ララランドの前に『セッション』を! 悪魔に出会ったジャズドラマー

session

狂気じみていて、とびきりかっこいい映画だった!!

悪魔に魂を売ってでも、何かを成し遂げたいと思ったことはあるか?
正直言って僕にはない。
そこまで何かを熱く目指したことは無かったし、そんな悪魔に出会ったこともないからだ。
しかし、幸か不幸か、音楽での成功を切望し、そして悪魔に出会ってしまった青年がいた…。

ジャズ演奏者を目指す主人公は、音楽学校での選抜メンバーに候補として選ばれる。それは演奏者として大成するためには願っても無いチャンスだった。期待を胸に抱き教室を訪れる主人公。しかしその教室は、異常な緊張感で包まれていた。

予告編

92点

教官のフレッチャーが入室するとメンバーの顔が一様に引き締まる。息の音すらはばかられる沈黙。指揮棒が振り上げられると寸秒の狂いも無く楽器を構え、演奏を始めた。
しかしそれは音楽に対する“真剣さ”を通り越している気がする。選抜メンバーになんとしてでも残ろうとする“必死さ”なのだろうか。いや、彼らは教官フレッチャーに“恐怖”していたのだ。

フレッチャー教官の恐怖政治は厳しいなんて次元を超越していた。
過激で、理不尽で、残忍。
生徒に対し、直接的な暴力こそ(少ししか)振るわなかったものの、演奏を罵るだけではなく、本人の人格まで否定し、生徒たちの心をずたずたに引き裂きながら横暴の限りを尽くしていた。
私の完璧な音楽を乱すな!貴様の演奏は騒音か!その腐った耳ではわからないのか?
時に激しく残忍に。時に皮肉げに穏やかなトーンで。彼は逆鱗(どこにあるかが全く見当がつかない)に触れた生徒を執拗に罵り続けた。
そして最後は理不尽にメンバーからの脱落を言い渡すのだ。発憤させるとかでなく。

主人公も、あまりの罵倒に思い悩んだ。しかしこのジャズチームに加わることは演奏者としてスカウトの目に留まる絶好のチャンスであり、脱落するわけにはいかない。彼に気に入られるしかないのだ。彼はバンドメンバーから外される恐怖に身を硬くしながら、異常な緊張感の中、練習を続けた。小さな憎悪と狂気を抱えて…。

とにかくフレッチャー教官を演じるJ・K・シモンズの悪魔じみた演技が圧巻である。意外と厚い胸板、禿頭に黒いTシャツという出で立ちがまたシンプルで恐ろしい。彼の迫力をぜひ味わってほしいと思う。
彼の出演作では『スパイダーマン』の気難しい編集長役が印象に残っている。あの編集長もまた「理不尽で横暴な上司」だったけれども、それはまだコミカルだったし、どこか憎めないキャラクターだった。
しかしこの映画のフレッチャー教官は厳しく、残忍で、恐怖を与える悪魔的存在として演じられている。だが、彼はいやらしく執拗な罵倒と引き換えに“成功を約束する”悪魔ではなかった。主人公にも、そして観客にも、次第にフラストレーションが溜まっていく…。

映画の中で、味わい深いシーンが出てくる。
主人公が親族と食事会をしているときのことだ。地元のアメフトチームで活躍するいとこたちにみんなから賛辞が集まっていた。ささやかながらもしっかりと地域に根付いた仕事を見つけた彼らと、それを誇りに思う親族たち。一方、主人公には冷たい視線が向けられていた。音楽の学校?もういい年して何をやっているのだと。主人公は怒りと悔しさを覚え、彼らに反発する。
このシーンは大事なことを示している。
ひとつは、音楽で身を立てようと思うものは、大成しなければ決して周りから認められないのだということ。生徒がバンドから脱退できない不幸な構造はここにあるのだ。いかにフレッチャー教官の指導が非道であっても、ここでチャンスを逃すことは、全てを諦めることに他ならない。彼らは心を病みながらも逃げ出すことが出来ないのだ。
もうひとつは、主人公の深層心理が顔を除かせた点にある。自分の理想を追求し、他人や彼女をすら遠ざける孤立主義。ささやかな地元での活躍を見下し、最高の音楽に固執する理想主義。あるいはそれは、彼が憎むフレッチャーと同質のものではないだろうか。
わずかなシーンだが、物語に説得力と奥行きを持たせる、うまい演出だ。

さて、この映画は教育論としても興味深い。
フレッチャー教官のようなやり方は極端だとしても、一部には「あの時罵倒されたからこそ頑張れた、優しくされたらそこで自分の成長は止まってしまっただろう…。」と罵倒することを肯定する向きはある。
僕はこの理論があまり好きではない。厳しさも大切であることは間違いないが、だが本当に罵倒されないと頑張れなかったのだろうか。怒りと否定でしか達成されなかったのか。なにより、この手法には副作用が大きすぎるのではないか。

もちろん人格を否定するような指導を肯定するわけにはいかない。
だが、どれだけ批判を浴びせようと、主人公のように狂おしく何かを切望してしまった若者は、進んでその中に入っていくんじゃないだろうか。

そしてなにより、どんな説得も、あの心を鷲づかみにされるような、“悪魔じみた”演奏には勝てる気がしない。狂気じみていて、とびきりにかっこいいあのラスト10分間。音楽の素養が無い僕ですらも陶然としてしまうような、圧倒的なパワーを秘めたあの演奏には勝てる気がしない。
そして、最後に2人が交わしたあの表情にも、勝てる気がしない。

そう、彼がみつけた悪魔とは、フレッチャー教官だけではなかったのだ。

 サントラ買いたくなった。。

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