いや~、良い映画でした!二人の男女が出会い、恋に落ちるだけのシンプルなストーリーが、なんでこんなに魅力的なんでしょう?
こういう素敵なラブストーリーをわざわざ理論的に考察するのは野暮って気もします(笑)それでもあえて、気になる「なぜ」を考察してみたいと思います!
恋の障壁
恋は障害があるほど燃え上がる、なんて言われていますよね。僕自身は「障害がある恋」なんてものには縁がなく、実際の所はよくわからないのですが。
しかしひとつ言えるのは、障害があるほうが映画は盛り上がる。これは間違いありません。
愛し合う二人なのに、なかなか結ばれない…。これこそラブストーリー。映画の王道です。
戦争で引き裂かれ、不治の病に冒され、すでに相手は結婚していて、あるいは結婚した二人がすれ違う。
ヒーローは正体を明かせず、王族と一市民という身分の差、性別の壁、人間じゃなくてAI、ダッチワイフ、そもそも出会わない、などなど。
映画はあの手この手で二人の恋を邪魔しては、それを乗り越える様子に拍手喝采を送るのです。(後半のキワモノもちゃんと素晴らしい映画に仕上げているのだからスゴイ)
逆に考えると、つきあうのに何の障害もない二人であれば、それは普通につきあったらいいわけで、これでは映画になりません。
無理にくだらぬ言い訳をつけてグダグダ悩まれても観客としてはストレスですし、あっさりくっついてはラブストリとしては盛り上がりにかけます。
(もちろん、つきあった二人の日常をほっこり描くようなほのぼの映画もアリですが。)
つまり、良きラブストーリーには合理的障害こそが重要なのです。
そこでこの映画に目を向けると、二人の障害はズバリこれ。
「だって遠距離恋愛って難しいでしょ」
うわ!!めっちゃ庶民的!Σ( ̄■ ̄;
先にあげたラブストーリーの例を考えると、どうも軽いというか、わりと何とかなっちゃいそうなハードルの低さ!!
しかし庶民的であるが故に、その「難しさ」もかなり具体的に想像できるという長所があります。
たとえば「戦争で引き裂かれた恋」って言われても「あ~、それは大変そうだよね。よくわからないけど、すごく大変だと思う。」って感じですよね。
でも「彼女がヨーロッパに住んでて数年会えないんだ」って言われたら「え!?それ大丈夫なん?ちゃんと連絡取り合って数ヶ月に一回は会いに行くんだよね??」ってなります。さらに「相手とは出会って数時間で付きあったんだけどね」って言われた日には。「いやあ…」とか言いつつ、絶対コメントに困っちゃう。飲み物飲んで誤魔化す。
そう考えると、二人の間に横たわる「遠距離でしんどい」という極めて庶民的な障害は、逃れられない運命で切り裂かれるより、遙かに難易度が高く感じるのです(笑)
余談ですが、以前、僕は交通事故にあった時、顔や腕に大怪我を負ったのに、周りの人が一番「うわあ痛そう!」って同情してくれるのは、なぜか「指の爪がまだ剥がれてて」というところだったのを思い出しました。。
いや!もっと大けがしてたから!!爪とか別に良いから!!Σ( ̄■ ̄;
話がずれましたが、まぁ、そういうことです。
あまりに現実離れした痛みより、庶民的な痛みの方が、案外感情移入できちゃうのです。
日常と非日常
しかし、ここが難しいところで、あまりに庶民的だと「まあ冷静に考えて別れた方がいいよね」ってなっちゃいますし、なにより映画としての面白味に欠けてしまいます。
もし「一晩だけデートした若い男女が、遠距離になっても付き合おうか悩む映画★」とか紹介されてたら、たぶんこの映画観ていません(笑)
それのどこが面白いんだ!
にも関わらず、この映画がちゃんと面白くなっているのは、この映画には“非日常感”という魔法がかけてあるからです。
いつもと違う、特別な気持ちにさせてしまう恋の魔法です。
出会い自体は、そう特別なものでもありません。
一人旅で女の子に声をかけるなんて、よくやりましたよくあることですから。
そしてこれが不思議と、旅先だと女の子もデートにOKしてくれるんですよね。
旅先で刺激を求めているからでしょうか?
どこか非日常的な気分で高揚しているからでしょうか?
失敗例を記憶から抹消してるだけ
さて、映画として肝心なのは、その後。
二人が過ごす一晩は、見事なまでに「非日常」を演出する仕掛けに彩られていたのです。
まず二人が旅先で出会った人たちを思い返してみましょう。
- 前衛的というか、よくわからん演劇に出演する二人
- 手相占いをする不思議な老婆
- 即興の詩をつくる酔った詩人
よく考えると、みんな揃いもそろってギリギリの線を攻めています。
「そりゃ、世界のどこかにはいるんだろうけど、普段の生活じゃ出会うことのまず無い」、そういう意味でギリギリ非日常的な人たちなんです。
そんな人に三人も出会うなんて、確率高すぎな一夜じゃないでしょうか。
日常から乖離していないようでしている、そんなギリギリの非日常感なんです。
また、ただの偶然だけでなく、二人自身にも「この一夜を特別な夜にしよう」という意識があったのを感じます。
バーでワインを一本貰った(そしてグラスをちょろまかしたw)エピソードがそれに当たります。
二人に一本のワインすら買うお金が無いとは考えられませんし、まさかお金をケチっていたとも思えません。あれは純粋に「お金がない振りして頼み込んでワインをもらってみよう!(笑)」という遊びだったのです。
思いつきはしても、実際にそんなことをする人は、そうはいません。
すでにお酒が入って、いい感じにテンションあがっていたとはいえ、二人の間に「なにか非日常的な、思い出に残ることがしたい」という意識があったのを強く感じました。
一風変わった人々。思い出に残るイタズラ。
旅先でふらりと降りた街という点を差し引いても、二人の一夜はとても非日常的で、映画にするにも、恋に落ちるにも相応しいものでした。
…思えば、冒頭の所帯じみた夫婦喧嘩、あれは“日常”のイヤな部分の最たるものです。そこから逃れるように席を移したことは、“日常”から“非日常”へ切り替わったことを暗示していたのかもしれませんね。
最後はとてもかわいらしく
以上のように、この映画がなぜ観客を引きつけるかがわかってきました。
- 庶民的である故に感情移入しやすい恋の障害
- 庶民的に見えて実はすごくレアな体験をしている非日常感
この二つが絶妙にブレンドされ、特別な体験なのに感情移入しやすい、不思議な空気を作り出していたのです。
しかしこの映画一番の魅力は、やはり結末への盛り上がりでしょう。
一線を越え、いよいよどうしようもなく離れがたくなった二人。
しかし最後に二人を隔てていたのは、「遠距離恋愛の壁」ではありませんでした。
このまま別れれば、この一夜は間違いなく人生を彩るとびきり素晴らしい思い出になるでしょう。
しかし一方、思い切ってつきあってしまうのは、リスクがあります。一度恋人になってしまえば、現実的な困難はやまほどあり、いつか別れをむかえるかもしれません。そうなれば、もはやこのこの上なく素晴らしかった一夜を、素晴らしかったと思い出すことはできないんです。
ああ、なんてよくわかる葛藤なんでしょう!(笑)
そして、一歩ひいて映画を観ていた僕自身、まるでわからなかったのです。
「どっちに転がるのが、この映画は正解なんだろう?」
そう、この物語、最後まで“正解”がわからないんです。
___二人が結ばれるのはありきたりじゃないか?
___素敵な思い出にしたほうが綺麗なんじゃないか?
___あるいは観客を驚かす解決策をだしてくるのか?
この、物語の結末が最後まで予想できないドキドキ感!
これこそ映画の醍醐味じゃないでしょうか。
映画が用意した結末は、ギリギリになって「やはり会いたい」と言ってしまった男と、「嬉しい!本当はそういって欲しかったの!」という女の子の返し。いいですよね。思わず顔がにやけてしまいました。
観終わった後「会いたかったなら、自分で言えばよかったのにね」と僕が言うと、嫁が「私はわかる。自分からは言い出せないんだよ(笑)」とのこと。
女心はよくわかりません…。
続編
さて、この映画、続編がふたつもでているそうなんです…。
正直、観るべきか悩んでいます。
もちろん彼らの幸せになる物語のつづきは観てみたい。
でも、映画の続編モノはガッカリさせられる可能性も高いんですよね…。
この感動を台無しにされちゃう危険を考えれば、敢えて続きは観ない方がいいんじゃないかとも思うんです。
なにしろこの物語の魅力は、「二人が結ばれるかわからない」ことにあります。
続編で、この緊張感を維持できるものなんでしょうか。
すでに完璧に美しいこの物語、ここで終わらせておいた方がいいんじゃないかと思うんです。
…でもなんだか「続編で失望するくらいなら、美しい思い出で留めておきたい。」って、まるで「また会いたい」と言い出せなかった二人と同じですね(笑)
僕はどうするでしょう。この続きが観たいような、観たくないような。
もうしばらく楽しみながら悩んでみたいと思います。
ともあれ、若い二人の勇気に、乾杯!