名作と名高い作品ではありますが、なぜこの映画が評価されるのかはわかりづらいかもしれません。
実はこの映画を理解するには、当時の時代背景やアメリカの空気感がとても重要になってきます。
ここを知っておくかどうかで、タイトルの意味も、ラストの結末も、味わいが変わってきます。
長くなりますが、ひとつひとつ解説していきたいと思います。
まずこの映画が描きたかったものはなんでしょうか?
それは一言でいえば当時のアメリカが社会現象とも言える、『ヒッピー文化との摩擦』でした。
ヒッピーとの摩擦
そもそもヒッピーとはなにか、軽くおさらいしましょう。
ヒッピーと言えば、こんな長髪でちょっとだらしないスタイルで、
「ラブアンドピース」を唱え、
ギターやドラッグが好きで、開放的な人たち、
そんなイメージで、まあ間違いないかと思います。
しかし注意してほしいのは、これらのヒッピー文化はただのファッションのブームではないということです。
ヒッピー文化とは、1960年頃から始まった、従来の価値観に反発する「カウンターカルチャー」の一大ムーブメントなのです。
従来の価値観への反発
1960年代のアメリカをざっくり一言でいえば、「不信感の時代」でした。
この時代、アメリカでは「赤狩り」と「ベトナム戦争」という大きな二つの出来事に直面します。
「赤狩り」
ソ連・共産主義国の急速な台頭に恐怖感を抱いたアメリカ国民が、ヒステリックな共産主義者への弾圧へ走った社会現象。「共産主義思想がある」と疑われただけで、数多くの人間が職を奪われ、社会的に抹殺され、牢獄に押し込まれた。
「ベトナム戦争」
ベトナムの社会主義国化を防ぐため、アメリカが軍を派遣した。しかし戦況は泥沼化し、アメリカ軍は多くの犠牲を払ったにも関わらず敗退した。
また初めてテレビ局が軍に帯同した戦争であり、お茶の間に戦争の悲惨な現実が伝わった。
「赤狩り」のヒステリーから我に返ったアメリカは、いかに自分達が非道な行いをしていたかに気づき愕然とします。
「ベトナム戦争」を経験して、初めて敗北の無力感を味わい、さらに『資本主義帝国』の残酷な側面まで知ることになります。
そう、アメリカ国民たちは、従来の価値観が絶対的な正義ではなかったのだと、思い知らされたのです
その反動は、特に若者で顕著でした。
親世代への失望・反発が広がり、従来の価値観に対抗するムーブメント=ヒッピームーブメントをつくりあげたのです。
従来の価値観
西洋的資本主義
経済的成功の重視
政府への信頼
開発と都市化(=自然破壊)
キリスト教社会
家父長制
性への厳格さ
快楽に溺れることを戒める
↑
↓
ヒッピーの価値観
社会主義的平等
物質的豊かさの拒絶
無政府主義
自然との調和
アジア的宗教間との融合
フェミニズム
自由恋愛と性行為
快楽主義、ドラッグの肯定
映画の中でも、自然の中で暮らすヒッピーのコミュニティーが登場しましたね。
あの中にも、上記のヒッピーの価値観を象徴するシーンが多数出てきます。
主人公たちと最初に出会ったヒッピーの男性が、「都会の喧噪に疲れた」ことをほのめかしたり、「そこに先住民の霊がいる」と精霊信仰のような発言をしたり。
またコミュニティ内の女性たちは複数の相手と関係を持つことを匂わせるように、露骨なボディタッチを行っていました。
よーくみると、テントの中に入ったとき、慌ててズボンを履く女性も見られますw
現代から見れば、「自由な恋愛、性的関係」はさほど珍しくはありませんが、ヒッピームーブメント以前の価値観と比較すると大きなカルチャーショックなのです。
また、帰り際には「LSD」と呼ばれる合成幻覚剤も受け取っています。(後で風俗嬢とトリップしたアレです)
この薬物は当時まだ法規制されていなかったこともあり、ヒッピーの間でよく使われていました。
当時はこのような、自然への回帰を掲げ自由で開放的な集団生活を目指す集団が、各地に誕生したのです。
主人公たち=ヒッピー
主人公たちは、狭い意味での典型的な「ヒッピー」そのものではありませんが、
冒頭の腕時計を投げ捨てる描写や、
「バイクで野宿」という旅行スタイルや、
その見た目は、
明らかにヒッピー文化に影響を受けており、広義のヒッピーと言っていいでしょう。
ヒッピーへの反感
もちろん、大きな流行になったとは言え、全てのアメリカ人がヒッピー的なスタイルを目指したわけではありません。
むしろ、「今までの価値観を否定」するヒッピーの主義思想は、従来の暮らしを続ける人たちに強い苛立ちと不快感を与えたのです。
考えてもみてください。
自分たちが一生懸命、厳格で慎み深い勤労生活を送っている真横で、
彼らの生活を批判しつつ、フリーセックスだのドラッグだのと騒いでいる怠惰な浮浪者集団がいたら、
どんな気持ちになるでしょうか…。
実際、いくつかのヒッピー集団は不潔であったり、盗みを働いたり、犯罪を厭わない厄介な場合もありました。
ここを理解すると、なぜ主人公がカフェに入ったときに、街の住民たちが理不尽な敵意を向けてきたかが分かります。
彼らは、「自由な旅人だから」「街の外の人だから」という理由だけで主人公を妬んでいるのではありません。
主人公たちの見た目は明らかにヒッピーであり、そして街の人にとってヒッピーは「淫らで怠惰な犯罪者」でしかなかったのです。
日本でいうなら「ヤリチン」で「チャラ男」で「不潔なニート」で「犯罪常習犯」でしょうか。
なるほど、たしかに迷惑ですね(^^;
字幕では「チンピラ」ですが、英語では「trouble maker」と言っています。
その一方で、若い女の子がそういったアウトローに惹かれ&男がやっかむ構図も万国共通。
主人公と行動を共にした男も、彼らの心情を看破しています。
「二流のモーテルさえ泊まらせないんだ
なにをビビってやがるのか」「怖がってるのは君が象徴しているものさ」
「長髪が目障りなだけだ」
「違う
君に“自由(freedam)”を見るのさ」
主人公は「彼らを怖がらせたらどうなる?」と聞きますが、男は「危険なことになる」と答えます。
皮肉なことに男は直後のシーンでその通りの結末を迎えてしまうのですが。
ヒッピーそのものを悪役扱い
実際に、当時のアメリカではヒッピーに対する極端な嫌悪感、モラルパニックが起こっていました。
モラルパニックとは、「社会秩序の脅威とみなされたものへの強い嫌悪感」です。
ポイントは、実際の因果関係の有無に関わらず、イメージだけで悪者扱いされてしまうこと。
たとえば、こんなモラルパニックの例があります。
いくつかは、見た覚えがあるかと思います。
これらのように、「このままでは社会秩序がやばい」と怯えて、何かを「これが問題のガンだ!」と悪役にしてしまう考え方、これがモラルパニックです。
当時のヒッピーもこれらの例と同様でした。
ただヒッピーであるというだけで、「街にヒッピーがいると治安が悪くなる!道徳が崩壊する!子供たちの教育に悪い!」と嫌悪され、排斥されていたのです。
カフェにいた保安官も、主人公たちの身なりだけで
「問題を起こす前に留置所にぶち込んでおこう」
とまじめな顔で言ってましたね。
彼の発言には、当時のヒッピーに対する社会の風当たりが如実に反映されているのです。
タイトルの意味
また映画のタイトルである『イージライダー』にも、ヒッピーへの反感が表現されています。
「easy」は「簡単」の意味で、「rider」は「乗り手」。
直訳すると「簡単な運転手」となにを言いたいのかよく分かりません。
実は「easy rider」はアメリカのスラングで、
「簡単にバイクに乗せてくれそうな人」、
あるいはもっと露骨に「簡単に関係を持てそうな女」「軽薄な男」というイメージで使われます。
これは物語の中で次々とヒッチハイカーを拾う主人公たちのことを示すと同時に、
ヒッピーのような自由人への侮蔑のダブルミーニングとなっているのです。
実は、この映画の当初のタイトルは「the loners」でした。
これは「一匹狼たち」という意味です。
このかっこいいタイトルから、あえて軽薄なイメージの「easy rier」に変えたのです。
ここに、監督がなにを描きたかったかを考察するヒントが隠されているように思えます。
地域ごとの温度差
また、一口でアメリカと言っても、ヒッピーに対する態度には地域によって非常に温度差がありました。
最もヒッピーに好意的な人が多いのは、アメリカ西海岸。
特に主人公たちの出身地であるロサンゼルスがあるカリフォルニア州は、ヒッピーのメッカとして有名です。
また、アメリカ北部の州も比較的に革新的な考え方をしており、ヒッピーにも寛容です。
ちなみにこれらの州は、そのまま民主党(オバマ、バイデン)の政権基盤でもあります。(青色部分)
民主党の特徴は多様な価値観を重んじることと、革新的な空気です。
民主党の価値観には、ヒッピーの思想も影響しているのです。
逆に、その他の地域はヒッピーに批判的な態度をとります。
これらの地域は伝統やキリスト教的価値観、地元の繋がりを重んじる保守派であり、ヒッピーの思想とは対極に位置します。
もちろん共和党(ブッシュ、トランプ)支持です。(赤色部分)
この中でも特に中央・南部はガッチガチのヒッピー否定派で、熱烈な共和党支持。
そして、主人公たちが目的地にしていたニューオリンズは、その代表格・ルイジアナ州にあるのです。
当時この地域は極端に排他的で、北部の人間やヒッピーが南部に入ってくることすら忌み嫌っていました。
悪態をついてきたカフェの住人の反発にも、
「西海岸や北部の怠惰なヒッピーが、伝統とキリスト教を重んじるこの街にまで入ってきやがった!」
という地元意識もあったのです。
「北部のホモだぜ」
※南部は同性愛反対派、北部は同性愛容認派。
つまり、奇しくもこの映画で主人公が旅した行程(カリフォルニア州ロサンゼルス→ルイジアナ州ニューオリンズ)は
ヒッピーに最も好意的な地域から、
ヒッピーを最も嫌悪する地域への旅でもあったのですね。
劇中、主人公たちが風当たりの強さになんだか戸惑っているように見えたのも納得です。
今まで住んでいた地域では普通に扱われていたのに、目的地に近づくにつれ急激に邪険に扱われるようになり、困惑したのでしょう。
この辺の地域事情は日本に住んでいると分かりづらく、この映画を難解にしている理由の一つでもあります。
しかし、アメリカに住んでいる人たちにはこの微妙な地域事情こそが重要であり、国内の危うい対立構造を痛感させるのです。
ラストシーンの意味
さて、ここまで理解すれば、ラストシーンの意味もわかってきます。
トラックの男はヒッピーのような身なりの男(主人公)をみつけ、「からかってやろう」と銃を構えました。
ところが、主人公は不遜な態度で中指を立てるばかり。
ここで思わず発砲してしまったのは、彼の中に“ヒッピーが体現するものへの根深い反発”が土台としてあるからなのです。
--従来の価値観を尊重しない若い世代への苛立ち。
--「ヒッピーは怠惰で淫らな犯罪者で道徳崩壊のガン」という過剰なモラルパニック。
--排他的で、ヒッピーや北部の人間を嫌悪する地域性。
彼が発砲の直前に怒鳴った「その髪を切れ!」というセリフに、彼の嫌悪感が集約されています。
また、アメリカの裁判制度が、彼の暴力的な決断を後押しした面もあります。
アメリカでは陪審制度がとられており、法律よりも街の住人の感覚が判決の決め手となります。
ルイジアナ州の地域性、ヒッピーを問題視する風潮もあって、当時の感覚では「ヒッピーを一人や二人殺しても無罪」が常識だったのです。
…はなはだ不条理ではありますが。
この映画はヒッピー擁護か?
こうやって書いていくと、いかに南部の住人がヒッピーに残酷かを描いた、ヒッピー擁護の映画に思えるかもしれません。
実際、ヒッピー的なコミュニティを築き、後に凄惨な連続殺人を主導した罪に問われたチャールズ・マンソンは、
大好きな映画にこの「イージーライダー」を挙げています。
しかし、この映画をじっくりみていると、必ずしもヒッピーに好意的だとは言えない描写も見られます。
まず、映画に登場するヒッピーコミュニティの描写は、とてもヒッピーの理想郷とは言い切れませんでした。
主人公にヒッチハイクされた男性はコミュニティの現実についてこう言及しています。
冬は苦労した
40~50人に増えて、やっと見つけた食物は死んだ馬という始末さ
20人程残ったが都会っ子だ
まるで“アリとキリギリス”です。
もっともヒッピー部外者から見れば、自由で怠惰なヒッピー暮らしを追求した先に、こうした厳しい現実があるのは明らかだったわけですが。
そもそも、コミュニティの描写を通して感じられたのは、活き活きと暮らす平和な世界というよりも、怠惰で淫らな貧困でした。
現実でも、ヒッピーを“志す”若者の多くはそうした現実の前に脱落し、住みよい都会に帰っていきました。
男性は続けます。
でも 作物を植えて収穫するつもりなんだ。
その心がけは素晴らしいことです。
彼らの切実な気持ちなのか、車座になって神に収穫の祈りを捧げる風習も描写されていました。
しかし、農業を営み、敬虔に神に祈る生活様式だなんて、
ヒッピー文化が否定しようとしていた“伝統”そのものではないでしょうか?
また、彼らが外部の人間をどこか疎んでいる描写には、南部・中央の排他的な態度に通ずるものを感じてしまいます。
従来の価値観を否定するはずのヒッピーが、
いつの間にか従来の価値観そのもの(の劣化版)の共同体になっているのです。
この映画はヒッピーに対する周囲の反感を描くと同時に、
当時のヒッピーたちの主義思想の矛盾をも冷静に浮き彫りにしていたのです。
カトリックの農家の意味
その一方で、ヒッピーへの評価と対をなす存在が、映画冒頭に登場した農家です。
「パンクしたバイクを修理させてくれ」と立ち寄った主人公たちを快く受け入れ、食事にまで招待してくれた人達ですね。
この農家の生活様式が、ヒッピー達といちいち対照的なのです。
たくさんの子供たち(8人前後?)を伴った食事の席で、主人公たちは彼らの生活を「土地に根を張った」と賞賛します。
それに対して農家の主人は「妻がカトリックでね。子宝だよ」と謙遜します。
これは、厳格なカトリックでは避妊や中絶を否定しており、子沢山になりやすい事情があるためです。
逆にヒッピー文化では、「快楽のための性行為」を肯定し、妊娠も中絶も推進しています。
両者は真逆の思想であると言えるのです。
また、わずかなカットですが、ご主人が奥さんに「コーヒーを(くれ)」とコップを差し出すシーンもありました。
日本ではあまり違和感のない光景かもしれませんが、
当時のアメリカの事情を考えると、男尊女卑・家父長制の雰囲気を象徴するシーンと言えます。
これもまた、フェミニズムを標榜するヒッピーと対照的です。
さらには、「放浪の旅をするバイクを修理する主人公(ヒッピー)」と
「生活の糧である馬の蹄鉄を修理する農夫」をわざわざ並べた、
意味深なカットまでありました。
これだけ両者の違いを浮き立たせておきながら、
主人公たちは農夫達の暮らしを絶賛するのです。
全く見事な生活だ
自分の力で生きてる
大地と共に生きるのは立派だよ
よくよく考えれば、この農夫の「自分の力で」「大地と共に生きる」伝統的な生活こそ、
ヒッピーのコミュニティが求めていた理想の姿ではないでしょうか?
伝統を否定したヒッピーのコミュニティには行き詰まった空気が蔓延し、
伝統を重んじるこの農家は満ち足りた幸せにあふれています。
こうして並べてみると、ヒッピーたちの主義思想には大きな矛盾があるように思えるのです。
1960年代の記念碑
以上のように、この映画がアメリカで非常に高く評価されている理由は、ただ衝撃的な結末だったからではありません。
アメリカの現代史を語る上で、非常に重要な意味があるからです。
当時のアメリカでは「カウンターカルチャー」という大きなうねりが隆盛していました。
しかし、この流れに賛成するにせよ反対するにせよ、あまりに“過熱”していたのです。
この作品は保守派の間で蔓延していた「行きすぎたヒッピーへの嫌悪感」を明確にし、
同時に若者の間ではびこる「行きすぎたヒッピーへの期待」にも冷静に矛盾をつきつけました。
この時代、アメリカでいったいなにが起こっていたのか。
それを冷静な眼で切り取った、見事な社会派映画だったのです。
映画史における存在感
もう一点、この映画が映画史の転換点として重要な意味をもっていることも説明したいと思います。
従来のハリウッド映画は、主に映画スタジオを抱えた巨大映画製作会社によって作られていました。
しかし、1950年頃から、独占禁止法違反で解体を命じられたのと、ライバルとなるテレビ放送の台頭もあり、
ハリウッド・映画業界は徐々に衰退していたのです。
そこへ現れたのが、
1967年の『俺たちに明日はない』
1969年の『イージーライダー』
といった映画群でした。
新しい映画
これらの映画は従来のスタジオ・システムの映画と大きく異なっていました。
若い監督による新しい感覚、手法を特徴していること。
ヨーロッパに影響を受け、「産業的映画」と一線をかくす、芸術性の高い作品であること。
スタジオセット内に縛られず、ロケーション撮影中心であったこと。
社会の不条理、正義への懐疑をテーマとし、必ずしもハッピーエンドとならないこと。
前述したとおり、当時のアメリカは「赤狩り」と「ベトナム戦争」の影響により、
従来の正義への疑問、体制への不信感が蔓延していました。
そんな若者達の心情に、これらの刺激的な映画が見事に刺さったのです。
『俺たちに明日はない』『イージーライダー』を皮切りに始まったこれらの映画群はアメリカンニューシネマと呼ばれ、
1960年代終盤から1970年代に大きく盛り上がりを見せます。
アメリカン・ニューシネマについてはこちらの記事も参考にしてください。
ロードムービーの勃興
また、この『イージーライダー』は『ロードムービー』という新しい映画ジャンルを切り開きました。
ロードムービーとは旅の道中の出来事を描写した映画です。
この映画の成功のおかげで、
移りゆく旅の風景そのものが映画の魅力のひとつとして成立すること、
そして自然の広大さがセンチメンタルをかきたて、心理描写に大変効果的であることが広く知れ渡りました。
前述したとおり、従来の映画はスタジオ撮影を中心としていました。
部屋の中で男女が見つめあう白黒映画、とイメージすればだいたいあってますw
ところが、この映画のようにロケーション中心にしたことで、
どこか作り物っぽいスタジオ背景から美しい風景にとってかわり、
さらに文学性の高い心理描写も可能になりました。
映画界は、映画の新たな可能性を発見したのです。
この作品以降、1970年代にはこの映画のフォロワーとも言うべき数多くのロードムービーが製作されています。
従来の映画はよく言えば「様式美」、言い方が悪ければマンネリ化していました。
同じような番組をテレビで放送していたのも致命的でした。
どうせ自宅で同じような作品が観られるなら、わざわざお金を出してまで映画館に行く必要が無いですもんね。
しかし、アメリカンニューシネマの隆盛を受けて、映画界はその要素をとりこみ、更なる進化を遂げます。
「斬新な表現手法」
「芸術性」
「ロケーション撮影による映像美と心理描写」
「社会問題への訴求」
これらは全てアメリカン・ニューシネマの影響と言っていいでしょう。
逆に言えば、これらの魅力があったからこそ、テレビとの差別化をはかり、生き残ることができたのです。
「安定したおなじみの作品はテレビでもみれるけど、
映像がきれいで、
芸術性が高く、
社会問題に鋭く切り込み、
斬新な作品を観たいのなら
映画館においでよ!」
そんな風に映画とテレビの棲み分けをはかったのです。
現代の私達も、ある程度上記の棲み分けは無意識に理解しているはずです。
そういった意味で本作は、アメリカンニューシネマやロードムービーの火付け役となり、テレビと映画の差別化を先導したわけです。
映画史を語る上でなくてはならない作品なのです。
「イージーライダー」の魅力を解説してみましたが、いかがだったでしょうか。
できれば、これらの当時のアメリカ事情や映画史の変遷を知った上で、もう一度映画を観てほしいと思います。
色々と感じるところがあるかと思います。
きっと、思っていたよりずっと味わい深い作品であることに気づくはずです。
コメント
名作と名高い本作を視聴したものの、ラストや道中の主人公たちと住人達のやりとりなど「??」となっていた部分がきれいさっぱり解説されていて助かりました。
ありがとうございました。
的確な評論勉強になりました。いい映画とは聞いていましたが、今回初めて見ました。ラストが衝撃的で、言葉もありませんでした。何もやってなくない?存在自体が悪いの?これが許されること自体怖い。途中で殴られて、殺されても、訴えても仕方がないと思ってしまうのも、怖い。分かり合えないアメリカンの分断、トランプ大統領が誕生する背景を見た気がしました。背筋がゾーとする映画でした。