安宅産業はかつて日本の十大総合商社のひとつに数えられていました。
潤沢な資金力、強力な情報ネットワーク、優秀な人材を武器に、戦後復興や高度経済成長を支えてきた総合商社の一角が、なぜ破綻に追い込まれたのでしょう?
最大の原因は創業者二代目
安宅産業の破綻は「石油取引への投資に失敗し、資金の回収出来なくなったこと」が直接的な引き金とされていますが、それだけが原因ではありません。
むしろ、会社の体質自体がすでに末期的症状であり、破綻は時間の問題だったのです。
その問題の根っこは創業者の二代目・安宅英一元会長にありました。
元会長といいつつも、彼は社長経験も社員経験もなく、もっぱら美術品の収集や、芸術家の経済支援などの道楽にいそしむ方でした。
本来彼が二代目社長になるはずでしたが、父である創業者自身が彼の弟を後継に指名しました。(英一氏は会長に据えられます)
その後、いろいろあって弟君は社長を退任。
安宅家ではない人間にいったん社長を預けることになります。
それなのになぜか、「経営のことは知らないが、人間の判断は自分がする!」と言い、なぜか彼が人事権を掌握していたことが問題だったのです。
人事権を握るとなぜいけないの?
普通会社では(特に当時の日本の会社では)、業績をあげた社員への報酬も、問題を起こした社員への罰も、人事異動によって評価します。
「良い成績だと昇進、悪い成績だと降格」、それこそがサラリーマン人生の全てと言っても過言ではありませんでした。
本来会社には、社長→上司→部下という命令系統が存在します。
社員が一生懸命働き、上司が人事評価でそれに報いる、それが本来の姿です。
ところが、社長・上司に人事評価をする権利がないとしたらどうでしょう?
会社のことを全く知らない外部の人間がでたらめに人事を評価するとしたら?
当然、社長・上司の命令を聞く必要がなくなるのです。
僕だったら、むかつく上司に反抗しますw
むしろ、会社員にとっては英一氏の機嫌を取ることこそが最も重要になってきます。
次第に安宅産業社員の中で、英一氏の住んでいる“日本橋”が、絶対権力を示す暗語となっていきます。
“日本橋”の意向、
“日本橋”を囲んだ食事会、
“日本橋”のための美術品収集、
“日本橋”の発するノルマの達成
…こういったことに必死になるようになりました。
食事会
英一氏は自身を慕う社員を集め、頻繁に食事会を開催しました。
彼を囲む社員たちは、社内で“安宅ファミリー”と呼ばれていました。
その席で彼は特に発言をするわけでなく、社員による愚痴や不満に静かに耳を傾けていたそうです。
するといつも、何日かたったあと、その不平不満を参考にした人事異動が行われるのです。
もちろん、多少は誇張され、尾ひれがついた逸話なのだとは思います。
それにしたって、あまりにひどい話ですよね。
英一氏に気に入られた“ファミリー”だけが優遇され、そうでない社員は仕事ぶりに関わらず低い評価を受ける…
上司に異動を言い渡された若手社員が「そんなものはファミリーの力で撤回させてやる」と言い返したという逸話まであります
これでは社員のモチベーションが上がりようがありません。
無責任なノルマ
英一氏は経営のことはわからないのに、無責任にノルマを課すようになりました。
しかもそのノルマは、利益より売上高を重視した物でした。
なにしろ絶対的で理不尽な人事権を握っていた英一氏です。
彼の発するノルマを無視するわけにはいきません。
各部署は、利益度外視で売上高の確保に必死になりました。
その結果行われたのは、「利益を生まないどころか、損をする取引」の大量発生です。
普通、商社は安く仕入れて、高く売ることで利益を得ます。
当然「120万円で買って、100万円で売る」ような取引は損をするだけで、何のメリットもありません。
ところがこの取引では、利益はでませんが、100万円の売上高があるのです。
まあ、完全に偽装売上、粉飾決済ですね。
もちろん、これでは会社の利益になんてなりません。
しかし、サラリーマン個人としては、会社よりも自身の身を守ることが優先です。
いつのまにか安宅産業は利益を生まない取引でどんどん蝕まれていきました。
なお、これらのノルマは、雇われ社長には知らされることはなかったそうです。
チェック機能の不在
これだけの状態でありながら、社内では見過ごされていたのでしょうか?
実は安宅産業内には十分なチェック機能が存在しませんでした。
いや、社長はつくろうとしていたのですが、なにしろ命令系統が崩壊していますから、管理しようとしても誰も真剣に聞く耳をもつはずがありません。
英一氏の横槍もあり、結局、複数の部署を統括・管理する部署は全く機能しませんでした。
子会社への監査も会社設立以来、全く行われなかったそうです。
その結果、
「不況下にある繊維業界に参入し大赤字」
「怪しい石油取引に大金を突っ込む」
等の事態が見過ごされ続けます。
さらに他社への与信限度も各部署の自由裁量で、チェックされることがありませんでした。
つまり、危険な相手にも好きなだけ取引先にお金を貸すことができたわけです。
その最大の失敗が、石油ビジネスへの参入です。
石油ショックの波を被ったタイミングの悪さもあったとは言え、なんと取引先会社に3億ドル(当時のレートで約1,000億円)ものお金を貸し付けたまま、相手は倒産してしまいます。
美術品の収集
もうここまで来るとおまけレベルですが、当然のように会社の私物化もしていました。
英一氏は会社のお金を使って美術品収集をしていました。(※一応「社員教養の向上のため」という名目です。)
さらに芸術家のパトロンとしても有名で、戦後の日本のクラシック音楽界では、何らかの意味で英一の世話を受けなかった人はいないと謂われるほど大きな支援を続けたそうです。
世界各地に散らばった駐在員は、取引先の拡大より英一氏のための美術品収集のほうにその労力を注ぐ始末でした。
なぜ英一氏が人事権を握れたのか?
それにしても、なぜ英一氏が人事権を掌握できたのでしょうか?
実は英一氏は安宅産業の社主、オーナーというわけではありません。
一応株式は保有していますが、その割合はわずか2.8%にすぎません。
社内での権限もなく、株主としての力もない彼が、なぜ実権を握っていたのでしょう?
ここでも重要になってくるのが“安宅ファミリー”です。
英一氏は安宅ファミリーの社員を使い、社内で権力を行使していたのです。
さらに安宅ファミリーは、ファミリー同士お互い誰がメンバーかもわからない、非常に不気味な存在だったようです。
その上、先に述べたような“密告”により無茶苦茶な人事異動が下されました。
現状に意見しようとした重役すらも更迭されているのです。
更迭に票を投じた取締役会が、全員ファミリーというわけではありません。
しかし、ファミリーの意に沿う票を投じないと、次は自分の身が危ういのです。
疑心暗鬼となり、誰もが英一氏に逆らえない状況となりました。
社長が各部署に命令を下しても、それを無視し、英一氏の指示で動くわけです。
もちろん、さすがに社長も耐えかね、英一氏に「無闇に社内人事に口を出すのは辞めていただきたい」と直訴しました。
その結果、なんと一ヶ月後に任期半ばで社長が更迭されたのです。
こうして「英一氏には逆らってはならない」という暗黙の了解はさらに強化されていったのです。
参考文献
『ある総合商社の挫折』 NHK取材班著
この記事のネタ元はだいたいこの本。
『崩壊 ドキュメント安宅産業』 日本経済新聞社特別取材班
『空の城』 松本清張
安宅産業崩壊をモデルとした小説。
『ザ・商社』DVD
上記「空の城」を映像化。夏目雅子が脱いでる。
まとめ
これらの原因により、すでに内部は末期的状況だったようです。
どちらにしろ倒産は時間の問題であったのでしょう。
近年、会社経営においてガバナンスやコンプライアンスなどの面倒くさい縛りが増えてきましたが、その重要さを痛感させられる出来事ですね。