一緒に鑑賞した奥さんが、映画のエンドロールを見つめながらポツリと呟きました。
「…きっとお母さんは、撃たないね」
僕も同感です。
ラストシーンの母親(主人公)とディクソン(元)巡査が、銃を携えてアイダホに向かうシーンを受けてのセリフです。道中、二人は男を殺すことについてどう思うかお互いに尋ね、「道々、決めていこう」と言います。
その笑みを浮かべた横顔をみると、彼女は既に葛藤を乗り越えたようにみえます。もっと言えば、幸せそうにみえると言っても良いでしょう。
物語の後半までは、あんなにも苦しみ抜いた彼女が!!
どっちの気持ちもわかるんだ…
それにしても映画前半では「どっちも悪くないのに…どうしたらいいんだコレ…」と圧倒されてしまいました。
僕も人の親です。娘を残虐な方法で奪われた母親のつらさを想像すると、たとえあんな極端な行動でも、批判することが出来ないんですよね…。
子供に先に死なれる、そんな想像をするだけで心拍数があがってしまいます。その上、暴行され、火をつけられるだなんて。無理。絶対ムリ。心が壊れてしまう。
どう頑張ったって娘は帰ってこないし、母親の傷は癒えることはないんです。
同時に、署長の気持ちもすごい理解できるんです。僕の仕事も、警察署長ではないものの「困っている人を助けるために」動くようなタイプのお仕事です。そりゃあもう、相手の気持ちは考えるし、解決のために全力で動きますよ。でも、どうしようも出来ない現実は存在するわけで。そんな時に「お前は助けるつもりがないのか!!」と批判されてしまうのは中々つらいところです。
正直僕は、この映画の落とし所として、こんな想像をしていました…
看板の効果もあって真犯人がみつかり、母親も皆から「批判して済まなかった」と謝罪される。
母親は涙を流しながら署長に謝罪と感謝を伝え、署長は「過ぎたことだ」とニヤリと笑い、息を引き取る。
母親は自ら3枚の看板を塗り替える。「全米一」「素晴らしい警察署長」「ここに眠る」
END
う~ん、我ながらなかなかの三流シナリオですね(笑)
「幸せになれない」という思いこみ
このとき僕がこんなシナリオを捻り出したのは、こんな考えに基づいていました。
幸せな結末を手に入れるには、このままではムリ
↓
でも、もう娘は帰ってこない
↓
だったらせめて、真犯人を見つけることしかない
そう、僕はあのどうしようもなく行き詰まった状況を冷静に考えて、「なにか状況の変化でもないと、このまま幸せになれるはずがない」と思いこんでいたのです。
それがどうでしょう。署長が母親を赦し、ディクソンを赦し、感化されたディクソンもまた改心して正義に目覚め、それを目の当たりにした母親が全てを赦し…
あれ?なんだろうこの温かい気持ちって…(一筋の涙)
個人的な話になりますが、僕の周囲の人間が一人、若くして事故で命を落としています。いい人だったのに、本当に悲しい事故でした。
彼のお母さんのことを、僕はおばちゃんと呼んで慕っていました。
おばちゃんは、その事故の「責任者」あるいは「加害者」とも呼べる立場の人に一切の批判をしませんでした。決して「面と向かって言わなかっただけ」でも無いし、「言えなかった」のでもありません。おばちゃんは批判の気持ちを持とうとしなかったのです。
そのことを「おばちゃんは甘すぎる」「優しすぎる」と怒る人もいました。実際、それくらいの感情が普通なのでしょう。別の遺族は、相手方に対して内心の怒りを抑えきれない感じがしました。
でも今になって思えば、おばちゃんは本当に人格者だったんです。
我が子を亡くし、おばちゃんは誰よりも辛かったはずです。
葬儀で僕が声をかけた時、彼女ははずみで涙が止まらなくなっていました。
それでも、彼女は赦したんです。
その結果、彼女は前を向くことが出来ました。
誰かを責めることではなく、残された家族や自分の人生のことを考え始めました。
辛い記憶を忘れることは出来ないけれど、赦すことは出来る。それが結局は、自分自身を苦しみから解放することに繋がるんです。
脱線が長くなりました。
この映画を観ていて、僕は「なにか状況の変化でもないと、このまま幸せになれるはずがない」と思いこんでいました。
結局、状況は何も変わっていません。
娘の記憶は消えないし、署長は死から逃れられなかったし、犯人は捕まらない。(むしろディクソンは怪我したうえに警察署燃やされてる。)
でも、署長の「赦す」という行為だけで、その連鎖が全ての人の気持ちを救ったのです。
これって、すごいことじゃないですか?
現実世界でも「この問題はもうどうしようない」という状況に出会います。
そんなとき、もしお互いに感情のわだかまりを捨て去り、赦し合うことが出来たら…それだけで問題は解決しちゃうんですよ。
もちろん、一番難しいのはその「赦す」という行為です。
「反省していない相手を赦すことなど出来無い」「こっちが赦しても、相手が赦さない場合だってある」「赦すなんて悔しい」「そもそも赦せない」という場合だって多いはずです。
「赦す」って難しいです。中々出来ません。
でも、赦すという行為は、自分自身を不幸から解放してくれるんですね。
僕は、いつも優しいおばちゃんが大好きでした。
でもその優しさが幸せにしていたのは、きっと誰よりも彼女自身だったんです。
彼女はきっと、これからも幸せであるはずです。
…少しだけ、救われた気持ちになりました。