突然の映画の終わりにびっくりしましたが、始まり方に戸惑った方も多いのではないでしょうか?
アメッド少年がなぜ、あそこまで過激な思想に染まってしまったのか、ほとんど描写されていないからです。
説得力が足らず、腑に落ちないと思ったかもしれません。
実は「描写の少ない始まり方」「映画の終わり方」にこそ、この映画の訴えたかった、ベルギーの抱えていた問題があるのです。
ベルギーとイスラム国
映画の中で、アメッドの母親が「おまえの従兄みたいな最期は嫌よ」という発言をしていたのを覚えていますか?
アメットも従兄の写真をこっそり崇めていたり、
導師が彼を称えるウェブサイトを作り「天国に行った」と言及していました。
おそらくこの従兄は、イスラム教過激派組織、いわゆる“イスラム国”に参加し、その自爆テロに荷担した若者だと推察されます。
実は映画公開当時のヨーロッパでは、過激なテロ組織であるイスラム国に参加する若者が大量に現れ、社会に衝撃を与えていました。
日本人にとっては「イスラム国に捕まったジャーナリストが処刑されて衝撃だったな…」「日本でも大学生がイスラム国に参加しようとしてたような…」という印象くらいしかないかもしれません。
しかしヨーロッパでは、「自国の若者が何百人と過激なテロ組織に入っていく」という異常な社会現象だったわけで、その困惑は日本の非ではありません。
特にベルギーはヨーロッパ諸国の中でもイスラム国に参加する若者が多く、中でも特にイスラム国の“温床”となっていた地域がこの映画の舞台・ブリュッセルでした。
イスラム国について、軽くおさらいしておきます。
2015年前後に、イスラム国(ISIL)という組織の台頭が国際的な話題となりました。
イスラム“国”とはいうものの国ではなく、実体はイラク・シリア周辺地域の不当な支配を続けながら、欧米各国でテロ活動を起こす過激組織です。
100人を越える死者を出したパリ同時多発テロを起こしたり、拉致した日本人を惨首する動画をネットで公開するなど、悲惨なテロ活動で話題になっていました。
このイスラム国(ISIL)で特徴的だったのは、インターネットを通じ、世界中の若者を兵士として勧誘していたことです。
「テロ組織がネットで募集したからって、頭のおかしい奴が集まるだけじゃないか?」と思うかもしれません。
しかし当時、中東だけでなくヨーロッパからも、何百人、何千人という志願者がこのイスラム国に参加していったのです。
ヨーロッパの中では一番参加者が多いのはフランスで、1200人もの国民がイスラム国に兵士として参加しました。
今回の映画の舞台となったベルギーでは、人数こそ400人程度ですが、もともと人口1000万人程度の小国と考えると、かなり高い割合です。
もしも人口1億3000万人の日本でベルギー並のイスラム国参加者が出ていたとしたら、5000人もの若者が国を捨ててイスラム過激派に身を投じる計算になります。
これはもう、衝撃的な数字ですよね…。
ベルギー人である監督・ダンデンヌ兄弟が描きたかったのは、これなのです。
自分の国の若者が、過激派に洗脳されて自爆テロや殺戮行為に身を投じていく…
この異常な事態の背景を見つめたかったのです。
なぜ、若者は過激なテロ組織に傾倒していったのか?
映画の主人公アメットは、なぜあそこまでイスラム過激主義にハマってしまったのでしょう?
ベルギーでこんなにたくさんの若者がイスラム国に参加した理由はなんなのでしょう?
イスラム教徒の増加と、周囲からの反感
ひとつは、アメット少年が感じているであろう、「社会からの阻害感」です。
ヨーロッパ諸国は基本的にキリスト教をベースにして社会がつくられており、イスラム教の慣習(ブルカの着用や礼拝、食事の制限)に理解がないケースも多く、イスラム教徒は窮屈な暮らしを余儀なくされています。
さらに、ベルギーをはじめとしたヨーロッパではイスラム教徒が急速に増加しています。
ヨーロッパ諸国は、労働力の不足を補うため、外国からの移民を受け入れてきました。
やってきた移民はイスラム教徒であることが多く、彼らは訪れた国で生活基盤を築き、子供を産み、育てます。
イスラム教徒は子沢山を尊び、避妊や中絶を良くないものとする考えもあり、さらにイスラム教徒は家族を増やしていきます。
ベルギーでは、現在すでに国内の5%ほどがイスラム教徒だそうです。
しかし、この状況に不安を覚える人たちも出てきました。
本来キリスト教がほとんどだった国で、目に見えてイスラム教徒が増えていくのです。
従来の常識が通じない状況に緊張や警戒を感じてしまう人も出てきますし、文化的な衝突もあるでしょう。
さらには「景気が悪いのは移民のせいだ」「俺たちの仕事が移民に奪われている」「移民のせいで治安が悪くなった」と思う人達まで現れました。
そして明確に移民反対を掲げ、バッシングを行う極右政党が人気を集めだしたのです。
移民排斥・イスラム教徒排斥を訴えるベルギーの極右政党「フラームス・ベランフ」の様子→リンク
アメットの家族が移民と明確に言及されたシーンはなかったように思いますが、彼らの外見(黒い癖っ毛、茶色い肌、高い鼻と大きな瞳、しっとりした顔立ち)から北アフリカ系(イスラム教地域)の移民と考えられます。
「放課後クラス」で学力を補う描写も、移民の子供への学力面でのフォローの様子なのでしょう。
アメット達本人が、「移民」「イスラム教徒」への反感に気づかないはずがありません。
もちろんベルギー国民が総じて反感を持っていたわけではないでしょう。
しかし、なにかにつけ敵意や警戒心を向けられる世界をどう思うか、です。
彼らが、疎外感や居心地の悪さ、あるいは怒りを感じていたとしても、少しも不思議がありません。
アメット少年のような若きイスラム教徒の移民が過激組織に入る理由の一つに、「社会から拒絶されている感覚」があるのでしょう。
若者の理解者
いつの世も変わらず、若者は頼りになる大人を探しています。
アメット達移民のような、困難な立場におかれた若者ならなおさらです。
身近に彼らをフォローできる大人がいればいいのですが、そもそも移民である親は生活に必死であるケースも多く、地元の大人が見知らぬ移民の子に手厚くケアをするわけでもありません。
自然と彼らは移民の若者仲間でつるみだし、理解のある年の近い大人がいれば「兄貴!」とばかりに慕います。
しかし残念ながら、それが善人であるとは限りません。
アメット少年の場合、それが導師(イスラム教の宗教指導者)だったわけです。
ベルギーのイスラム教コミュニティでは、過激な思想を持つ導師が複数存在していました。彼らは迷える若者の心に巧みに入り込み、狂信的な信者へと変えていったのです。
彼らはなにも「過激組織に入らない?本当の救済に興味ない?」と勧誘するわけではありません。
同年代の友達も交えて一緒にサッカーをやり、おしゃべりに興じ、悩みを聞き、そして彼らの存在を肯定してあげることから始めるのです。
暴力団がバイクに乗って暴走する若者や不良少年を「見所あるじゃねえか」と肯定し、リクルートする構図に近いものがありますね。
若者は、他者からの承認や自分の居場所に飢えています。
特に「移民だ」「イスラム教徒だ」と世間から警戒の目で見られている少年達にとってはなおさらでしょう。
アメット少年には他にも
- 父親が不在であり、母親にも余裕がない。
- 父親と母親にはなんらかの不和があった。
などの精神的な不安要素もありました。
メンタルが安定していないタイミングで導師のような大人に認められただけで、あっという間にハマってしまう可能性を秘めていたのです。
一方で、アメットには正しく導こうとしてくれた教師もいました。
しかし、すでに導師への傾倒が深くなりすぎていたため、彼女の差し伸べた手を払いのけてしまいます。
実際にイスラム国に参加した若者達の周囲に、手を差し伸べる大人がいなかったわけではありません。
しかし、年輩の宗教指導者はフランス語も話せず、考え方も古くて若者になじまなかったり、親や教師には反発してうまくいかないケースも多かったのです。
経済的な困窮
この映画のアメット君の場合は当てはまりませんが、経済的なメリットを理由にイスラム国に参加するケースもあります。
実は全盛期のイスラム国は潤沢な資金力があり、戦士たちに対し十分な“給料”も準備していたのです。
移民出身の若者は教育格差などから貧しい暮らしをよぎなくされる傾向にあり、イスラム国への参加に拍車をかけていました。
さらにはアメリカ資本主義に反感をもつ個人・国家から莫大な資金援助も受けていた。
レッセフェールという考え方
ベルギーの考え方の特徴の一つが、“レッセフェール(為すに任せよ)”です。
「自由放任主義」とも言われ、人は他人に干渉しない、政府は企業に干渉しない、移民がなにをしようと干渉しないという基本精神です。
あるいは移民の自由を尊重してあげているとも言えますが、裏を返せば移民に対する無関心・放置にもなりかねません。
移民たちが現地にとけ込む手助けは十分だったのでしょうか?
「そっちも好きでイスラム教の風習を貫いているんだろ?お互い好きにやろうぜ」とばかりに、国の中で彼らのコミュニティを孤立させていなかったでしょうか?
ベルギー・ブリュッセルの近郊にあるモレンベーク地区は人口9万人のうち、8割がイスラム教徒です。
ベルギーの中で、モレンベーク地区だけ別扱いのように無視してはいなかったでしょうか。
もしそうだとしたら、彼らの中に過激思想が浸透していくのを気がつかなかったのは当然です。
なにより、家族に置き換えてみればわかることです。
お互いの自由の尊重は素晴らしいことですが、無関心は時に残酷なのです。
ここまでに、ベルギーでイスラム国参加者が増加した理由をいくつかあげてみました。
・イスラム教徒の増加に対する社会の反感があった
・扇動者が若者の理解者の位置にいた
・経済的な理由
・移民に対する自由放任主義
しかし、問題は、これだけでは説明が付かないケースも多々あることです。
裕福な家庭の子も、キリスト教徒もイスラム国に参加していました。
家庭に問題がない白人青年も、事業が成功して社会にとけ込んでいる男性も、テロ組織に身を投じていったのです。
映画の中で、アメット少年が過激派思想に染まってしまった理由は明確には語られていませんでした。
気がついたら、いつの間にか彼は洗脳されていたのです。
しかしこの物足りない描写は、実際のイスラム国志願者と家族の様子を極めてリアルに描いているとも言えます。
少年たちの洗脳は、大抵気づかれない間に進行します。
最初のシグナルは、イスラムの教えに対する態度だそうです。急に我が子がイスラムの教えに厳格になったり、戒律を気にしだしたりします。
ついには自分だけでなく、家族の信仰心まで批判しだした辺りで「これはおかしい」と家族が思うのですが、ここまで来ていると既に洗脳は最終段階に近いそうです。
その時点で彼は「導師」の過激思想にどっぷり洗脳されており、家族や従来の教育者・指導者を軽蔑しており、聞く耳を持ちません。
いつしか彼は家族の必死の制止も無視して、組織に身を投じていくのです。
「なぜかわからないが気がついたら過激思想に染まっていた…」
「周囲の大人が更正に尽力したが、全く効果がなかった…」
物語としては非常に無力感を感じてしまうプロットではあります。
しかしベルギーでは、まさにこの通りの事態が国中の家庭で頻発していたのです。
余談ですが、僕にも我が子がいます。
アメット少年と同様、眼鏡をかけていて、ちょっと人間関係が不器用な、かわいい息子です。
そんな息子がある日、過激思想に染まっていたとしたら?
いくら手を尽くしても彼の目を覚ますことが出来なかったら?
この映画では少年にだけ焦点を当てていましたが、僕には残された家族の途方もない苦悩を思わずにはいられませんでした。
完璧な家庭ではないにしても、母親は精一杯やっていたはずです。
愛情を注ぎ、悩み苦しみ、更正のためにはあらゆる協力を惜しまなかったでしょう。
しかし彼女に向けられるのは、息子からの怒りの言葉、社会からの「テロリストを育てた親」というバッシングばかり…。
残された家族に焦点を当てたほうが、映画のインパクトが強かったんじゃないかとも思います。まあ、僕自身が一家の父親だからそう思うのでしょうが…。
悲しさを感じる映画のラスト
映画のラストは、少年が死の危機に瀕することで、ようやく心を開くというものでした。
「命を失う瀬戸際にたって初めて、本当に正しいもの、人の温かさを信じることが出来た」といえば、確かに美しいのかもしれません。
しかし逆に言えば、監督はこれ以外に「解決策」が思い浮かばなかったとも言えます。
この映画をつくるにあたり、監督のダルデンヌ兄弟はたくさんの取材をしたことでしょう。
イスラム国に身を投じた少年、残された家族。何が悪かったのか、どうすればよかったのか。
そうして悩み抜いた結果、なんとか捻りだした結論ですら「命の危機に瀕したら、他人の優しさを信じられるんじゃないだろうか」という半ば匙を投げたような解決策でしか無かったのです…。
監督を責めているわけではありません。
それほど困難な問題だということなのです。
過激思想に洗脳された少年には、都合良く命の瀬戸際など訪れません。
仮に訪れるとしたら、大抵は、遠く離れた戦場でテロリストとして追いつめられたときでしょう。
その瞬間に家族の愛情に気づいたとして…一体誰が救われるというのでしょう。