「最初で最後のキス」のモデル『ラリーキング事件』/原題の意味は?

レスポンシブ広告


思春期の友情と、同性愛とを描いた鮮烈な作品『最初で最後のキス』には元ネタとなった事件があります。
2008年にアメリカ・カリフォルニア州でおこった『ラリーキング事件』です。

この事件の記事を読んだイヴァン・コトロネーオ監督が、自ら小説として執筆し、そして映画化したのが『最初で最後のキス』(原題:UN BACIO)になります。

事件の概要

15歳のゲイの少年が、教室で同級生に射殺されました。彼は事件の数日前、加害者の少年に愛の告白をしていました。

被害者 ラリー・キング君

フルネームはLawrence Fobes King。

映画ではロレンツォ君は養子として迎えられていましたが、ラリー・キング君も養子でした。
父親はわからず、母親は薬物中毒であったため親権をとりあげられ、別の家庭で養子として育てられていました。

彼は10歳のときには自分がゲイであるとカミングアウトしていました(!)。しかしそのせいで同級生から「オカマ」、「軟弱」といじめを受けます。

しかし彼はめげずに自分のアイデンティティを貫きました。
高校生になると、彼は女性用の服を身につけ、ハイヒールを履き、メイクをして学校に通うようになりました。
いじめは激化し、登校中の彼に向かって何人もの生徒が中傷の言葉を投げかけましたが、それでも彼はやめませんでした。

学校側も彼の服装を問題視しましたが、学校としては「彼の服装選択の自由はカリフォルニア州の州法で保障された権利である」として、教員にも電子メールで同様の通達を出しています。
ただし、個々の教員によっては彼の服装を快く思っていないようでしたが。(映画のマニキュアのシーンと同様ですね)

また、事件の直前、彼は親しい女友達に「自分の名前をLeticiaに変える」と話していました。

加害者

フルネームはBrandon Mclnerney君。
…そういや、未成年でも実名報道なんですね。

彼もまた、複雑な家庭環境に育っていました。
母親は前科持ちの薬物中毒。父親も前科持ち。母親が薬物依存症の矯正施設に入退所を繰り返していたため、父親と一緒に暮らしていました。

不安定な家庭環境からか、ナチスに傾倒したり、白人至上主義の傾向をみせたりしたそうです。

事件の起こり

事件の1日か2日前、ラリー・キング君はバスケのゲームの最中であったバスケットボールのコートにおいて、そして、チームメンバーがからかう目の前で、マクナーニー君にバレンタインの予定を尋ねました。

また2月11日の昼食の後には、学校の廊下でマクナーニー君に向かっている「愛してるんだ(Love you, baby)」と呼びかける様子が目撃されています。
級友たちはマクナーニーをからかって笑い、彼は明らかに動揺した様子をみせていました、
(この辺の細かい設定が、いちいち映画とダブりますね)

マクナーニー君はからかいに耐えながら、他の生徒に「ラリー・キングを殺そう」と誘いかけますが、誰も関心を持ちませんでした。
また彼はキングの女友達に「彼にさよならを言っておけよ。もう会えなくなるんだからな。」と言います。

発砲

翌2月12日、彼は父親からくすねた22口径リボルバー拳銃を鞄にいれて登校します。
彼は一度は発砲をやめようかと思いますが「彼が自分の名前をLeticiaに変える」という話を聞き再び犯行を決意します。
そして教室にはいると銃を取り出し、背後からラリー・キング君の後頭部に2発の弾丸を撃ちこみました。

発砲後、マクナーニー君は銃を床に放るとふらふらと歩いて教室をでていき、発砲から七分後、急行した警察によって確保されました。

ラリー・キング君はすぐさま救命センターへ搬送されますが、すでに致命的な状態でした。
日付の変わった2月13日、彼は「脳死状態である」として法的に死亡が確認されました。
(※同州では脳死が法的な死として扱われる)

判決

マクナーニー君は3年間の長きに渡る裁判の後、21年の懲役刑を言い渡されました。

考察

マクナーニー君は、なぜ凶行に及んでしまったのでしょう。
いかに同性愛への理解がなかろうと、バレンタインに愛の告白をしただけで殺害なんて過剰すぎます。

その理解の手助けになるのが、やはり映画の描写だと思います。

映画では、ロレンツォがゲイであることをオープンにしているだけで周囲から中傷を受けていました。(まぁ、彼の挑発的な態度も理由の一つでしょうが)

彼と仲良くしていたアントニオも、学校の塀に「アントニオはロレンツォに掘られている」なんて中傷を書かれていました。

ロレンツォやブルーのように孤高を貫くことができる人もいれば、周囲からゲイ扱いされることが耐えられない人間もいます。

特に、帰宅部のロレンツォとブルーに対し、アントニオがバスケ部員であるとの描写はとても的を得ています。
単に“ラリー・キング君がバスケットボールのコートで告白をした”という事実に沿っているだけではありません。彼が属しているのは、マッチョな男性であることをことさら重要視する男性集団なのです。(体育会系、といってもいいでしょう)

アントニオがバスケ部の中で“オカマ”扱いされることが耐えられなかったように、「ナチスに傾倒していた」「白人至上主義の傾向があった」とされるマクナーニー君も、(たとえ仲間の冗談だとしても)ゲイ扱いされることはこの上ない屈辱だったのでしょう。
ナチスや白人至上主義は、遺伝学的に“正常”であるか否かだけで人を判断する主義思想です。彼にとって、「優秀」で「正常」であることこそが誇りであり、同性愛など嫌悪すべき劣等だったのです。

思うに、映画のアントニオも、言葉にこそ出しませんでしたが、内心ロレンツォの同性愛を嫌悪していたのではないでしょうか。
時折でてくる「兄の幻影」は、彼の心の声を代弁する存在だったと思うのです。頭ではロレンツォを友人として尊重していても、同性愛への偏見が拭いきれなかったのです。

ブルーは好きだが、ロレンツォは好きになれないな

ーーー兄の幻影

結局なにが事件の引き金になったのでしょうか。

ラリー・キングの女装を許したから?
不安定な家庭環境?
根強い同性愛への嫌悪感?
マクナーニー君の優生思想?
思春期の不幸な暴走?

僕は、彼を凶行に向かわせた原因は、バスケ部員あるいはクラスメートの一人一人にもあると思います。

「お前ゲイかよwww」

マクナーニー君に対するそんな冗談半分のからかいの言葉が、あるいはラリー・キング君に対する中傷が、「ゲイとは忌避すべきもの」との空気を醸造してしまいました。そしてただでさえ不安定なマクナーニー君を追いつめてしまったのです。

もしかしたら、どこにでもある軽い冗談だったかもしれません。マクナーニー君を本気でゲイと思っていたわけでもなく、友人同士のからかいのつもりだったかもしれません。一人一人は決して加害者意識などなかったでしょう。
でも、冗談としてからかうことこそが“根強い嫌悪感”を生む罪悪なのです。

僕の子供たちも、いつか友達に対して「オカマっぽいw」「ホモみたいw」というからかいの言葉を放つのかもしれません。
それがどんな悲劇の温床となるのか、いつかこの映画を一緒に観て伝えたいと思うのです。

近年、以前と比べてLGBTへの理解はぐっと進んだと思います。子供たちに口を酸っぱくして言う必要もないのかもしれません。
でも僕にはそうは思えません。

カリフォルニア州は、ずいぶん昔からLGBTに理解のある地域として知られていました。
レインボーフラッグ発祥の地でもあり、カリフォルニア州サンフランシスコはいくつものゲイバーが並ぶ「ゲイの聖地」とも呼ばれていたくらいです。

この事件は、そんなカリフォルニア州で起こったのですから。

最後に、原題の意味について

原作小説のタイトル/映画の原題は『UN BACIO』。
直訳すると「キスを一つ」。
そしてイタリア語の慣用句として「じゃあ、またね」という意味です。

脳死判定後、ラリー・キング君は臓器提供のためしばらく生命維持を続けられた後、家族の同意の下でスイッチを切られました。

2月14日、バレンタインの夜のことでした。

LGBT関連映画

DVD
スポンサーリンク
レクタングル大
レクタングル大



シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

フォローする

スポンサーリンク
レクタングル大