この映画を考察するに当たって、注目してほしいシーンが一つあります。
乱射事件の犯人でもあるアレックスが教室の後ろの方に座っているときに、
いかにも体育会系の刈り上げ男子が何かを投げつけているシーンがありましたよね。
アレックスに白いべたべたするもの(スライム的ななにか?)がくっつきます。
重要なのはその直後です。
白いベタベタの2発目が飛んでくるのですが、
それが、1発目とは若干異なった角度から飛んできているのです。
これは、『投げつけてきたのは体育会系刈り上げ男子一人ではない』ことを意味しています。
ではいったい誰なのか?
明確には示されていませんが、2発目を受けたときのアレックスの顔の向きから察するに、もう一人の犯人はこの男子である可能性が高いです。
そう、この映画の前半にロングショットで描写されていた、モテモテイケメンのネイサンです。
彼もまた、アレックスを虐めていた主犯格だったのです。
そういえば、映画の最後はアレックスが冷蔵室でネイサンを見つけるシーンでしたね。
彼は、「これはこれは…」と呟き、
そして彼は、映画の中で初めて、笑顔を浮かべました。
ネイサンが、イジメの主犯格。
ここがもっとも残酷なところです。
虐めてくる相手が不良男子であれば、「どうせ、あいつらは世間の鼻つまみ者だ。内心みんなに嫌われて疎まれて、将来は負け組だ」と溜飲を下げる事もできます。
しかし、彼を虐めていたネイサンは、学園のヒーローとしてみんなにチヤホヤされているのです。
ネイサンは男友達とスポーツを楽しむ好青年です。
さらに廊下を歩けば女の子にもキャーキャー言われ、
きれいな女の子をガールフレンドにもしています。
あの年代の男の子にとっては“自分より相手の方がモテる、女子に評価されている”というだけで十分悔しいものです。
(一方のアレックスは、共犯の友人に女性経験がないことを告白している)
さらに彼の構内での振る舞いや周りの態度をみる限り、スポーツだけでなく、おそらく教師の印象も悪くないことまで想像がつきます。
ネイサンは「みんなの人気者」、典型的なスクールカーストの最上位の存在として描かれているのです。
アレックスをイジメる主犯格であるにも関わらず!
学校空間において、生徒の間に自然発生する人気の度合いを表す序列。
ネイサンはスポーツエリートで学園のヒーローである『ジョック』。
アレックスはいじめ被害者を意味する『ターゲット』、
あるいはゲーム・PCオタクである『ギーク』に該当します。(彼の部屋の中はゲーム機でいっぱいでしたね。)
他の登場人物は学園生活で多かれ少なかれ悩みを抱えている描写があります。
アルコール依存症の父親を抱えた男子。
「キモくてダサい」と言われ孤立する女子。
体型の囚われ食べたものを吐き出す三人組。
しかし皮肉なことに、ただネイサンだけが、なんの悩みもなくイキイキとしているのです。
(そういえば、学園の外に軸足を置くからか、カメラ少年も悩みの描写がなかったように思えます)
なにも悪くないはずのアレックスはイジメの苦しみを背負い、加害者であるはずのネイサンが学園生活を謳歌する…。
なんという理不尽でしょう。
しかし、学園の誰も、そこに違和感を感じなかったのでしょうか?
アレックスが“暴発”してしまった背景はそこにあります。
そして監督が訴えたかった核心もそこにあるのです。
ただイジメがつらかったのではありません。
ただネイサンが憎かったのではありません。
悪人になんの裁きもないどころか賞賛するような、理不尽きわまりない空間への怒りが爆発してしまったのです。
彼は、そんな世界を構成する全ての要素を壊してしまいたかったのです。
校舎も、
教師も、
男子生徒も、
女子生徒も、
加害者も、
傍観者も、
なにもかも。
“学校”という空間そのものが許せなかったのです。
静謐で、寡黙な映画だったので、わかりにくかったかもしれません。
しかし、ネイサンとアレックスの関係に気づくと、この映画の訴えたかったメッセージから目が離せなくなります。
ーーーいったい誰が、“加害者”だったのでしょうか?
少なくとも、ネイサンだけではあり得ません。
そしてその場に自分がいたら…
「私は違う」と言い切れるのでしょうか?