前作『ビフォア・サンライズ』を観てから、数年の間を空けて鑑賞しました。
時々この映画を思い返しては二人がどうなったかを想像するのは、とてもいい時間でした。
そして今回、満を持してその答え合わせ、
二人の“約束”の顛末を鑑賞しました。
やはり一番心に残ったのはラストシーン、
音楽にあわせて踊るセリーヌをジェシーが眺めているあの時間です。
映画後半から「どうやってこの話を畳むつもりなんだろう…」と自分でもぼんやり想像していましたが、さすがですね。
「簡単に割り切れない」という葛藤をこんなに綺麗にシーンに落とし込むとは!
いつだったかラジオから聞こえてきたポップスに「大人の方が恋は切ない」なんて歌詞があって、なるほどと思った記憶がふと蘇りました(笑)
あのあと二人はどうなったのでしょう?
もちろん次作を観れば簡単に答えが出そうですが、それはもうちょっと取っておきたいんですよね…。
自分の直感では、ジェシーはぎりぎりまで名残を惜しみつつ飛行機に乗ったと思うのですが、そうではないという意見の方もいました。
“飛行機くらい乗り過ごせばいい、一晩遅れることぐらい調整すればいいんだから”と。
なるほど、よくよく考えてみれば、僕は自分自身をジェシーに当てはめて考えていましたね。
僕だったら、後ろ髪を引かれつつも、きっと飛行機に乗るだろうと。
僕にとってもジェシーにとっても、飛行機に遅れるか遅れないか、それ自体はたいして重要ではないのです。
たとえ滞在が数日であったとしても、問題は変わりません。
本当の問題は“奥さんも、子供たちもいるのに、それを裏切ることはできない”ということ。
その葛藤を飛行機の待ち時間に置き換えているにすぎないのです。
もちろん、その天秤がセリーヌの側に傾いてしまう決断もあるでしょう。
ラブロマンスな映画なんだし、そんな結末もアリかもしれません。
ただ、僕自身だったらどうするだろうと考えた時、その決断はありえません。
自分は幸いにして奥さんととてもいい関係を築けています。失う物が大きすぎるのです。
だから直感的に“飛行機に乗り遅れるという結末はありえない”と感じたんでしょう。
とはいっても、僕とジェシーを一緒にするわけにはいきません。
ジェシーは、「カウンセリングも、自己啓発の本も、ありとあらゆる手段を使って妻と愛しあえるよう努力したが、ダメだった」と語っていました。
もしかしたらセリーヌの気を引くために誇張していたかもしれませんが、根も葉もない嘘ってこともないでしょう。
自分だったら絶対に飛行機に乗ると思う一方で、ジェシーの気持ちも理解出来ます。(決して共感ではないけれども)
「男は名前を付けて保存、女は上書き保存」とはよく言ったもので、
男性は、昔恋い焦がれた相手はいつだって記憶の引き出しにしまっているし、いつだって大切に思っているもの。
もっとシンプルに言ってしまえば、きっと今でも好きなんですよね。
そんな相手が今も自分に恋をしていたら?
自分と今のパートナーが全然上手くいっていなかったとしたら?
もしも、そのとき相手が目の前にいたら?
考えるだけで、甘美で、そして切ないシチュエーションです。
手を伸ばしたいに決まっています。
そして、手を伸ばせないに決まっているんです。
ダンスをするセリーヌ、ソファーに座り笑みを浮かべながら彼女を眺めることしかできないジェシー。
このラストシーンには、ジェシーの葛藤と結末が凝縮されているように思えます。
思えば、二人はこの映画でキスすらしていないんです。
再会の挨拶でほっぺにしましたが、あれはただのフランス流の挨拶です。
いくらだってできたはずです。
チャンスはあったし、お互いの想いだってわかっています。
もうキスをするのに戸惑うような年齢でもないんです。
前作では“この美しい恋を壊したくないから”と、ポジティブにいったん別れを決断しました。
それなのに今作では“この美しい恋を手に入れるわけにはいかないから”という違うベクトルで手を出せなかったのです。
前作は“公園で2回もした”のに、今作ではキスすらする事が出来なかったんです。
この違いは、とても大きい。
その切なさがたまりません。
パッケージでも二人の距離感が象徴的。
しかしよくよく考えてみると、なぜ手を出さなかったのでしょうか。
エンディングの後はどうなったかわかりませんが、少なくとも、映画で描かれている間は出すことを躊躇してました。
妻を愛することが出来ず、目の前の女性に運命を感じているのなら、全てを捨てて再出発してもいいはずです。
でも、そうしなかったのです。
理由は言うまでもありません、それはジェシーに子供がいたからでしょう。
もちろん、「離婚をしたら子供が可哀想だから」という道徳的な意識や責任感もあったかもしれません。
しかし僕には、ジェシーの「子供の成長を一瞬たりとも見逃したくない」というセリフこそが真実に思えるのです。
言うまでもなく、子供をもつということはこの上なく素晴らしいことです。
僕も常々そう思っているし、多くの人がそれに同意してくれるでしょう。
それでもなお、この映画は、「子供こそが人生の宝石」という気持ちを確信に変えてくれるものでした。
ジェシーにとって、
今の奥さんとの生活は苦しみでしかなく、
セリーヌは人生最大の運命の恋の相手でした。
それでもなお、セリーヌと子供を天秤に掛けたとき、彼女を選ぶことは出来なかったのです。
これだけの、“映画のような”究極のラブロマンスであっても、我が子を持つ素晴らしさには敵わなかったのです。
そう考えると、僕の人生も、そして多くの人々のありふれた生活も、なかなかどうして、たいしたもんなのかもしれません。
映画のような絵になる大恋愛こそありませんでしたが、それよりはるかに素晴らしい“人生の宝石”を、いくつも手に入れることが出来たのですから…。
この映画はとても素敵な、甘く切ない恋の映画でした。
でも僕にとっては、遙か昔に恋した女性を思い出させる映画であると同時に、子供たちに恵まれた今の幸せを再確認させてくれる映画でもあるようです。
いい映画でした。