『フォックスキャッチャー』は非常に示唆に富んだ映画でした。
ジョン・デュポン氏は溢れんばかりの資産を持った大富豪であり、博士号を取得するほどの知性を備えながらも、性格的に破綻し、ついには殺人の罪まで犯してしまいました。
レスリングのトレーニング施設という一見この上なく健全な施設の中で、徐々に、静かに、狂気が醸造されてい く空気は背筋を寒くするものがありました。
一体なぜ彼はこうなったのでしょう? どうしたら人は狂っていくのでしょう?
ここはひとつ、映画のデュポン氏を参考に、「我が子を狂わせるための育て方」を学んで行こうかと思います。
何不自由なく与える
狂った人間を育てるのにはお金の使い方も重要になります。
デュポン氏はアメリカ三大財閥のひとつ、”デュポン財閥”の資産を引き継ぐ大富豪。 そんじょそこらの金持ちとは桁が違うのです。
私費でレスリングのオリンピック代表のトレーニング施設を建設し、コーチを雇い、チームのメンバーを養っていました。さらには戦車まで購入しては思いつきで改造を施したり、彼はその資産を自分の思うままに使っていたようです。
実は、何不自由なく与えるとは一見健全な育て方のように思えますが、それは間違いです。
有り余る資産の力で子供が望むものを何でも与えることは、子供を歪ませて育てるのに非常に有効なんです。
欲しいと思ったら労せず手に入る、苦痛に感じる障害は金の力で取り除いてもらう…そういった地道な努力を何年も重ねることで、「思い通りにならない」という状況に耐えられない子供を育てることができます。異常にストレス耐性の低い人間の出来上がりです。
僕個人の経験で申し訳ないのですが、小学生のころ、同級生男子の中でワガママで付き合いづらい性格をした人間は、全員一つの共通点がありました。
それは、彼らの裕福さ。
彼らは周りよりも一桁多いお小遣いをもらっており、最新作のゲームソフトはすぐに買ってもらえ、トレーディングカードゲームでも何十枚ものレアカードを保有していました。
正直、遊び相手としては魅力的でしたが、「負けると不機嫌になる」「自分の思い通りならないと遊ぼうとしない」と困った性格の持ち主ばかりでした。
※参考画像
(ま、しょせん小学生男子なので、性格の悪さはお互い様だったわけですが)
このストレス耐性の低さは、お金で片がつくうちは案外表面化しません。(なにせ超・大富豪ですからね!)
しかし、「勝ちたい」「暮われたい」「愛されたい」といったお金ではどうにもならないジャンルに及んだ時に、その真価を発揮します。
彼らは「望む物が手に入らない」という状況で、精神の安定を保てないのです。
酒やドラッグを用いる
人格を歪ませるためには、特に酒やドラッグなどの安易な快楽を与えるのも効果的です。
デュポン氏は、チームに誘い入れた選手たちに、酒やドラッグを薦めています。きっと彼は、日常的にその快楽を味わっていたことでしょう。
お酒やドラッグの何が素晴らしいって、心の痛みを忘れさせてくれる点です。
つらいことがあっても、反省すべきことがあっても、「酔い」はそんな痛みを忘れさせてくれます。 痛みに向かい合い対策を立てるのではなく、「酔い」に逃げて幸せを得る…。
長期的に見て、お酒の人格に与える効果は計り知れないものがあります。 (お酒、ドラッグはもちろん、恋愛でも、ギャンブルでも、SNSでも、インターネットゲームでも…依存し、逃避できるものならなんでもいいでしょう)
もしかするといつしか酒やクスリに頼るようになってしまうかもしれません。次第に快楽に溺れ、堕落していく ことに危機を覚え、良心が咎めるかもしれません。
でも大丈夫!そんな時は酔えばいいんです。
「酔い」はそんな「直視したくない現実」すらも、忘れさせてくれるのですから…。
『アル中病棟』(吾妻ひでお)
金をばらまいて人を集める
デュポン氏で最も印象的だったのは、素人でありながら、チームのコーチとして振る舞っていたことです。
演説で皆を鼓舞し、コーチとして自分を称える番組まで作成していました。彼は自分をどれだけ勘違いしていたのでしょうか?
いや、本当は彼だって自分の実力は薄々感づいていたでしょう。彼はただ皆に慕われたかったのです。
人は、他人との繋がりの中に幸せを感じる生き物です。
つまり、子供の性格を歪めようと思ったら、その人間関係を歪ませておくことが非常に重要になってきます。
通常、人間関係とは、信頼・助け合い・感謝などで維持されていくのですが、心を歪ませようと思ったら、ここはお金をバラマくことで多くの人間を子供の周りに集めておく方法をオススメします。
お金の力は本当に強力です。偉大です。モノだけでなく人の心ですら、お金によって従えることができるのですから。
たとえばデュポン氏のように「資金を出しているオーナー」になれば、いくら実績も能力も、信頼すら無くても、 国内最高峰のチームにでコーチとして扱ってもらえるのです。
きっと子供は、お金の力で獲得した人望に満足し、「ああ、人とはこうやって関係を築けばいいのだな」と学びを得ることでしょう。
もちろんご存じのとおり、いくらお金をばらまいても、真の信頼はえられません。
それに気づくのは、遅ければ遅いほどいいでしょう。 今更気づいたところで信頼を築く方法もわかりません。そして今まで群がっていた人々がいなくなる寂しさを考えると、お金をバラまくのを止めることもできないのです。
一度気づいてしまったら、バラまけばバラまくほど空しさを感じてしまう。でもやめられない…という負のスパイ ラルに陥ります。 こうなれば、人格の破綻まであと一歩。
「人との繋がりこそが幸せ」とは、裏返せば「孤独は、容易に人を壊す」ということなのです。
働かせない
ところで、デュポン氏のご職業、なんだか知っていますか? wikipedia によれば、『デュポン財閥の資産相続人』。ようするに、ニート働いていないのです。ま、彼のような大財閥の御曹司が、わざわざ汗水たらして小銭を稼ぐ必要は全くありませんけどね。
勤労とは、お金のためだけのものではありません。
よく、仕事のストレスが問題視されますが、適度であればストレスは心身の健康維持にも大切です。なにより仕事は、自分が社会に貢献している証拠であり、自分自身が必要とされていることを実感できるものです。
定年後、暇を持て余したお父さんが無気力・不安定になっていくなんて例もありますよね。
我が子の精神状態を不安定にさせるためには、働かせないことが案外大切なのです。
両親の不仲
詳しい経緯はわかりませんが、デュポン氏のご両親は彼が二歳の時に離婚されています。
一般的に、両親の不仲は子供の精神状態に大きく影響することが知られています。
彼の場合、まだ物心つかない頃の離婚という事で、あまり大きな影響はなかったかもしれません。
しかし母と父(妻と夫)という最も身近なモデルケースを観察する機会がなかったせいで、人間関係の構築に困難を抱えていたのではないでしょうか。
なお、デュポン氏は 45 歳の時に結婚をしましたが、半年持たずに別居、その後離婚が成立しています。デュポ ン氏が妻に拳銃を突きつけたり、暖炉に突き倒そうとしたためだそうです。
…以前。教育現場で働く友人に相談したことがあります。
「いつか自分の子供が非行に走る可能性もゼロではない。親としてどんなことを気を付けたらいいんだろう。」
彼は即座に答えました。
「生徒に人格的な問題がある場合、例外なく家庭環境になんらかの問題があるんだよね…。特別にしなきゃ行けないことなんてない。大切なのは家族仲よくすることだよ。」
子供の承認欲求を満たさない
これ、結構重要です。
デュポン氏がレスリングチームを作り、そしてその指導者として称えられたかった大きな要因として、母親に対する承認欲求が伺えました。
チームの成果を誇らしげに母親に報告し、また母親がトレーニング施設に現れると急いで「皆に慕われる指導者」然としたり…まるで子供が母親に褒めてほしくて自慢をするかのようでした。
ところが、母親が彼を褒め、認めてあげる場面は一切描写されませんでした。
それどころか、彼女はレスリング競技そのものすら認めず、野蛮で、低俗なものと見下しさえしていたのです。
デュポン氏はたしかに選手としての才能も、指導者としての能力もありませんでしたが、レスリングへの愛情は本物でした。彼は真剣に、レスリング代表チームを強くし、オリンピックでの金メダルでの獲得することを夢見ていたのです。
僕にも、覚えがあります。自分自身の愛するもの、努力してきたことを親にバカにされるのは、非常に悲しいことなんです。
僕がアニメが好きなことを未だに公言できないのは、母親から「みっともない」「恥ずかしい」と言われ続けた “呪い”が少なからずあるからだと思っています(笑)
デュポン氏がここまでレスリングで偉大になることに固執するのには、「どうにかして母親に振り向いてもらいたい」という満たされない思いがあったのではないでしょうか?
しかし結局、デュポン氏に優しい言葉をかけることがないまま、母親は亡くなってしまいました。
母親が確かに愛した厩舎の中で、呆然としていたデュポン氏。
彼はこの日、心の底から望み続けていたものを、永遠に手に入れられなくなってしまったのです。
「毒親育ち」(松本耳子)
ホルモン変動の影響について、知識を与えない
最後は、映画では明らかにされていなかった事実です。
実は、デュポン氏は事故により両方の睾丸を失っています。 これにより、男性ホルモンの生産が停止し、精神的に不安定になっていた可能性が高いです。
さすがに、これは親がどうにかできるものではありませんが…。
ただ、「知識」があれば、「不安」に対処できます。
むしろ「知識」がないからこそ、人は不安に支配されるのです。
自分がなぜ不安定になっているか、それが「ホルモンバランスのせいだ」と知識があるかどうかで、心の持ちようは大きく違います。
心が不安定でも、「今はホルモンバランスが乱れてるから不安なんだろうな」と理解していれば、どこかで安心できるものです。
しかしもしその知識がなければ、「なぜかわからないけど不安だ…」と得体のしれないなにかに怯え続けてしまうのです。
さらには、「きっとコイツのせい に違いない」と別の何かに責任転換することすら考えられます。
デュポン氏がデイブ・シュルツ氏を殺害した瞬間、彼の頭を支配していたのは「きっとコイツのせいに違いない…ッ」という腹立たしい思いだったのではないでしょうか?
最後に
もちろん、これらの要素は、どれかひとつでもあれば狂った人間ができるという簡単なものではありません。 何不自由なく育てられても証まない人だっているし、両親が不仲でも立派に育つ人間はいくらでもいます。 睾丸を失っても、変わらず人格者であり続ける人だっているでしょう。
おそらく人を狂わせるためには、これらの要因がひとつだけでは不可能なんでしょう。いくつもの要因が織り重 なり、影響し合う必要があるんです。
逆に言えば、もしも、たったひとつだけでいい、両親だけでも彼を認めてあげていたら。
ありのままの彼でいいんだと言ってあげていたら…。
そんな想像は、考えすぎでしょうか。