『バードマン…』ラストとタイトルをネタバレ考察・解説/実は現実ではなく…

あのラストシーンやタイトルに込められたこの映画の魅力を解説するためには、ひとつひとつ謎を整理する必要があります。少し遠回りですがおつきあいください。

バードマン あるいは(無知がもたらす予期せぬ奇跡)解説

①超能力の真偽

まずは「主人公は超能力を持っているか」を再考してみます。

とは言っても、みなさんお察しの通りではありますが…。

 

主人公はいろんなシーンで超能力を発揮していますが、どれも他の登場人物がいない状況ですね。(※ラストシーンを除いて)

そのうえ、「街を怪獣が襲っているのに誰も騒いでいない」「空を飛んで劇場にきたら、タクシーの運転手が追いかけてきた」などの描写もあり、

本当は超能力なんて使えず、空想をしているだけと推察されます。

 

では、主人公自身は“自分が超能力を使える”と本当に思っているのでしょうか?

これは明確にノーです。

本当に使えると思いこんでたら、タクシーなど使わずビルから飛び降り、大怪我を負うか命を落としていたことでしょうから。

 

彼は自分が超能力者ではないことを知っています。

あくまで自分がヒーローになる様子を空想して楽しんでいただけなのです。

  

余談ですが、私も学生の頃よく「学校に攻めてきた悪の組織を銃で撃退する」という想像にふけっていました。フフフ…。

 

②バードマン=過去への執着

次に、バードマンについての認識を再確認しましょう。

漫画やアニメでよく「心の中で天使と悪魔が言い争いしてる」という描写がありますが、バードマンはさしずめ主人公の心の中の悪魔役です。

過去の栄光にしがみつき現実を直視したくない気持ちや、

彼のエゴイストな部分が如実にでています。

 

お前の半分も才能のない男がブリキの服を着て

俺たちは本物だった

女々しい役者、シケた劇場、サエない脚色で天才作家の本は台無し

偉大な役者よりお前はもっと偉い
舞台のバカよりはるかに大物
映画スターだぜ

お前は元祖だ
スーパーヒーローの道を開いた

世界中の何千ものスクリーンでお前は輝く
またもや超ヒット作だ

お前は神だ

 

興味深い点は、天才だ神だともちあげる一方で、プレビューが失敗して精神的に弱っていたときは「お前には才能がない」と責め立てていることです。

きっと心の中の弱音が反映されていたのでしょう

 

映画スターだった頃は鼻高々でハッピーだっただろ?
今はつまらん男だ

お前はニセ者だ
演劇界は甘くない

俺がいなけりゃ後に残されるのは
哀れで身勝手な三流の役者だけだ


それにしても「“今は”つまらん男だ」とか「俺がいなけりゃ」とか、昔は俺だって凄かったんだぜ感をプンプンかもしだしてきてますね…(笑)

バードマンで有名になった当時、彼がいかいチヤホヤされていたかが垣間見えます。

 

では、それを踏まえて、ラストシーン直前、病室のトイレでバードマンに「お別れだ、クソ野郎」と声をかけているシーンを考えてみましょう。

エゴイズムの象徴であるバードマンに別れを告げる描写は、彼が過去の栄光への執着から解放されたことを示唆しています。

彼はどうして執着から解放されたのでしょうか?

直前の自殺未遂シーンの、そのもう一つ前に重要な描写がでてきます。

 

舞台での自殺未遂直前の楽屋で、彼は元奥さんに心からの「愛している」を告げました。

愛してる。サムのことも。
…出産ビデオを撮らなければよかった

なぜ?

何もせずに一緒にいるべきだった。親子三人で。

 

…彼は本当に、娘と奥さんを愛していたのですね。

しかし、その後に続く会話では悔恨や申し訳なさを口にするばかりでした。

でも俺は鈍感な男で 今は人生もない
これからも

サムは父親を求めていたのに

 

つまり、ここが大きなポイントなのですが、この時点の彼は「俺は二人から愛されてもいた」という実感には至っていないのです。

まるで、劇中劇の主人公のように。

 

 

ところが、入院後のベッドのシーンで、これが補完されます。

娘がライラックの花を持って、心配そうに病室を訪れたところです。

言葉を交わし手を握った後、彼女はベッドに横たわる父親に抱きつき、頭を撫でてもらっています。

 

あのシーンは個人的にすごく胸にきました。

以前僕も車にひかれて入院したことがあるんですが、怪我自体は奇跡的に大したことなかったのに、家族がものすごく心配して泣きそうになってたんですよね。

きっとあれは怪我そのものじゃなくて、「もしかしたら死んでいたかもしれない」という可能性に動揺していたのかなと思います。

それにしても、正直すごく、嬉しかったんです。

あの時ほど自分は愛されていると実感した日はありません。

 

彼もきっと、そうではないでしょうか?

ネットで大恥をかき、批評家に嫌われ、あんな騒ぎまで起こして、すべてを失ったと感じました。

しかし娘にハグをされて、ようやく気づいたのでしょう。

 

本当に大切だったのは何か?

それは家族を愛し、家族に愛されることに他なりません。

そして、自分はちゃんと愛されていました。

それだけで十分だったのです。

 

奥さんや娘から確かに愛されていると実感できた彼には、もう「過去の栄光」だとか「世間の評価」にとらわれる必要はなくなりました。

だから親友に新聞を読み上げられても、たいして喜びもしなかったのです。

 

ラストシーンを解説

おまたせしました。ようやくラストシーンの解説です。

 

ラストシーンの描写を再確認しましょう。

娘が病室に戻ると、主人公は部屋にいません。

まるで窓から飛び降りたかのようです。

血相を変えた娘は、慌てて窓から下を確認するもみつけられません。

しかしその後、上空の一点に気づき、嬉しそうに笑います。

まるで飛んでいる父親を見つけたかのように。

 

ここでほとんどの観客が「え??主人公の超能力って本物だったの??」と意表を突かれて驚きます。

しかし、そんなはずはありません。

前提①で説明したとおり、空を飛んだり、街に現れた怪獣と闘ったり、そんな様子を目にしたら一般市民が騒がないのは不自然です。

どう考えても主人公の超能力は空想なハズなのです…。

 

さて、ここで考え直してみましょう。

私もつい「他の登場人物(サム)がいるってことは、これは妄想じゃなくて現実!?」と思ってしまったけれど、

よくよく考えたら、この判断って少し変じゃないでしょうか。

空想に他の登場人物がでてくること自体は、ちっとも不思議じゃないんです。

だって、空想なんですから。

私がヒーローになる空想をしてたときは、必ず好きな女の子を登場させていたものです。

むしろ、それこそが空想の醍醐味であるはずです。

主人公だってそうです、「自分がヒーローであることを、奥さんや娘が誇りに思っている」…そんな想像をしたっていいじゃないですか。

 

今まで主人公の空想に他の人物が出てこなかったからついついミスリードされてしまいましたが、

本来空想には他の登場人物だって登場できて当然です。

そう考えると、「今まで主人公が空想に他の登場人物を登場させなかった」ことが逆に不自然に思えてきます。

そう、ここがポイントなのです。

実は主人公は自由な空想(超能力を使える自分、才能溢れる自分)を楽しんでいるように見えて、

無意識のうちに「超能力を使える自分が娘や奥さんが賞賛する空想」や

「娘や奥さんに愛される空想」は避けていたことに気づきます。

彼にとってそれが一番大切だったのに!

 

ここでようやく前提②「映画の終盤でようやく、娘や奥さんに愛されていると実感できた」が意味を持ってきます。

映画終盤までの彼は「愛されている」という自信がなかったから、

ついつい深層心理でも都合のいい空想を避けてしまったのではないでしょうか。

 

余計惨めになるのがイヤだったのかもしれません。

「愛されていない」という現実を直視したくなかったのかもしれません。

「愛されている自分」が想像出来なかったのかもしれません。

とにかく彼は、想像に家族を登場させなかったし、きっと、させることが出来なかったのです。

 

病室のシーンで彼はようやく、愛されているという実感を得ることが出来ました。

窓から外を眺めながら、満足げに微笑む主人公。

そして彼は初めて、こんな空想をしたのではないでしょうか?

 

俺がもし超能力を使って空を飛んだら…

病室に戻ってきた娘は、まさか飛び降りたかって慌てちゃうだろうな。

不思議そうに辺りを見回して、そして超能力で空を飛ぶ俺をみつけ、驚きながらも思わず微笑んでくれるはずだ。

そしたら、手でも振り返してやろうかな…。

 

そう、あのラストシーンは主人公の空想だったのです。

ただし、今までは愛されている自信がなくて無意識に避けてきた、本当にそうあってほしい空想なんです。

 

絶望の末の自殺未遂の病室で、実は娘から愛されていたと気づく“予期せぬ奇跡”

だからこそ初めて思い描けた、幸せで満たされる空想。

そう、彼が“想像力の翼”で本当に飛び回りたかったのは、ここだったのです。

 

『バードマン あるいは(無知がもたらす予期せぬ奇跡)』

この妙に長いタイトルは、ただ新聞の批評の一文だけではなかったのです。

彼が幸せに気づいた病室の5分間と、ささやかな空想。

この素晴らしいラストシーンを意味していたのです。

 

この人生で望みを果たせたのか?

果たせたとも

君は何を望んだのだ

“愛される者”と呼ばれ、愛されてると感じること

レイモンド・カーヴァー

Carver’s dozen―レイモンド・カーヴァー傑作選 (中公文庫)

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