映画『シェフ~三ツ星フードトラックはじめました~』を観ました。楽しくて、暖かくて、シンプルに「いい映画だね」と言いたくなるような一本でした。
よくよく考えると、この映画って、ジョン・ファブロー監督の心の叫びのように思えてなりません。
監督というか、この映画で彼は製作・監督・脚本・主演すべてを兼ねています。
要するに、「こんな映画つくりたい!」ってお話を書いて、お金も出して、人も集めて、自分が主演までしちゃったわけです。
分業が進んだ現代の映画業界において、これはすごいことです(笑)
そうまでして、彼が作りたかった映画が、この『シェフ~三ツ星フードトラックはじめました~』というわけです。
それにしても、いったいなぜこの映画なのでしょう?まさかキューバサンドに魅了されたわけじゃあるまいし(笑)
その鍵は、彼の経歴にあります。
最初、彼はコメディアンを目指し、映画の端役などをこなしていました。
そんな中、自らが脚本・主演・共同製作をつとめた青春映画『スウィンガーズ』がベネチア国際映画祭に出品されたのをきっかけに、映画業界の注目を浴びます。
その後、大きなヒットには恵まれませんでしたが、2008年にあの『アイアンマン』の製作・監督を務め、興業的にも大成功を納めます。
批評家もこの映画は大絶賛!
映画レビューサイトの最大手RottenTomatoesで93%と非常に高い評価を得ます。
今では押しも押されもせぬアベンジャーズシリーズこと「マーベルシネマティックユニバース」ですが、アイアンマンの公開前はまさかここまでのお化けシリーズになるとは誰も思いませんでした。(たしか公開前の前評判では、よくあるアメコミヒーロー物の一つ、といった扱いでした。)
キャラクター性とコミカルさを重視したアイアンマンの大成功が、このシリーズの方向性を決定しました。ジョン・ファブローこそがその土台を作ったと言っても過言ではないのです。
しかし、調子に乗ったマーベルが、ジョン・ファブローを続投させ第二作「アイアンマン2」をつくったところ、批評家からの批判の嵐を招いてしまいます。
実は、海外の映画評論家はかなり辛辣です。
日本の映画評論と言えば『前半が映画の導入説明、後半ががいかにこの映画が素晴らしいかを語る』のが定番です。大きいメディアこそその傾向が顕著で、いわば太鼓持ち記事です。
しかし海外には「RottenTomatoes」という映画評論サイトがあります。何十人、何百人もの著名な映画評論家たちにようるレビューを集めています。
もちろん個人差はありますが、彼らは皆、人気作でも、マイナー映画でも、容赦なく駄作扱いします。「観る価値がない」「がっかりした」というネガティブなワードもバンバン使います。
アイアンマン2は、批評家からかなり手厳しい批判を受けました
「戦闘シーンに、物語に、緊張感がない。テレビゲームを観ているようだ」
「ロバートダウニーJrと巨額の予算を浪費する陳腐な拝金主義」
「思いがけない失望。アイアンマンは錆び付いてしまった。」
…たしかにあの映画は、「ヒットしたから続編作ったよ!」という商業精神を感じずにはいられない作品でした。(もちろん、映画製作はお金を稼ぐためではあるのですが…。)
監督であるジョン・ファブローに対し、マーベルから「前と同じような観客に受ける映画をつくってくれ!前と同じようなやつだぞ!」というリクエストが言っていたことは想像に難くありません。
この部分、『シェフ~三ツ星フードトラック始めました~』とそっくりだと思いません?
- 以前の作品は、批評家たちからも大きく評価を受けていた
- 自分はさらに独創的な作品を作りたかった
- しかし、雇い主の意向を尊重して、常連客が喜ぶ作品を作った
- ネット上に存在する有名批評家はそれを評価せず、手厳しい言葉を並べ立てた
映画「シェフ」の主人公が料理評論家に対して爆発したシーンの暴言が印象的です。
おまえはただ食べて悪口を言っているだけ。
こっちは命がけで料理を作っているんだ!!
スタッフだって一生懸命なんだ!!
傷つくさ!あんな○○を言われたら傷つくんだよ!
ああ、あの過剰にも思えたブチギレが、なんだか腑に落ちました…。
これってジョン・ファブロー自身の心の叫びそのものだったんですね。
自分が心底作りたかった作品と違うとは言え、一生懸命作ったものをボロッカスに言われたら、そりゃ傷つくよなあ…。
そう考えると、「アイアンマン2」で苦楽をともにしたロバートダウニーJrとスカーレット・ヨハンソン、二人のビッグネームの豪華競演も、ただの「友情出演」以上の何かを感じずにはいられません。
彼らも、批判的なレビューに対し、何か言いたい気持ちがあったのかもしれませんね。
ただこのエピソードをもって、『この映画にはジョン・ファブロー監督の評論家への怒りと皮肉が込められている』とするのは早計です。いやむしろ、逆なんじゃないでしょうか。
よくよく考えると、ジョン・ファブロー監督はネット上の評論家に対し、ただ怒っているだけではないと思えるのです。
物語の結末は、どうだったでしょうか。
もし彼が本当に怒りや恨みしか感じていないのなら、物語は辛辣な批評を書いた評論家をこらしめて、コテンパンにして、大恥かかせてスッキリと終わっていたことでしょう。(観客だって、どこかでそんなラストを期待していたかも知れません)
しかし、彼は主人公と評論家を和解させました。
昔のあんたは俺の憧れだった
そう、評論家は腹が立つ失礼な存在であると同時に、彼を見つけだし、評価してくれた恩人でもあるのです。
考えてみれば、映画づくりも料理も変わりません。結局は誰かを喜ばす為の作品づくりなんです。
喜んでくれる人間がいるからこそ、この商売は成り立つのです。
パパは料理が好きだ
料理で人をちょっと幸せに出来る
それがパパの喜びなんだ…あの焦げたサンドをお客に出すか?
ときに傷つけられることもあるけれど、評論家…そしてその後ろにいる大勢の愛好家に対して、彼は底なしの感謝を抱いているのじゃないでしょうか。
自分が脚本・主演を務めた作品で映画界に認められたジョン・ファブローは、「アイアンマン」「アイアンマン2」の超大作映画をつくったあと、再び「シェフ」のようなこじんまりとした映画に戻ってきました。
でも今度の彼は、なにも持っていなかった若き彼とは違います。
大作の成功で得た素晴らしい友人、支援してくれる理解者、なにより熱心なファンたちが彼を待ってくれていたのです。
それって、どんなに幸せなことでしょう。
ラストシーン、ダンスをする彼の抜群の笑顔がなにより物語っています。
ああ、本当に幸せだ!
映画作りって本当に楽しいよ!
セリフにこそありませんでしたが、きっとこれこそが彼の心からの叫びだと、そのためにこの映画をつくったのだと思えてしかたないのです。