあります。(あるいは、日本人が夫→妻を軽視している?)

たとえば、アメリカ版『Shall we ダンス?』ではラストシーンでダンスを申し込む相手が妻に変更されてました。(日本版では綺麗な女性講師に申し込んでいる)

また福山雅治主演の映画『そして父になる』では父→子の関係が丁寧に描かれている一方、夫→妻の描写はほとんどありませんでした。奥さんは『一緒に子供を育てる同志』といった位置づけなのです。
(アメリカ映画だったら夫→妻の愛情表現で映画を締めたんだろーな。)

この『天使のくれた時間』でも、「きらめき」が終わる最後の夜、主人公が眺めていたのは妻の眠る姿で、そこに二人の子供の姿はありませんでした。
正直、僕の感性が日本人だからか、ここにちょっと違和感を覚えちゃって。きっと日本の作品なら「妻や子供が眠っている姿」にするところではないでしょうか。

この映画を作った監督も、決して子供を軽んじているわけではないでしょうが、妻ケイトとの関係性こそがこの物語のメインと考えているのかもしれません。

劇中歌 La La La La … meaning I Love You

日本では結婚後に男女の関係を匂わすのを恥ずかしく感じる風潮があります。僕は父が母の肩を抱いている姿すらみたことがない気がします(笑)
タモリのジョークで「仕事とセックスは家庭に持ち込まない」なんてのもありましたね。

一方アメリカでは、当たり前のように結婚記念日のサプライズプレゼントをわくわくして待つ妻が描かれていて、この辺りは日本も見習わなきゃなーと思うし、この映画のラストに子供を描かないのは、やっぱりアメリカってどこか変だなーなんて思ったのでした。

文化思想の違いって、おもしろいですね。
海外の映画を観ると、そんなことを思います。

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