※映画のネタバレを含みますのでご注意ください
映画のエンドロールでも、ビリー・ジーンが同性愛活動家になったこと等に触れていましたね。
しかし映画のその後を調べてみると、興味深い事実がまだまだたくさん出てきました。
彼らはその後どんな人生を辿ったのでしょうか?
もくじ
- マリリンとビリー・ジーンの悲劇的な結末
- マーガレット・コート選手は反同性愛活動家に
- ボビー・リッグスとビリー・ジーンのその後
- ビリー・ジーンの苦悩に満ちたカミングアウト
マリリンとビリー・ジーンの悲劇的な結末
マリリン・バーネットとビリー・ジーン・キングの関係はほぼ事実に即しています。
ビリー・ジーンは美容院で出会ったマリリンを大会に連れて回るようになり、形式的にも個人的なアシスタントとして雇い入れます。ちなみに月額600ドルだそうです。現在の価値で考えれば4000ドル、50万円弱ですね。
しかし経緯はわかりませんが、数年後、二人は破局してしまいました。
それだけでなく、マリリンはビリー・ジーンが彼女を一生扶養するという約束を破ったとしてビリー・ジーンに対し裁判をおこします。「合法的に結婚していない事実婚であっても、関係の解消時には財産を等しく分割する」という法律に違反しているとの訴えでした。
(これによりビリー・ジーンは、同性愛を認めた最初のプロ選手になりました)
記者にマイクを向けられるマリリン・バーネット
二人は法廷で争いましたが、結果としてマリリンは敗訴してしまいます。
皮肉なことに、ビリー・ジーンの弁護士の「レズビアンのカップルにはその法律の権利は適用されない」という主張が認められた結果でした。
また、ビリー・ジーンは法廷でマリリンとの同性愛関係について「一時的な気の迷いであり、間違っていた」と主張し、今後は夫との結婚生活を守っていくことを強調しました。
その年、マリリンは自殺未遂を起こし、一命はとりとめたものの下半身不随となってしまいます。その後、彼女の消息は定かではありません。
マーガレット・コート選手は反同性愛活動家に
映画の中でビリー・ジーンが同性の愛人を連れていることに対し「不道徳」「罪」との態度を示したマーガレット・コート選手ですが、現実でも同性愛に対して激しい批判を繰り返す反同性愛活動家として有名になりました。
近年でも、オーストラリアの航空会社・カンタス国際航空が同性愛を促進する活動をしていることを批判し、「今後は別の航空会社を使用する」と発言しています。
ただし、彼女の宗教的な価値観も理解しておく必要はあります。
元来彼女は非常に保守的・宗教的でしたが、引退後はさらにその道の勉強を深め、神学校で学位を取得し、ついには牧師にまでなってしまいました。(※プロテスタントでは宗派によっては女性牧師が認められているのです)
個人や宗派による温度差もありますが、キリスト教は基本的に同性愛に対して否定的な考えが根強いです。彼女は同性愛に反対することが「正しい行い」だと信じていたのでしょう。
結婚は、聖書に書かれているとおり、男性と女性の間の和合であると私は信じています。
ウエスタン・オーストラリアン紙でのコート女史の発言
また、彼女がビリー・ジーンを忌み嫌っていたかというとそうでもありません。
マーガレット・コートは今なお歴代最多のグランドスラム優勝回数を誇る、女子テニス史上最高の選手です。
それにも関わらず、自分より低い成績で年下のビリー・ジーンに対し「私が今まで知った中で最大のライバル」と述べているのです。
もしかしたら彼女の同性愛への反感は、ビリー・ジーンを成績で上回っても、彼女の強烈な個性にどこか劣等感を感じてしまうことへの、複雑な感情の現れなのでしょうか…。
ボビー・リッグスとビリー・ジーンのその後
ボビーは1995年に亡くなりましたが、晩年の彼とビリー・ジーンは非常に友好的な関係を築いていたそうです。
ビリー・ジーンは頻繁に彼に電話をかけ、病床の彼を見舞いにいこうともしていました。
ボビーの死の前日も、二人は電話で会話をしていました。
ビリー・ジーンが最後にボビーに言った言葉は、“I love you.”だったそうです。
ビリー・ジーンの苦悩に満ちたカミングアウト
映画を観ているとわかりづらいですが、その後のビリー・ジーンはあっさり同性愛をオープンにしたわけではなく、長年苦悩し続けていました。
前述したマリリンとの訴訟においても、同性と関係を持ったことを“過ちだった”と述べ、夫との結婚生活を守ろうとしました。
彼女には立場もありました。彼女は女子テニス協会の責任者であり、彼女が同性愛者だとカミングアウトすることで、せっかく勝ち取った「男女で同じ賞金」が水泡に帰す可能性だってありました。
また彼女の両親は同性愛嫌悪者であり、そして彼女自身も同性愛嫌悪者として育てられてきたのです。
イラナ・クロスという同性のパートナーと出会い、夫と離婚してもなお、彼女はカミングアウトすることが出来ず、罪悪感と恥の感情に苦しみ続けていました。
幸いにも良いセラピストとの出会いがあり、彼女はついに両親へのカミングアウトを決意しました。映画の時代から22年後、彼女は51歳になっていました。
私はもっと若いときにセラピーに行きたかった。誰もが行くべきです。
終わりに
映画を観ていると、ボビーに対し「練習をせず、遊び呆けている」「怪しいサプリメントに頼る」「そもそも50歳を越えている」など、そもそもビリー・ジーンに勝てる要素が少ないように感じてしまいます。
あの勝負は、ビリー・ジーン・キングが勝って当然の試合だったんでしょうか?
そんなことはありません。
仮に負けても恥ずかしくないボビーに対し、彼女には比べものにならないプレッシャーがかかっていました。
彼女は後にこう述介しています。
試合に勝てなかった場合、50年前に戻ってしまうと思いました。
女性テニス協会を台無しにしてしまうし、全ての女性の自尊心に影響を与えたでしょう。
試合後ロッカールームで一人涙を流した彼女。
いったいどれほどの重荷を背負って挑んでいたのでしょう。
もしも彼女が勝てなかったとき、今ほど男女同権が進んでいたでしょうか。
ビリー・ジーン・キングがこの試合で着たテニスコートは、ワシントンのスミソニアン博物館で今も大切に保管されています。