子供を育てていると、「いい子」であることが心配になる瞬間があります。
もちろん親の僕たちにしてみれば「わがままな子」より「いい子」なほうが扱いやすいです。毎朝「このズボンはイヤ!このズボンもイヤ!全部イヤ!」「ごはんたべない!おもちゃであさぶ!」と駄々をこねられるのは本当に疲れるのです。いやまじで。(共働きにとって朝は時間との戦いなんです)
しかし親とは勝手なもので。子供が嫌であろう言いつけを「はい」と素直に従ってることに気づくと、途端に心配になってしまうんです。
子供ながらにストレスを溜め込んでいるんじゃないのか?
自分の気持ちを押し殺しているんじゃないのか?
うちでは特に、一番上の4歳のお兄ちゃんが、時々そんな表情をみせます。
本当は彼、保育園や習い事に行きたくないんですよね。お父さんやお母さんと一緒に遊んでたい、一緒に絵本を読みたい、離れたくない。最初の頃はそりゃーもう駄々をこねたもんです。
保育園や習い事に行かなきゃいけない理由を何度も話して聞かせ、褒めておだてました。次第に彼も納得してくれたのか、いつしか駄々をこねなくなりました。
ただ、彼は毎朝「きょうは ほいくえん?」「きょうは スイミング?」と確認するようになりました。
日曜日に「今日はお休みだよ」なんて言うと、それはもう飛び上がって喜ぶのです。「今日はスイミングだよ」と言うと少し表情が曇ります。そして健気に「うわ~ やった~」なんて喜んでみせるのです (´;ω;`)ブワッ
あぁ…、そんな無理に喜んでみせなくていいんだぞ…っ!。・゚・(ノД`)・゚・。
お父ちゃん、彼のこの表情をみるたび切なくなるよ…
(でもスイミングは辞めさせないけどな!)
彼は、僕らを喜ばせたいんだと思います。
お父さんお母さんが好きだからこそ、子供は両親が喜ぶようなリアクションをしてしまうんです。
僕らが喜ぶから、彼は「いい子」の仮面をかぶるんです。
そして、この映画の女の子は、どれだけの仮面をかぶっていたのでしょう。
あらすじ
母スザンナ(ジュリアン・ムーア)と父ビール(スティーヴ・クーガン)が離婚し、共同親権を持つ両親の家を行き来することになった6歳の少女メイジー(オナタ・アプリール)。ロックスターであるスザンナは、再婚相手の青年リンカーン(アレクサンダー・スカルスガルド)に子育てを押し付けていた。メイジーは優しいリンカーンと心を通わせ始めるが、スザンナはそんな状況にいらついてしまい……。
yahoo映画より
予告編
75点
彼女の両親は不仲です。
娘に聞こえるにも関わらず、恐ろしい剣幕で夫婦喧嘩をする。常日頃から不快感を露わにした態度をとる。相手を傷つける言葉を次々放つ。
誰でも少しは経験あると思うけど、子供にとって両親がいがみ合っているのは本当につらいものです。だって、どっちも大切な自分の親なんだから。どちらが傷ついても悲しいし、誰かを傷つける姿だってみたくないです。
喧嘩が聞こえている中、メイジーは悲しそうな顔もせずお絵描きをしていました。ピザのデリバリーのお兄さんには笑顔でチップを渡しました。両親に「出かけてくるね」と言われたら不満な顔ひとつ浮かべず送り出し、「嬉しいでしょう?」と訪ねられたらにっこり微笑み頷きました。
メイジーのひとつひとつの表情が、本当に胸にきます。
彼女は一つだって、心からの表情をしていないんです。
そういやこの映画、メイジーの表情もいいけど次々変わるメイジーの服装もとっても可愛かったですね。ひとつひとつの服がシンプルながら大胆な色彩で魅力的。よく見るとカチューシャも毎日違うそうです。気がつかなかった!トラ柄のはかわいかった!
(毎日違う水着を着てるのにはさすがに笑った。ふつう1着を使い回すよ!)
↑トラ柄の。
娘が大きくなったら着せてみたいなーって思いました。きっとこういう服が「センスのある服」なんだろなー。自分の苦手ジャンルです(笑)
ステーシーバタットというデザイナーさんが衣装・デザインの担当らしいです。調べてみると「マーク・ジェイコブスに師事していた」とか書いてあって、「いや、誰やねん」って思いました。
なんか、「マークジェイコブス」っていう有名なブランドをもつ著名なデザイナーだそうですね…。あ、そうなの…。
うん、やっぱ俺おしゃれ方面はさっぱりダメだわ!
親の資格って、なんだろう
離婚した両親の家を行き来することになったメイジーでしたが、両親は多忙を理由に彼女と十分な時間をとろうとしません。それどころか、それぞれの新しい結婚相手に彼女の世話を押しつけました。(というか、二人とも既に結婚相手がいるのがハチャメチャすぎる。少女漫画か!)
百歩譲って仕事が多忙なのは仕方ありません。経済的理由や職場の待遇などの理由で、子供に満足に時間をとれない家庭は他にもいくらだっていますからね。
ただ、子供の生活環境を整えようという姿勢もなければ、メイジーの望んでいるであろう「親子の時間」をつくる様子もない。
なにより、メイジーのつらい気持ちに気づこうともしていない。
メイジーの両親には親の資格などあるようには見えません!
逆に、両親の代わりに面倒を見ていたベビーシッターとバーテンダーの二人との間に、メイジーは暖かい絆をつくっていきました。
ああ、この二人が本当の両親であったらどれだけよかったか!
そんな観客の思い通りに、若い二人はいつしか惹かれあいます。
メイジーを含めた三人は、海辺のコテージに忍び込み、「家族」としての素敵な時間を過ごします。
彼らの方が、よっぽど親として素晴らしいように思えます。
しかし、実の両親には本当に親の資格がなかったのでしょうか?
終盤、メイジーを迎えにコテージにやって来た母親との会話をきくと、「母親としてクズ」という評価がグラついてしまいました。
彼女は自分の短気がメイジーを怖がらせたことに気づき、深く反省していました。メイジーに真摯に謝りました。メイジーの希望を聞き、若い二人にもうしばらく預けるという、今までの母親からは信じられない行動をとりました。
その少し前のシーンですが、子供の側にいようと、ライブツアーを抜けられないか必死で交渉する姿も観られました。
「あなたが生まれるまでこんな愛を知らなかった」
やり方は間違っていましたし、メイジーの気持ちに気づいてあげられませんでした。
でも、母親の愛情はきっと本物でした。
メイジーを幸せにしたいという気持ちは誰にも負けていなかったと思います。
ただ、子供を幸せにする方法を知らなかっただけなのかもしれません。いろんなことで頭がいっぱいで、子供に気を配る余裕がなかったのかもしれません。
どんな接し方をするべきかという「知識」と、心や時間の「余裕」さえあれば、彼女はいい母親になれたのかもしれない。そう思うのです。
実の母親に足りない部分があったように、若い二人も決して完璧な両親とは言えませんでした。
バーテンダーのセリフや、海辺のコテージにこっそり忍び込んでいる描写から二人には十分な経済力がないことが伺えます。
あのコテージの素晴らしい日々は、実は恐ろしく脆いものです。ひとたび管理人の目に留まれば追い出されてしまい、3人は宿なしの暮らしを余儀なくされていたでしょう。
将来的な進学とか以前に、十分な衣食住すら提供できない状態は、子供を育てるに十分な環境とは思えません。
多忙と引き替えではありましたが、実の両親は経済的には安定していましたしね。。
果たして、メイジーにとってどちらが親としてふさわしいのでしょう?
実の母親が、最後に親としての心を取り戻したことに賭けるか?
若い二人が、いつか経済力も手に入れ、安定した家庭を築くことに望みを託すか?
答えは、ラストシーンのメイジーの表情が物語っていると思います。
コテージに迎えにきた母親に、メイジーはあと一日でいいからここに残りたいと応えます。
最後の最後で、初めて母親の気持ちに背いて自分の希望をいったのです。この映画で彼女が自分の意思を示したのはこの一回だけかもしれません。
次のシーン、彼女は嬉しそうに桟橋を走ります。
ところが、スローモーションで走る彼女の顔がアップになると、嬉しそうだったはずの顔がどこか悲しげなんです。
彼女の表情の意味は、推測するしかありません。
彼女は、自分が母親を傷つけてしまったのが悲しかったのではないでしょうか。
本当は、母親と幸せになりたかったのではないでしょうか。
どれだけ若い二人がメイジーを愛してくれても、メイジーは心から幸せには思えなかったんです。メイジーが愛しているのは実の母親なんです。
「親の資格」がなくっても、彼女はどうしようもなく“母親”なんです。
悪かったのは母親か?
最初は、父親よりも母親に非があると感じていました。
飲酒や喫煙もイメージが悪かったし、小さな子供がいるのに飲み仲間を夜遅くに家に招いて騒いでいるのも気に入りませんでした。
なにより、メイジーといい関係を築きはじめた再婚相手の男を「娘に取り入るなんて呆れたわ」と罵倒してしまうところなんて本当にクズの極み。
娘と仲良くする事への嫉妬でしょうか?
そう言えば元夫への反感も、娘と楽しそうに過ごす姿への嫉妬が含まれているように感じました。
きっと彼女は嫉妬心や苛立ちの感情をうまくセーブできないんでしょうね。
そんな情緒不安定さから、母親は娘にとって望ましい関係も次々にぶち壊してしまいます。そのくせ多忙なせいで娘に必要な環境は用意してあげられない始末…。
僕はこの母親こそが、メイジーの不幸の元凶だと思っていました。
でも物語が進むにつれ、この母親は決して子供への愛情のないクズではないと思うようになりました。ただ「知識」と「余裕」がないだけだって。
この母親は何度も「ママのこと愛している?」と聞きます。
うちの母親も、よく「お母さんのこと好き?」なんて子供の頃の僕たちに聞いたそうですが、ある人に「そういうのはね、愛されている自信がないから聞くのよ」と指摘されたことがあるそうです。(まぁ、昔から僕は母親に愛想のない子でしたから)
きっとこの母親も、心の底ではずっと不安だったのだと思います。
もっとも、彼女は「知識」をもたらしてくれる他人からの助言に耳を貸そうとしない困った性格でした。「余裕」をつくるための他人の手助けだって、嫉妬心と被害妄想から敵視して遠ざけてしまいました。
成功がプライドを高くしてしまったのか、元からそう言う性格だったのか?なぜそうなってしまったかはわかりませんが。
いわば、彼女は子育てにおいて、自ら孤立していったのです。
最近よく喧伝されているように、一人で子育てを行うと恐ろしく疲弊します。子育ては一人では出来やしないんです。
世間は「母親」という存在を強烈に神聖視していますが、妊娠した途端に忍耐強い人格者になんてなれやしません。パートナーや周囲の協力が絶対に必要なんです。
足りないところを補い、疲れたときに代わってあげられる存在が必要なのです。
この母親は他人との協調がとても下手です。とりわけパートナーの存在が重要だったはずです。
パートナーとして、メイジーの父親はどうだったでしょうか。
この父親は一見落ち着いた対応の出来る人間のようにみえます。
しかし新しいパートナーであるマーゴへの扱いをみていると、決定的に他人への思いやりが欠けているように思えてなりません。
もしも彼が妻を労ることが出来ていたら、お互いに信頼関係を築けていたら、こんな事態にはならなかったのでしょう。
父親と母親どちらが悪いという話ではないですが、僕には、精神的に余裕を残していた父親の方に責任があると感じます。
まだ彼には出来ることがあったはずです。
この映画は一見突拍子もない境遇を描いたように思えます。誰しも、「自分は大丈夫、いくらなんでもこんなヒドい子育てをするわけない」と考えることでしょう。
ただ、「子育てで孤立する」状況もないと言えるでしょうか?自分のパートナーに子育ての負担を押しつけていたりはしないでしょうか?
この映画の根底にあった問題は、決して特殊なケースではないんです。
家事や育児に追われ、子供への対応に余裕がなくなっていないか?あなたのパートナーは疲れ果てていないか?
この物語は、形をかえ、私たちが経験する出来事に過ぎないかもしれないんです。
*****
この映画は、100年以上前の小説「What Maisie Knew」(邦訳:メイジーの知ったこと)を元にしています。
当然時代背景などは全然違いますし、物語の筋もかなり改変してあります。
なお、作者のヘンリー・ジェイムスはアメリカで生まれ育ち、イギリスで活躍した文豪です。アメリカとイギリス、ふたつの文化を経験した彼ならではの視点が作品にも生かされています
原作あらすじ
19世紀末のイギリス。仲が悪く離婚した夫婦が、自分たちの世間体だけを考えてそれぞれ子供を引き取ろうとした。幼い娘はそれぞれの家で半年ずつ暮らすことになった。
別れた夫婦はそれぞれ別の相手と結婚する。だが、大人たちは皆、この夫婦に負けず劣らず自分勝手だった。純粋なメイジーの視点を通じて、周りの大人たち醜さ、愚かしさを描きだしていく。
原作は以下の点が映画版と異なります
- 両親がメイジーに対して愛情を抱いていない
- 預ける期間が半年ごとになっている
- それぞれの再婚相手も自分勝手な人間として描かれている
- 幼いメイジーは、事態を完全には理解できていない
また内容も原作は映画に比べかなり辛辣で、救いがないと言われています。ハッピーエンドの兆しが見えた映画版とはだいぶ違いますね。
メイジーに対する扱いも現代なら即刻ネグレクトだったでしょうが、まあ、これは時代が時代ですから差し引いて考えねばなりませんね。
それにしても、なぜこの作品を、もう一度現代で描こうとしたのでしょう。
単なるハッピーエンドにもせず、悲しい結末とも言い切れない、「希望が残る」結末にしたのはなぜなのでしょうか。
監督は現代の母親が抱える「孤立した子育て」という問題を描きたかったからではないでしょうか。
母親はこの上なくメイジーを愛していました。それなのに、メイジーは愛情に飢えていたんです。
子供との接し方、パートナーとの接し方をもう一度振り返るきっかけになりました。
いい映画でした。
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コメント
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原題の最後の s は取ったほうがいいです。