映画界の黒歴史「ハリウッド・ブラックリスト」について調べてみた

レスポンシブ広告

majestic

『マジェスティック』という映画があります。
主人公はハリウッドで活躍する映画脚本家です。しかしある時、彼は「共産主義者である」と疑いがかけられてしまいました。

彼の新作映画は延期とされ、クレジットからも名前を抹消され、会社との契約すら白紙に戻されてしまいます。

スクリーンショット 2017-10-03 20.30.22「ブラックリスト」入りを気にする主人公

共産主義者の疑いがあるというだけで、彼の脚本家生命は断たれてしまったのです。自暴自棄になって主人公は酒に酔ったまま車を運転し、橋から川に落ちてしまいました。

目が覚めると、彼は全ての記憶を無くして、浜辺に打ち上げられていました。近くの村に住む人が彼を助けます。村人は「どこかで会ったような顔だ…」と言いながら彼を村に連れていくのですが…。

共産主義者への弾圧の歴史

さて、ここで気になるのがなぜ共産主義者がクビになるのかという点です。
テロリストだったり、スパイの疑いをかけられているならわかるのですが、「共産主義者の疑いがある!」ってだけですからね。

(しかも彼は「好きな女の子と近づけるかと思って、一緒に共産主義の集会に参加してみた(てへ)」という程度でした。)

なぜ彼はこんな目にあったのでしょう?
それにはアメリカの歴史的背景を知る必要があります。
当時アメリカには「赤狩り(※)」と呼ばれる共産主義者への弾圧が横行していたのです。
詳しくみていきましょう。

※共産主義のイメージカラーが「赤」であることからこう呼ばれた

アメリカが揺れた、共産主義との闘い

ソ連との冷戦

第二次世界大戦後、疲弊したヨーロッパ諸国に代わり、二つの超大国が台頭しました。アメリカ合衆国ソビエト社会主義連邦です。

しかしこの二つの国はお互いに不信感を抱いていました。
いつか、相手に世界の覇権を握られるかもしれない…。

そこで二つの国は、世界に自らの影響力を拡大させていきます。
今の感覚だと若干理解しづらいかもしれませんが、当時「資本主義の国同士は助け合う仲間であり、共産主義の国々は敵の連合である」という意識がありました。
ソ連は共産主義国家を増やそうと世界中の共産主義勢力を支援していたし、アメリカはそれに対抗するため資本主義社会を守るのに躍起になっていました。

両国は直接的な戦争こそ起こさないものの、互いに敵視し、第三国で「陣取り合戦」を繰り返していたのです。

迫りくる脅威

さてこの陣営争いですが、どちらが勝ったのでしょうか。

実は、ソ連・共産主義勢力の連戦連勝でした。
近年でこそ世界情勢は「アメリカ最強!」との風潮がありますが、当時のソ連はそれを上回る勢いがありました。

  • 中国共産党が、資本主義の中華民国に勝利。中華人民共和国を建国。
  • フランス領インドシナで、共産主義勢力がフランス軍に勝利。北ベトナムとして独立。
  • ラオス、カンボジアでも共産主義勢力勝利し、独立。
  • 朝鮮戦争が勃発し、共産主義勢力の北朝鮮がソウルを占領。(後にアメリカ中心の国連軍vs中国・ソ連の代理戦争の様相を見せ、休戦。←これは辛うじて引き分け)

このように、当時は資本主義社会が次々と共産主義に敗北していったのです。

さらには、1949年、ソ連は原子力爆弾の開発にも成功します。
今まで原子力爆弾はアメリカだけが保有していた、唯一無二の最強兵器でした。しかしとうとう、共産主義の国が開発してしまったことで、「いざ戦争になっても勝てる」という絶対的な優位性、心の拠り所が無くなったことを意味しました。

次々と勢力を強くするソ連。アメリカ国内には「このまま共産主義勢力を放置していいのか」と危機感を抱く人が増え始めました。

鉄のカーテン

また、当時二つの陣営はお互いに、謎に包まれた存在でした。

それぞれの陣営の間では、インターネットが無いどころか、自由な旅行や、報道、商取引すら制限されていたのです。交流がなければ、お互いに内部の情報を知ることができません。
さらにソ連政府は徹底した秘密主義で、情報を外部に公開しようとしませんでした。
この情報の遮断は、当時「鉄のカーテン」と形容されていました。

乏しい情報の中、人々は自然と想像を膨らませていました。
ひょっとして、ソ連は自分たちより国力が上なのでは?
このままではアメリカまで共産主義に飲み込まれてしまうのでは?
あるいは、実体が見えない共産主義国家に、理想郷のように夢を抱く若者も多くいました。

何をやっているか全く見えないが、着実に勢力を拡大している超大国ソ連。アメリカはその影に恐怖と焦りを感じていたのです。

見えない恐怖「スパイ」

1950年にはアメリカを震撼させる事件がありました。民間人である科学者夫婦が、ソ連のスパイとして逮捕されたのです。(ローゼンバーグ事件)
彼らがソ連に打った機密情報は、なんと原子力爆弾の製造法。

逮捕当時、公式に「証拠」とされるものは容疑者の自白だけでした。
夫婦は無実を主張し続けましたが、翌1951年には死刑判決、1953年には死刑が執行されました。

この事件はアメリカ国民に大きな衝撃を与えたことでしょう。
単なる民間人の夫婦ですら、実は死刑に値するソ連のスパイだった。共産主義勢力の手先だった…。迫りくるソ連のプレッシャーの中、アメリカ国民の心に隣人への疑心暗鬼が芽生えます。

またこの事件は、十分な証拠がないまま死刑が執行された「前例」としてアメリカ国民に影響を与えたのではないでしょうか。
非常時なんだ、国を守るためなんだ、確かな証拠を待っていては共産主義国の言いようにやられてしまう、と…。

後年、ローゼンバーグ夫婦は本当にソ連のスパイであったことが明らかになってきました。近年公表され始めた資料によれば、当時アメリカはソ連の暗号通信を解読しており、そこにローゼンバーグ夫婦逮捕の証拠が含まれていたのです。
しかし、それを公表すると暗号を解読できることがバレてしまいます。よって、当時は公表せずに刑を執行せざるをえなかったのです。当時の国民にとっては、「証拠不十分でも逮捕するべきである」という姿勢に映ってしまったことでしょう。

マッカーシーの登場/マッカーシズム旋風

そんな時代に現れたのが共和党上院議員ジョセフ・マッカーシーです。
彼は「国務省で働いている250人の共産主義者のリストを持っている」とセンセーショナルな告発を行いました。

これをきっかけに、アメリカ国内に高まった緊張と不安が爆発しました。アメリカ国民はここぞとばかりに国内の共産主義者へのバッシングをおこない、マッカーシーを支持しました。
見えない恐怖に怯えているより、目の前の怪しい人を攻撃して安心したかったのでしょうか。

世論を味方に付けたマッカーシー議員は「非米活動委員会」により政府内の共産主義者の追放を始めました。
たとえ証拠が不十分でも、共産主義者の疑いがあるというだけで厳しい処分が課せられました。マッカーシーによって多くの政府、軍の人間の名前があげられました。彼らは皆、解雇・国外追放されていったのです。
彼が巻き起こした一連の共産主義者弾圧を「赤狩り」「マッカーシズム」と呼んでいます。

※なお現在、彼の「リスト」はFBI長官J・エドガーによって提供されたものとされています。

さらにマッカーシーは政府外の著名人や、芸能関係者も共産主義者として指摘しました。
その中にはあの“喜劇王”チャールズ・チャップリンの名前もありました。
チャップリンは「作品が“容共的である”」とのみられ、特に『黄金狂時代』をきっかけに批判が高まり、ついには国外追放処分を受けてしまいました。

彼が再びアメリカの土を踏むのは20年もの後であり、結局スイスの地でその生涯を閉じました。

ハリウッド・ブラックリスト

非米活動委員会はハリウッドで働く監督、脚本家、俳優たちに対して、共産主義と関わりがあった人間のリストをつくっていました。
そのリストこそ「ハリウッド・ブラックリスト」と呼ばれた代物です。

このブラックリストと非米委員会に対して、ハリウッドは全くの無力でした。

1947年、共産主義者との疑いをかけられた10人が非米活動委員会に呼び出されました。彼ら10人は証言を拒否していたため、議会侮辱罪で逮捕・懲役を受けます。

しかしハリウッドは彼らを守るどころか、「共産主義の疑いがはれるまで雇用しない」と宣言し、彼らを映画界から締め出してしまったのです。
権力と圧力の言うがままでした。

召喚された10人は「ハリウッド・テン」と呼ばれ、世間の注目を浴びました。
その中の一人、ダルトン・トランボは、あの名作「ローマの休日」を執筆しましたが、この事件のため脚本家として彼の名前がクレジットされることはありませんでした。

それにしても、異常な事態でした。

証拠すらなく疑いだけで罰を言い渡すのもそうですが、そもそも「共産主義者である」「共産党員である」と自体は罪でも何でもないのです。

当時も、アメリカの憲法では「言論の自由」「思想の自由」が保証されていました。
いくらアメリカが共産主義社会と戦いを繰り広げ、市民が共産主義者を嫌悪していたからといって、個人がどのような思想を持とうが自由なはずです。

もちろん、マッカーシーのやり方に反発を覚える人たちも大勢いました。しかし公然と反論することはできませんでした。
なぜなら、マッカーシーに睨まれた人たちは「共産主義者」「ソ連の手先」と決めつけられ、職を失ったり社会的な信用をなくしてしまうのです。
たとえ違和感を覚えても、メディアを含め、皆がマッカーシーを擁護していたのです。

誰も止められないまま、アメリカ全土を共産党に対する集団ヒステリーが荒れ狂いました。
『自由の国』アメリカは、どこへいったのでしょう。

赤狩りの終焉

しかし絶対的な影響力を持ったマッカーシーに、単身立ち向かったのが、CBSのニュースキャスター、エドワード・マローでした。

反論するだけで共産主義者と疑われ、社会的に抹殺される空気の中、彼は一つの決断をしました。1954年3月、彼は自身のニュース番組でマッカーシーに関する特番を放送したのです。

放送の中でマローは、マッカーシー本人の演説や、議会での追求の様子を、そのまま映像資料で示すという手法を採用しました。
(中略)
議会で意地悪く追求し、弱いものいじめをするマッカーシー。人格攻撃が明白な演説。その時々で発言内容が食い違うマッカーシー。マッカーシーという人物が、いかに信用できない人間なのか、30分の特集は、それを見事に浮き彫りにしました。

池上彰そうだったのか!アメリカより引用

番組の終わり、マローはマッカーシーに対し痛烈な批判をすると共に、アメリカ国民に対し冷静さと良心を取り戻すよう訴えかけました。

マッカーシーはすぐさまマローを「共産主義者の手先である」と非難しました。しかし、このたった30分の番組が、既に大きく風向きを変えていたのです。
この告発をきっかけに、マッカーシーは急速にアメリカ国民からの支持を失っていきます。

傷跡

こうして再び、アメリカに自由は戻りました。

ハリウッド・テンを初めとしたハリウッドブラックリストに載った人たちの行方は様々でした。

映画監督・脚本家として活躍したハーバート・ビーバーマンら多くの人間は、赤狩りによって職を奪われ、その後も二度とハリウッドに返り咲くことはありませんでした。

中には、女優のリー・グラントや、俳優のライオネル・スタンダーのように10年以上の時を経てハリウッドに復帰していく人間もいました。
リー・グラントは復帰後映画『シャンプー』で助演女優賞を受賞しています。

赤狩りから逃れるためヨーロッパに亡命し、そちらで映画作りで成功した人もいます。

ジョゼフ・ロージーはイギリスにて、映画『恋』でパルム・ドールを受賞。
ジョールズ・ダッシンはフランスにて、映画『男の争い』でカンヌの監督賞を獲得します。

言い換えれば、ハリウッドの貴重な才能が海外に流出していったのです。

共産主義者のレッテルを貼られた心労からか、若くして命を落とした人もいました。
元々心臓が弱かったジョン・ガーフィールドは、1952年、39歳の若さでこの世を去っています。

非米委員会で証言をしたことで、その後の人間関係に亀裂を残した人もいました。

監督のエリア・カザンもブラックリストに載せられていましたが、司法取引により11人の友人の名前を挙げることで、罪を逃れました

その後もカザンは精力的に映画製作を続け、『波止場』『エデンの東』『アメリカ アメリカ』等数多くの名作を発表。
1998年、長年の功績に対し、アカデミー名誉賞が授与されました。

しかし、名誉賞の受賞式の際のことでした。全員のスタンディングオベーションが慣例であるにも関わらず、カザン受賞の瞬間は拍手もせず座ったままの者、拍手はするものの起立しない者もいました。
また、会場の外では受賞反対のデモまで行われていました。その中には、当時カザンに名前を売られた映画監督もいたそうです。

******

赤狩りおよび「ハリウッド・ブラックリスト」は、ハリウッドが政治的な圧力に屈してしまった屈辱の歴史です。

事件自体はもう50年以上前のことですが、赤狩りを主導した共和党への反感が根強く残っており、今でもハリウッドは民主党の強力な牙城となっています。

地味なのに?『ムーンライト』がアカデミー作品賞を獲った理由を語りたい。
2017年のアカデミー賞と言えば、圧倒的な前評判だった『ラ・ラ・ランド』を抑え、『ムーンライト』が作品賞を受賞したのがちょっとしたサ...

映画『マジェスティック』では、記憶を失った主人公と、消息を絶った村の若者「ルーク」との関わりの謎が物語前半のポイントになっています。しかし物語が終盤に進むにつれ、「赤狩り」や「非米委員会」が映画の大きなキーワードになってきます。

終盤、主人公が訴えたスピーチと、あの拍手にこそ、ハリウッドの気持ちが込められているのではないでしょうか?

ハリウッドは今でも、忘れていないんです。

スポンサーリンク
レクタングル大
レクタングル大

シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

フォローする

スポンサーリンク
レクタングル大