不器用で純粋で…映画『レスラー』に感じた口惜しさ/ネタバレ感想

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wrestler

なんだろう、このあと一歩が足りない感じ。
キャラクターの人間味がとっても魅力的な映画でした。でも、どうも「良い映画だったね」とは言いづらいんです。
ただこの映画は、とにかくミッキー・ローク演じる『ラム』ことランディの魅力が素晴らしかったです。

彼は本当に純粋だった だからこそ気づいていなかった

彼って、なんか純粋なんですよね。
とうに全盛期を過ぎていて体の衰えは隠せないし、人気もギャラも、それは無惨なもんです。でも彼、腐ることなくプロレスを続けてるんですよね。
彼はこの境遇を不幸とも思っていない。それどころかかつてのライバルとの再戦をきっかけに再びメジャーに返り咲けるんじゃないかと夢さえ抱いているんです。

落ち目のプロレスラーってプロットを聞いたときは、もっと後ろ向きな人間と思っていました。
たとえば、自分の人生とプロレス界に文句タラタラで、かといってプロレスに見切りをつけて他の世界に飛び込む勇気もないような男が、再生していく物語だと思っていたのです。

彼は純粋にプロレスを愛していたんです。
その一途さと不器用さが、なんだか憎めないんですよね。

彼の好感は映画での描かれ方にも現れています。

よくある「人気の絶頂を過ぎた主人公」は、決まって周囲から疎まれていくんですよね。
偉そうに他人に接していたり、現状への不満が態度ににじみでていたり、当時の特別扱いに腹を立てていた同業者から嫌われていったり。
きっとみんなも何度か「トイレで『あいつはもう終わりだよ』なんて陰口を叩いているのを聞いてしまった…」なんてシーンを観たことがあると思います(笑)

ところが、ランディは一切そんな描写がないんですよね。
とうに全盛期を過ぎた落ち目のレスラーだけれど、プロレス仲間には敬意を払われ、スタッフにも愛されてて。かつての人気こそ失ったとは言え、決して「偉そうにしてるロートル」「老害だ」なんて疎まれたりはしていませんでした。

彼がプロレスを辞めてしまったのは、現状への絶望なんかじゃなく、ドクターストップのせいでした。心臓のバイパス手術でプロレスどころか練習にすら耐えられない体になってしまい、泣く泣く引退することになりました。
逆に考えれば、あの手術さえなければ、彼はもっともっとプロレスを続けていたかったんです。

なんて純粋な奴なんだろう。
僕がイメージしていた、よくある「落ち目の主人公の再生物語」とはまったく逆の展開でした。

ランディは本当にプロレスに夢中だったんです。
でも、だからこそ、本当の意味で自分の現状に気づいていなかったのだとも思います。

彼が初めて自分の現状を客観視できたのは、おそらくレスラーたちの合同サイン会の場でした。

なかなか興味深い催しでしたね~。
きっと彼と同じようにピークを過ぎてしまったレスラーたちが集まって、小銭と引き替えにサインをしたり、一緒に写真を撮ったり、グッズ販売をするのでしょう。
ま、うまい考えですよねー。少しでも収入になればよし。みんなで場所を借りれば負担も少ないし、レスラーがたくさんいれば「いってみようかな」と思うファンもいることでしょう。

しかし、あの光景は無惨の一言でした。

あの場でランディは気づいてしまったんです。想像以上に自分たちに人気がないこと、そしてボロボロになってしまった体に。
閑散とした会場、まばらなファンの数。座っているレスラーたちは誰も彼も深刻そうな故障を抱えていました。
きっと、今までひたむきにトレーニングと試合に打ち込んでいたランディは、練習のつらさや体の痛みを乗り越えることに必死で(あるいは夢中で)わからなかったのでしょう。
初めてプロレスから離れ、外から自分たちの姿を冷静に客観視した時、あまりの無惨さに呆然としてしまったのです。

ランディに感じる口惜しさ

自分の惨状に気落ちしていたランディですが、馴染みのストリッパーのキャシディとの仲も進展し、長いこと連絡をとっていなかった娘との関係も修復していきます。
長いことおざなりにされていた現実の自分の世界が、次第に回り始めたのです。

すべてが上手くいきそうにも思えましたが、やはり現実は甘くなかった。シングルマザーであったキャシディは、客とプライベートな関係を持つべきでないという信念から、ランディを拒絶してしまいました。

キャシディにふられた傷心のランディは、プロレスの試合を観にいきます。

そこで選手たちに飲みに誘われ、バーで女性に誘惑され、ヤクを決めながら一晩お楽しみ。そして帰ってきて初めて娘との約束を思い出すのです。ああ、バカ…。

傷心の時に飲みに誘われてふらふらいってしまったのも同情します。美しい女性に誘惑され、ついつい誘いに乗ってしまう心理も理解できます。でも、ここで娘との約束忘れちゃダメでしょ…。あれだけ大切な約束をなぜ忘れる…?

この物語を口惜しく感じるのはここなんです。
あの日とっても傷心だったとしても、普通は約束を忘れないし、クスリなんかはやらないはず。いくら真剣にプロレスに打ち込んでいたとしても、わずかな時間を作るとか、プレゼントや手紙を贈るとか、幼い娘を傷つけずに良い関係を築くことはできたはずなんです。

彼が娘に絶交されてしまったのは「プロレスに人生を捧げたが故の悲劇」なんかではなく、キツい言い方をすれば、彼の怠慢でしかないんです。

もちろん、同情すべき要素はいっぱいあります。
映画の中でこれでもかと強調されたプロレスラーという職業の過酷さだってあるし、人気絶頂のプロレスラーは僕の想像以上に多忙だったのかもしれません。

それに、ただでさえ父親は「小さな女性」である娘への接し方には困惑するものですしね。
いつも一緒にいなかったら、どう接して良いかわからない気持ちはとっっってもよくわかります(・ω・`)

でも…やっぱり僕には、仕方なかったとは思えないし、彼が精一杯やったとは思えないんです。

それに、一緒にこの映画を観た妻がぽつりと言ってました。

「結局、ランディの心の弱さがすべてを招いている気がする」

うちの妻は、わりと我慢強い性格です。
そんな彼女からみれば、プロレスラーとばれたストレスから機械を殴りつけ怪我してしまったことも、自棄になって仕事を辞めてしまったことも、欲望に負けて結果的に娘との約束をすっぽかす羽目になったことも、短気な行動にみえてしまうのでしょう。
だって、もう少し我慢していれば、ランディは十分幸せを掴めたはずなのに。

彼にとってプロレスは逃避だったのか

過酷なプロレスのリングで戦い続けるランディは、我慢強そうにみえて、本当のところは弱さを抱えた人間だったのかもしれません。

いや、それどころか、プロレスは彼にとって現実からの「逃避」にすら見えてきます。

過酷な練習に打ち込み、試合の痛みに耐えることは、なにか困難なことを成し遂げた達成感を与えてくれます。
それだけじゃなく、ファンたちはいつも彼を応援し、励まし、勝利を喜んでくれます。
まったく、羨ましいことです。こんなに誰かに喜んでもらえる仕事なんてそうそうありませんよ!

でも…プロレス界という「ヴァーチャルリアリティ」での自分が活躍することで「充実感」を得るという行為は本当に健全なものなのでしょうか?

プロレスで誰かを楽しませることは、きっと素晴らしいことです。それを生き甲斐にする人だって大勢いるでしょう。

でも、最後の試合、ランディは現実の自分を認めてくれたキャシディの制止すら聞かず、リングにあがってしまいました。
彼は現実を生きる「ランディ」の幸せより、プロレスでつくりあげたキャラクター『ラム』の幸せを優先させてしまったのです。

プロレスを愛する人間にとったら英雄的な行為に映るのでしょうか…。僕にはどうしても納得できません。
むしろ、『ネトゲ廃人』のような逃避を感じてしまうんです。

以前、オンラインゲームへの興味から『ネトゲ廃人』について詳しく調べる機会がありました。
簡単にいうと、ゲームに過度にのめり込み、実生活に支障をきたしている人たちのことです。

ある程度のゲームへの熱中は誰しも経験があるかと思います。
僕自身、ゲーム上の自分の分身のレベルアップに夢中になり、実生活での成長を疎かにしたこともあります。寝食を忘れてゲームに夢中になることだってしょっちゅうでした。

しかしオンラインゲームでは、ゲームのボリュームが膨大であること、特にパソコンで行うRPGなどでは世界中のプレイヤーと協力し、会話し、競いあうことができることから、今までのテレビゲーム以上に深くハマってしまう人間が続出しました。

学業や仕事すら疎かにして、一年、二年、あるいはもっと長い期間をゲームだけに捧げてしまう。気がついたら実生活のキャリアがボロボロになっている…。

そんな境遇に陥った人たちは、どうするのか?
…ゲームの世界に逃げ込むんです。

現実の自分は誰も褒めてくれません。
でも、ゲームの世界にいけば、頑張っただけ報酬(貴重なアイテムや武器)が得られます。
別のプレイヤーが画面を通じて自分を褒め讃えてくれるし(なにしろ長時間プレイしてるからゲーム内の自分はとても強い)、長年一緒に戦ってきたゲーム仲間には強い友情を感じています。

そうして彼らは、画面に向かうだけの現実の自分よりも、ゲームの中のキャラクターにリアリティを感じ、そこに逃げ込むようになっていくのです。

ランディにとっても、現実は過酷です。
ボロボロな体、つまらない仕事、愛する娘や思いを寄せていた女性からの拒絶…。
一方リングにあがれば、『ラム』としてたくさんのファンから愛される自分がいるのです。
でも、彼が本当に戦うべき相手は、リングの上の対戦相手だったのでしょうか?

プロレスファンからしたら、ファンを喜ばせ、『ラム』としての仕事を全うするために自分の幸せをなげうってでもリングに立つプロレスラーは賞賛すべきものなのかもしれません。

でも、プロレスファンでもなく、この物語でランディの内面に触れてきた僕には、『ラム』の偉業なんてちっとも大切ではありませんでした。
ランディにこそ、幸せになってほしかったんです。

ランディ…、
君には現実に、立ち向かってほしかったよ…。

考えてみれば、過酷で充実した仕事に打ち込むあまり、家族に目を向けることが足りなかった例は、なにもプロレスラーに限りませんね。

特に僕らより上の仕事人間世代にとって、ランディの境遇は我がことのように心にしみるのでしょうか。(そして彼らこそ日本の『プロレス世代』でもあるのです)

もしかしたら、ランディが『切なくも美しい死に場所』を手に入れたことは、彼らからみればハッピーエンドとすら思えるのかもしれません…。

僕にはやっぱり、理解できません。
でも、ランディ、お疲れさま。

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