元自転車部の『疑惑のチャンピオン』伏線、裏話、豆知識解説

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この映画を観た人のほとんどは、自転車競技に興味がある方だと思います。
しかし中には、自転車競技というものを知らないまま、この映画を観た人もいるかもしれません。

そんな人たちのために、自転車をやっていた人にしかわからない、この映画の伏線や豆知識を説明していきたいと思います。

目次

  • 自転車競技ってどんな競技?
  • 「エース」と「アシスト」
  • 風避けとは
  • ツール・ド・フランスってどんなレース?
  • 本当にランスは速かったのか
  • なぜ彼はドーピングに走ったのか
  • 自転車とドーピングの複雑な関係
  • 二人の確執
  • まとめ

自転車競技ってどんな競技?

自転車のロードレースとは、非常にシンプルな競技です。
いっせいに自転車で走り出し、真っ先にゴールに飛び込んだ人が勝利!
陸上競技と同様、誰にでも納得できる簡単なルールですよね。

さらに細かく言えば、自転車競技の中でもいくつかのジャンルに別れています。
たとえば日本でメジャーな「競輪」は、競輪場内のトラックを駆け抜ける速さを競うもので、せいぜい数分で終わる言わば「短距離走」。

一方「ロードレース」はその名の通り公道(Road)を走る競技で、一日に200km~300km、数時間にも渡る長距離走になります。

しかし陸上と大きく違うのが、自転車レースは個人戦でありながらチーム戦であるという点です。

自転車競技では、個人ごとに順位をつけられますし、表彰台に上れるのも個人です。しかし、ほとんどの自転車レースは「チーム」対抗で争われています。
これはいったいどういうことなのでしょうか?

これは自転車レース特有の『エースの勝利が我らの勝利』という認識に基づきます。

「エース」と「アシスト」

この二つの役割が自転車レースを大きく特徴づけています。

「エース」の役割は非常にシンプルです。チームの期待を一身に背負い、誰よりも早くゴールに飛び込むこと。それだけです。

性格が悪くたって、横暴でもワガママでも、ただただ「誰よりも速ければ正義」。それがエースの絶対唯一の条件です。

一方の「アシスト」には順位は求められません。
彼らの役割は、一刻も早く自分のチームの「エース」をゴールまで送り届けること。「エース」の勝利が彼らにとっての勝利であり、そのためにあらゆる献身が求められます。
極端なことを言えば、彼らはゴールまで走り切れなくたっていいんです。

「アシスト」は、「風避け(※後述)」となって、「エース」の体力の消耗を押さえたり、時には自滅承知のアタックをしかけ、ライバルを牽制したりします。

食事や飲み物をサポートカーから受け取ってエースに届けるし、もしもエースがトラブルに巻き込まれたら一緒に停車しエースの復帰を待ちます。

さらにはエースのタイヤがパンクしサポートカーが間に合わないようなら、リタイア覚悟で自分の自転車のタイヤを差しだすことすらあるのです。

こういったロードレース文化は、ランス・アームストロングを“王様”にしてしまった温床でもあります。
映画の中でもランスとフロイドは、「エース」と「アシスト」の力関係を如実に表していましたね。

風避けとは

さて、みんな自転車で走っているのに、実際にどうやってエースを「連れていく」というのでしょう。まさか手で引っ張るわけにもいかないし。

その手段が、空気抵抗をさける「風避け」です

突然ですが、自転車で漕ぐのを止めると、どうなるでしょう?
ブレーキをかけなければ、慣性の法則でしばらくゆるゆると進み続けますよね。
しかし、だんだん速度が落ちてしまい、いつかは止まって(というか、バランスを保てなくなり、足をついて)しまいます。

これは、タイヤと地面の摩擦、空気抵抗、自転車の駆動部分の摩擦…様々な「抵抗」が自転車の運動エネルギーを奪っていくのが原因です。

その中でもっとも問題になるのが「空気抵抗」
スピードがあがればあがるほど空気抵抗は大きくなり、プロの自転車レース(時速数十キロ)ともなれば、実に90%以上のエネルギーが空気抵抗のために奪われてしまうのです。90%!でかい!

そこで自転車レースでは、このような「トレイン(=列車)」を組みます。

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こうすると、先頭の人が風をかきわけてくれるため、2列目以降の選手の空気抵抗が大幅に軽減されるのです。これが「風避け」です。

これは実際にやってみないと理解しづらいのですが、驚くほど軽く走れます
僕も初めて体験したときは「そんなに漕いでないのに時速30キロを超えてる!?」と衝撃を受けました(笑)

もちろん、1列目の人はもろに空気抵抗を受けてしまい消耗が激しいので、何人かでローテーションしながら先頭役を交代するのがセオリーです。

たとえば60分走るとして、一人で60分間空気抵抗を受け続けている人より、3人チームで一人当たり20分間先頭を担当するほうが消耗も少ないし、より速いスピードを維持できますよね。
さらに、9人チーム(ツールドフランスは1チームの上限が9人まで)なら、一人当たり6分とちょっとですね!これは楽ちん!

なお、風避けの効果を実感するには以下の2点が重要です

  1. 高速走行をしている(時速30キロ以上)
  2. 自転車と自転車の距離はなるべく狭く(タイヤ一個分が目安)

街中では少々難易度が高いのが難点ですが、自分の能力を越えた高速走行が出来るのは集団走行の醍醐味です!
安全に十分配慮して、是非一度体験してほしいです(^^)

ツール・ド・フランスってどんなレース?

自転車レースの世界では「グランツール」と呼ばれる三つの大きな大会があります。
「ジロ・デ・イタリア」と、「ブエルタ・エスパニョーラ」、そしてこの映画の舞台であり自転車界でもっとも権威あるレースと言われている「ツール・ド・フランス」です。

毎年フランスの各地で行われ、20日ほどかけて4000km以上を走り抜ける非常に過酷でハイレベルなレースです。

日本でこそイマイチ知名度が低いですが、海外では欧米を中心として非常に人気が高く、サッカーワールドカップやオリンピックに次ぐ世界的なスポーツイベントとして注目されています。(一説にはオリンピックを凌ぐという意見もあります!)

自転車界でもこのレースで勝つことが最高の栄誉とされており、一位の選手に贈られている「黄色のジャージ=マイヨ・ジョーヌ」はその象徴です。

優勝賞金はなんと45万ユーロ。
しかしそれ以上に、“全世界で20億人もの人々が視聴するスポーツの祭典”というコンテンツそのものに価値が高く、その広告的価値は測りしれません。

当然、大会の背後では大企業が、参加チームに、広告に、莫大な金額を投資しています。
自転車業界は「大会新モデル」の自転車で売り上げを伸ばし、出版業界はスポーツ雑誌の部数が増刊し特別号も完売。ジャーナリスト達は多くの記事の原稿料を手にするなどなど…。
数え切れない人々に、非常に大きな経済効果をもたらしているのです。

これほどに影響が大きかったせいで、ツールドフランスのヒーローであったランスに不祥事があっても、「大会に水を差すわけにはいかない…」という意志が働いたという意見もあります。

本当にランスは速かったのか

ドーピングをしていたから…という理由だけではありません。
映画の冒頭、ランスは袖口が虹色のレーシングジャージを着ていましたね?

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あれは『世界選手権優勝者』に贈られる「マイヨ・アルカンシエル」と呼ばれるものです。しかも世界選手権優勝当時、彼はまだ21歳。少なくともあの時点で、彼は世界で一番速いレーサーの一人だったのです。

また自転車選手は脚質というものがあり、個人の体格や筋肉のつき方により、それぞれ得意分野が違います。

  • 「タイムトライアル型」(平地を風避けなしで走り抜くパワーと筋力が必要)
  • 「クライマー型」体が軽く、山岳などの険しい坂道を軽々と上る)
  • 「スプリンター型」(ゴール手前数百メートルで集団から抜け出し、圧倒的な瞬発力で勝利を奪う)

しかし彼は(本来相反する体格になる)タイムトライアルとクライマーの両方で最高峰という恐るべき選手でした。(さすがに、ゴールスプリントまでは得意ではありませんでしたが…)

なぜ彼はドーピングに走ったか

しかし、そんな彼でも、ツールドフランスは勝てませんでした。

実はそのヒントは、先ほど説明した虹色のジャージにあるんです。

ランスが優勝した世界選手権は「ワンデーレース」と呼ばれる、一日だけで勝負を決める大会なのですね。
一方、ツールドフランスを初めとした自転車の主要大会は「ステージレース」と呼ばれ、20日間という長きに渡ってレースが続きます。

この「数週間に渡って勝負が続く」という点が自転車ロードレースが他のスポーツと大きく異なる特徴で、今回の問題を理解するポイントになってきます。

何日もレースが続くツール・ド・フランスでは、「ワンデーレース」とは違い、今日の疲れを明日のレースに残さない肉体の回復力が非常に重要になってくるのです。

冒頭でランスは「赤血球の数が」どうとか、他の選手に言われていましたね。
ランスは一日だけなら誰よりも速く走れました。しかし、そのパフォーマンスを20日間に渡って発揮し続けることは出来なかったのです。
だから彼は、自転車レーサーとして最高の栄誉である、ツール・ド・フランスでは勝てなかったのです。

そこで、彼が目を付けたのがドーピングでした。
一般的にドーピングは「筋力を一時的に増強するが、長期的に体に毒」というイメージが先行しています。
しかし実際には、ドーピングの最大のメリットは筋力UPではなく回復力の向上にあると言われています。
そう、それはランスが当時最も必要としていた能力でした。

最高のパフォーマンスを維持し続けられるようになったランスは、ついにツールドフランスを制してしまったのです。

自転車とドーピングの複雑な関係

誤解を招きそうな表現ですが、自転車競技は、センスやテクニックの必要ないスポーツです。
なにしろ僕が自転車が好きなのも、「運動音痴の僕でも、自転車は漕げば前に進むから」という理由がありますし(笑)

レースで勝つには、誰よりも速く自転車を漕げればそれでよし。必要なのは、センスやテクニックよりも、脚力であり、体力。誰でも泥臭い努力と練習で上昇していくものばかりです。

だからこそ、自転車競技ではドーピングが絶大な威力を発揮してしまいます。

他の競技では、どれだけ筋力と回復力を補強しても、イチローのような天才打者にはなれません。
爆発的な瞬発力と無尽蔵のスタミナを手に入れても、メッシのようにゴールを重ねることは出来ません。

しかし自転車では、他を圧倒する脚力と体力さえあれば、誰だってヒーローになれてしまうんです。

そしてそれは、ドーピングで補強する事が出来てしまいます。

そのため、自転車競技では他のあらゆる競技よりもドーピングに対し厳しい体制がとられています
抜き打ち検査もあれば、優勝者にはレース直後の尿検査も義務づけられています。(しかも本人が用を足す様子を肉眼を観察するという徹底ぶり!)

体力=実力というシンプルな構図ゆえ、自転車の世界で名を上げようと思ったら、とにかく過酷な努力が要求されます。
日常生活のすべてを犠牲にしてでも、徹底して肉体を磨き抜く必要があるのです。

毎日ハードなトレーニングを積み続け、レースでも死にそうになりながら限界まで走り続ける…。
食事は制限され、野菜と炭水化物とササミ肉のみ。
お酒もだめ、うまいものもダメ。楽なことは全部ダメ。

とあるプロの自転車レーサーを描いた映画の中にはこんなせりふもありました

この世界に入って最初に言われたのは“苦しむこと以外、考えてはいけない”だったな

…ものすごい世界ですね

しかし「勝つためにはあらゆる犠牲を払う必要がある」というプロ自転車レース界の美しい気概は、同時にドーピングの温床でもありました。

彼らは肉体を痛めつけることに何の躊躇もありません。いつしか「あらゆる犠牲」の中に当然のようにドーピングも加えられ、自転車界に蔓延していきました。
そして自転車界側も、その蔓延した空気を「仕方のないことだ」「検査さえ通過してくれればよい」と半ば黙認していたのです。

ドーピング対し世界一厳しく、そして世界一甘い。

当時の自転車界にはそんな矛盾した状況にあったのです。

二人の確執

映画の終盤、レースに復帰したランスはチームの若きエース・コンタドールと衝突していましたね。
二人の衝突は実際に有名な話です。

もちろんランスは「ツールドフランス7連覇」という圧倒的な偉業を成し遂げた生きる伝説でした。

しかし、一方のコンタドールも負けてはいません。
ランス引退の二年後にはツールドフランスで総合優勝。さらに翌年にはジロ・デ・イタリアとブエルタ・エスパニョーラまで制し、史上5人目のグランツール制覇を成し遂げたスーパーエースでした。
(ランスが「ツールドフランスだけに照準を合わせて調整し、他のレースでは手を抜いている」と批判されるのとは対照的ですw)

名実ともに最強のエースとなったコンタドールに対し、「ちょっとランスが復帰するからアシストに回ってくれない?」なんていくらなんでも失礼ですよね。
事実、コンタドールは「ランスが復帰するならチームを抜ける」と宣言してしまいます

しかし監督はコンタドールに対し「一方的な脱退は契約違反。脱退するなら今年度レースにでられないぞ!」と反論し、脱退を阻みます。
映画にもある通り、この監督は七連覇時代からのランスの盟友。コンタドールはさぞ腹が立ったことでしょうね。

さらに、ランスは「俺はジロ・デ・イタリアに挑戦し、ツールドフランスはコンタドールに譲る」と発表したものの、アクシデントもあってジロで満足な成績を残せず、「やっぱツールドフランスも狙うわ」と手のひら返し。

そしていざレースが始まると、コンタドールはランスに「監督の指示に従え」と説教をされたり、移動の際にサポートカーがランスとその取り巻きでいっぱいになりコンタドールはホテルの車で向かう羽目になるなど、屈辱的な扱いを受けました。

さらに、レース中、チームのアシスト達はエースのコンタドールでなく、ランスばかりをアシストしていたそうです。

しかしコンタドールはエース問題に自らの走りで決着をつけました。
そう、エースの条件はただひとつ。「誰よりも速いこと」なんです。
コンタドールがランスすら追いつけない速度で他を圧倒してトップにたつと、チームはコンタドールをアシストせざるを得なくなりました。

かくして、コンタドールはツールドフランスで優勝を決めたのです。

結局、契約終了後、チームはコンタドールに対し「今度はちゃんと単独エースとして処遇する、年俸は5億円以上」と提示しました。
しかし彼はその破格のオファーを拒否し、チームを去りました。

まとめ

いかがでしたでしょうか。
元自転車部員の雑学、楽しんでもらえたでしょうか。
こういった豆知識があれば、もう少し深く、この映画を楽しめると思います。

思えば、ランス・アームストロングは僕らの世代の伝説でした。
後輩にも、彼の著書「ただマイヨジョーヌのためではなく」に感銘を受けて自転車を始めた…なんて奴もいました。

彼の「七連覇剥奪」は僕にとっても非常に大きな衝撃で、ヤフーニュースでその記事を見つけたとき、思わず嫁に「おい、ランスが!ランス・アームストロングが…!」と言ってしまったことを覚えています。
そのときに覚えたのは、裏切られた怒りよりも、憧れが幻想であったと知った悲しみでした。

アメリカから遠く離れた日本の、現役の彼を観ていない僕ですらそうだったのです。
彼に影響を受けた子供達の衝撃は、どれほどだったでしょう…。

ドーピングは、健康を損ない、ルールを破り公平性を失わせるだけではありません。
子供達の信頼と夢を、残酷に裏切る行為なんです。

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