よかったです。とても心に残る映画でした。
脱走犯が子供と心を通わしていく微笑ましさ、徐々に明らかになっていく切ない過去…。
子育て世代には是非とも観てほしい名作です!
あらすじ
63年テキサスを舞台に、犯罪者と幼い少年の心の絆を描いたヒューマン・ドラマ。刑務所を脱走したブッチと相棒は、フィリップという八歳の少年を人質にとって逃避行をつづけていた。だが相棒が少年をレイプしようとしたとたん、ブッチは相棒を射殺してしまう。それ以来フィリップは、死んだ父の姿をブッチに重ねて見るのだった……。
yahoo映画より
80点
刑務所から逃げ出した男と、誘拐した子供が心を通わすというプロットは特別珍しいものでもないでしょう。似たようなシチュエーションの映画はいくつかあるような気もするし(ハリウッドアクションもので出来そう!)、もしかしたらまったく同じ筋立ての映画もあるかもしれません。
日本で有名な『レオン』なんかも似てる気もしますね。あっちは殺し屋と女の子の心の交流でしたが。
『レオン』はナタリー・ポートマンの背伸びした感じと不思議としっくりくる大人っぽさ、ジャン・レノの純情さ、それに幼児性愛と紙一重のピュアな愛情が魅力な名作でした。一方『パーフェクトワールド』の魅力を挙げるならば、ケビン・コスナーの脂の乗った魅力と内に抱えた切なさ、少年の控えめさとそのリアルさといったところでしょうか。
それに加えて、この映画の大きなポイントはロードムービーだという点です。
僕、車にあんまり興味はないくせに、ロードムービーは好きなんですよねー。だだっ広い草原を突っ切る道路、それを車で延々と走っていく!広大な自然や農地の風景は、アメリカ大陸ならではの魅力だと思います。
でもそれだけじゃない。ロードムービーの風景がなぜ美しいか、それはロードムービーの旅路がとても儚い宿命にあるからです。
どんなロードムービーにも、彼らが旅を続ける理由が設定されています。旅行の途中、何かを探すため、どこかへ帰るため、あるいは、何かから逃げ続けるため。でも、旅の理由がなんであれ、映画の枠に囚われている以上、その旅路はきっとこの二時間の中でなんらかの決着がついてしまう…。ロードムービーの旅は、常に「旅の終わり」の予感をその中に抱いているのです。
だから、ロードムービーは切ない。いつか終わってしまうという予感から逃げられないからこそ、その旅路が美しくて、かけがえがないんですよね。
この『パーフェクトワールド』もそうです。脱獄囚なんて、どれだけ強くたって、いつまでも逃げ続けられるわけありません。どのような形であれ、この旅はいつか終わる。その切ない予感があるからこそ、二人の交流が胸に沁みるんです…。
この映画、子役の子がすっごい大人しいです。地味です。さっきあげた『レオン』のナタリー・ポートマンは大人びていて口も達者で、彼女のキャラクターだけで結構映画が成立しちゃってたんだけど、それとは正反対。頷いてばかりで、自分の意見もないし、なんだか流されるままここまで来てしまったような男の子です。セリフすらほとんど無かったんじゃないだろうか…、いや、そこまで寡黙でもなかったか…。
それに、別に心がきれいな少年ってほどでもないし、かと言って悪戯で脱獄囚を困らせるわけでもないし…。キャラクターとしての面白味は薄いかもしれない。でも、どこにでもいそうな気の弱い男の子っぽさが、うまく物語に活きていたなーって思います。
正直、すっごいリアルなんですよね。僕はついつい自分の子供にダブらせていましたよ。
キャラづくりって、“盛る”だけじゃないんですね。
ちなみに好きなシーンとして、その子供に銃で脱獄囚の悪いほうを狙わせる場面を挙げたいですねー。
拳銃の撃鉄をあげて、悪いほうを狙ったまま子供にその銃を握らせ、「じゃあ俺は買い物に行ってくる。すぐ戻る。」って、無茶ぶりすぎ!!(笑)
子供も、たぶん拳銃なんか構えたこともないだろうに、真剣に相手を狙う。
狙われたほうも、ガキに銃で脅されて怒り心頭!なんとか銃をとりあげようと隙を伺うが、怪しい動きをしてズドンといかれてはたまらない…。
圧倒的実力差にもかかわらず、拳銃という武器があるがために辛うじて優位を保ち続けているが…?!
いや~、今にも何かが起こりそうな緊迫した空気がとてもいい感じでした!
そしてケビン・コスナーが漂わせる余裕ある男っぷりがイイ!ちょっと腹出てる気がするけど
それにしてもこのケビン・コスナー演じる脱獄囚、いい男なんですが、悪い奴なんですよねー。
いやまあ、脱獄囚なんで悪人には違いないんですが。でもケビン・コスナーの魅力がすごくて、子供との交流が微笑ましくて、なんか誤魔化されちゃうんですよね。気に入らないことがあるとすぐ激昂するし、逃亡中でどうしようもなかったとは言え、銃で脅迫重ねて…。
でもさぁ、こいつも可哀想なやつなんだよなぁ…。
「俺とおまえはよく似ている。ハンサムで、RCコーラが好きで、親父がろくでなし。」
映画が進むにつれ、彼がどうしてこうなってしまったのか少しずつ見えてきます。でも、追手も徐々に迫ってくる。旅の終わりが、否応なく近づいてくる…。
温かくも切ない映画で、子育て世代にはぜひ見てほしい一本です!
以下はネタバレを含んだこの映画の感想ですので、ご注意ください
********以下ネタバレ********
切ない背景
いやもう、何が切ないって、ブッチの父親に対する思いですよ。
基本的にブッチの父親は悪い奴みたいですね。たしか、妻にも子供にも周りの人にも暴力をふるい、幼いブッチを捨てて出ていった。淫売宿に入り浸り、レッド警部の口ぶりだと警察からもひどい男だとマークされていたみたいで。
妻が自殺したことからブッチを育てるために戻ってきたけれど、決してその環境は良くなかったんだと思います。
ブッチも、折に触れて父親がいかにクズだったかを語ります。
「俺とおまえはよく似ている。ハンサムで、RCコーラが好きで、親父がろくでなし。」もそうだし、キャンプをしていた家族から車を奪った際も「ボブはえらい、あの場で抵抗していたら家族を殺していたかもしれない。家族を守る男は偉いんだ」とフィリップに語っています。あれは自分と母を見捨てて去って行った父への恨みもこめられていたのでしょうね。
でも、ただ恨んでいただけじゃないんですよね…。
彼の口から父親の優しかったエピソードなどは語られませんでした。きっと、クズof theクズな父親だったんでしょう。でも、父親からの絵葉書をあんなに大事に持ってるんですよね。(脱獄するときにも、肌身離さずに!)絵葉書にはわずかに「今アラスカに住んでいる。ここは綺麗なところだ。」みたいな短い一文しか載っていないのに…。
この一文には謝罪も載ってないし、ここでやりなおしたいという誠意も書いてありません。なぜ彼はこんな一文に希望を抱いてしまったのでしょうか。
きっと、彼は信じたかったんですよね…。いつの日か父に愛される日が来ると。頼りになる父親と楽しく過ごす日が来ると。
子供を叱りつけたり叩いたりする行為を忌み嫌うのも、理想の父親像を語ったりするのも、父という存在に憧れていたから。
裏を返せば、彼はずっと父という存在に飢えたまま、それを満たされることがなかったのでしょう…。
「フォードに乗り換えよう」
脱獄してから、執拗にフォードの車を探していたブッチ。その理由をフィリップにこうこぼします。
「親父が好きだった」
ブッチ…。かわいそうな奴です、ホントに。
フィリップとブッチの交流
旅の途中、会話を交わし、作業を手伝わせるうちに二人の間に絆ができていきます。
…まあ、ブッチは最初からフィリップをわりと可愛がっていましたし、自分に危害を加えないことを理解したからか旅を共にする共感からかフィリップが徐々に心を開いていっただけとも言えますね。映画でよくあるストックホルム症候群ですね。
ストックホルム症候群とは、精神医学用語の一つで、誘拐事件や監禁事件などの犯罪被害者が、犯人と長時間過ごすことで、犯人に対して過度の同情や好意等を抱くことをいう。
1973年8月、ストックホルムにおいて発生した銀行強盗人質立てこもり事件(ノルマルム広場強盗事件)において、人質解放後の捜査で、犯人が寝ている間に人質が警察に銃を向けるなど、人質が犯人に協力して警察に敵対する行動を取っていたことが判明した。また、解放後も人質が犯人をかばい警察に非協力的な証言を行ったことなどから名付けられた。犯人と人質が閉鎖空間で長時間非日常的体験を共有したことにより高いレベルで共感し、犯人達の心情や事件を起こさざるを得ない理由を聞くとそれに同情したりして、人質が犯人に信頼や愛情を感じるようになる。
引用:ウィキペディアより抜粋
ストックホルム症候群によるものであれ何であれ、フィリップはブッチに信頼を寄せます。服屋から逃げ出すとき咄嗟にブッチの車に乗り込み(キャスパーの衣装を万引きをしてしまったという事情もありますが)、彼に話しかける回数も明らかに多くなってました。
一方ブッチも、車の上に乗せてジェットコースターごっこ(?)をしてやったり、一日遅れのハロウィンに協力してやったりと、一層フィリップを可愛がります。
でも僕が思うに、ここまではあくまで可愛がっていただけなんですよね。子供だから。自分についてきてくれるから。それが疑似的な親子関係まで高まったと感じたのは、夜更けの食堂で女性に誘惑されたシーンです。
いやー、けっこーケバいおばちゃんだったけどなー。まあ、なにせブッチは刑務所に服役してたわけですから、相当女性に飢えていたんでしょう。
しかしここでブッチは、フィリップの視線を気にして女性との行為を途中で辞めてしまう。ここで「あれ?」と思いました。脱獄囚みたいなやつは、フィリップを遠くにやり、女性と楽しむもんじゃないの?
きっと、子供だからという理由で可愛がるだけでなく、ブッチの心の中に、「フィリップにはそんな姿を見せられない」という気持ちが芽生えたのではないでしょうか。
まるで、父親が子供に思うかのように。
このタイトルは何を指すのか
この映画のタイトルは『パーフェクトワールド』ですが、なぜこんなタイトルなんだろうと考えていました。最初、あんまりぴんと来なかったというか。
まだ子供で母にも愛されているフィリップに対して、この旅路をパーフェクトワールドというのは大げさすぎる。だいぶ足らないよね。やっぱりブッチにとっての「パーフェクトワールド」なのだと思います。
結局射殺されてしまうこのラスト、とてもパーフェクトには思えません。
でも、ブッチが心から渇望していたのはなんだったのか?
ブッチが望んでいたのはきっと「父に愛されること」だったと思います。しかしこの旅路でフィリップと関わることで、「父として愛すること」を知ったのではないでしょうか。
父として振る舞おうとしたブッチですが、匿ってくれた農家のおっちゃんにブチ切れて殺そうとしてしまう。結局、こういう粗暴な一面が彼の足を引っ張り続けるんだよな…。そして失望したフィリップに撃たれ、自分が“理想の父親”になれなかった事実を突き付けられます。
でも、フィリップは許してくれた。戻ってきてくれたのです。
僕も父親だからわかるけど、どんだけ強く想っても、理想の父で居続けることなんて出来ないんですよね。カッとなって怒ることもあれば、疲れてちゃんと相手してあげられないこともあります…。子供が悲しそうな顔をして去って行ってさ。
でも、後で反省して「ごめんな」って言うと、子供はちゃんと許してくれるんです。
そういう時、無償の愛や許しは、親から子へだけじゃないんだなって思います。子供からの無償の愛に、不出来な父親がどれだけ救われているか!
そして彼は最後に父の仕事をしました。フィリップがやりたがっていたことを母親に告げ、約束を取り付けました。
彼はそこで『完全な世界』を感じたんじゃないでしょうか。
父がいて、子がいて、互いを愛している。
彼にはそれだけで十分だったんだと思います。
そして冒頭のシーンにつながります。
舞い散るお金を気にも留めず、笑みを浮かべて。
(これだけで十分だ、お金なんかいらないという意味を込めていたのかもしれません)
彼は死の間際、生まれて初めて『完全な世界』を感じたのです。
ブッチ…可哀想な奴…
レッド警部の苦悩
クリント・イーストウッド演じるレッド警部の告白で、過去のブッチが逮捕され、少年院に送られたのは彼の意図が絡んでいたことが明らかになります。
ろくでなしの父親の元で暮らしていたのではロクな人間にならない。彼は本当なら保護観察で済んだところを、更生の可能性にかけて少年院に送られたのでした。しかし、それが見事に裏目に出てしまった。
「少年院はまだマシだった。あそこで更生した少年を何人も知っている」
このレッド警部の告白は、ブッチへの同情へ一定のブレーキをかけ、テーマに深みを持たせた重要なシーンです。わざわざクリント・イーストウッドを使った甲斐があったね。
彼は確かに不幸だったが、更生の機会もまた与えられていました。
しかし同時に周りの大人が、社会ができる限界も示されています。
子にとって、親の果たす役割がいかに大きいか…。
やはりこの映画は、親になる人間が観るべき映画だと思います。